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バイト仲間との打ち上げの帰り、多少お酒を飲んだこともあって楽しい気分で夜道を歩いていた。
今は何時だろうか。打ち上げのお店を出たのが十一時半だったから、もう日付は変わっているかもしれない。
明日は休みだし、ちょっと遠回りして夜の散歩をしていくのもいいかな。
そう考えた私はふんふんと軽く鼻歌を歌いながら、普段歩かない道を歩きだした。
今思えばその判断は間違っていた。夜の景色に気をとられ、背後に迫る危険に気付いていなかったのだ。
何かおかしいと感じた時には遅く、後ろから私の歩調に合わせた音が聞こえてきていた。色んなステップを踏んでみたから間違いない。
何だろう、愉快犯だろうか。
しかも徐々に距離を詰めてきているようだ。
バッグを胸の前で抱えて明かりのある方へ急げば、私のものではない足音もコツコツとついてくる。
下手に刺激せず逃げ切ろう。この道を抜ければ繁華街に近い通りに出られるはず。
あ、その前に交番があった。この街を牛耳っているとまで言われるクズ兄弟…松野さんたちのいる交番が。
夜の交番にいい思い出はないけど背に腹は変えられない。足を緩めずに道の向かいの交番へと急いだ。足音はまだついてくるけど、交番に入る私を見ればさすがにビビるだろう。
カラリと少し戸を開けて覗く。明かりはついているのに誰もいなかった。

「またか…」

独り言と共にため息をもらすと、細く開けていたドアがいきなり大きく開いた。

「わっ」
「何か用」
「ぎゃっ!?」

すぐ後ろ、頭の上から降った声に体が跳ねた。
よろけてドアに掴まれば同じ声が「ククッ」と鳴る。

「何してんの」
「へっ…えっ、あっ、一松さん…!?」
「よく分かったね…まあ一番オーラが淀んでるし」

ドアを開けた張本人が私の脇を猫のようにするりと抜けて交番に入る。それに私も続いた。
ドアを閉める時にさりげなく外を見回したけど人の気配はない。

「…あのー、一松さん」

キコ、と音を立ててだるそうに自分の席に座る一松さんに恐る恐る声をかける。

「あ…?」
「もしかしてですけど、私の後ついてきてました?」
「人聞き悪いこと言わないでくれる?帰る方向が一緒だっただけ」

なんだ、妙な足音は一松さんだったのか…
胸を撫で下ろす私をよそに一松さんが鞭を磨きだした。
何でそんな物を所持しているのかという疑問はとっくに捨てた。しかしもう一つ生まれた疑問は捨ててはおけない。

「えーと、でも私の歩みに合わせてましたよね?」
「偶然偶然…」
「偶然三歩歩いて二歩下がるタイミングが同じになることあるんですか?」
「偶然偶然…」
「…じゃあ無言でついてこないで声かけてくださいよ。変質者に追いかけられてると思ってちょっと怖かったんですから」
「ふーん…怖かったんだ…」
「何でにやにやしだすんですか」

相変わらずこの人の考えてることは分からない。初めて会った時も悪口言ったのににやついてたし。
ともかく不審者がいなかったのならもうここに用はない。ドアの方へ向き直りつつ軽く頭を下げる。

「それじゃ、お邪魔しました」

私が一歩踏み出した先の地面に、ビシリと激しく鈍い音がした。黒々とした先端の丸い鞭が私の足ぎりぎりに打ち付けられていた。

「…」

無言で一松さんをにらむが、私の方は見ていなかった。隅の自分の机にひじをついて知らん顔している。
でも手に持っている鞭が何よりの証拠だ。

「何ですか」
「何が」
「だから用があるなら口で言ってくださいよ、危ないじゃないですか」
「…」
「もう…」
「……怒った?」
「え」

ふいと目線だけをこちらに向けて、私の機嫌を伺うようにおずおずと聞いてくる。
小さな子が叱られてしょんぼりしているようなその様子に、ちょっと溜飲が下がった。

「いえ、怒ってはないですよ」
「チッつまんねぇ」
「何がしたいんですか一松さんは」

とたんにご機嫌斜めになった一松さん。マジで何なの。怒ってほしかったのか?
一松さんは俗に言うMなんだろうか。例えそうだとしても関係ない私を巻き込むのはやめてほしい。
ため息をついて今度こそドアに手をかけた。

「ご用がないのなら帰りますね」
「…あのさぁ…ここどこだか分かってる?」
「?交番です」
「むしろ君の方が用もないのにこんなとこ入って来て何様のつもり?」
「う、いや私は不審者につけられてるかと思って…」
「でも勘違いだったねぇ。パトロールしてただけの俺を不審者と勘違いした上、警察に助けを求めようとしてたくせにそんな口の聞き方していいと思ってんの?」

一松さんは今度は猫じゃらしを磨きながらぼそぼそと胸に突き刺さる言葉を吐いてくる。
猫じゃらしを磨く必要あるのか。このやろう。

「だって不審者と間違われるような行動取ってた一松さんが悪いじゃないです、か…」

思わずぽろりとこぼしてしまった台詞に真っ先に自分が青くなった。
まずいぞ。おそ松さんやカラ松さんならこういう台詞も笑って流してくれるだろうけど、一応目上の人だし、あのゲス巡査長チョロ松さんの相棒とも言われる一松さんに歯向かうのは…

「………口のきき方がなってねぇなぁ……」

キ、と椅子の動く音がするやいなや耳元で鋭く風を切る音がする。
一瞬の内に体がぎゅうぎゅうと締め付けられ手足の自由がきかなくなった。私と同じく逃げ遅れたバッグが太ももにぴったりくっついている。
血の気がさらに引いた。

「す、す、すみませんでした…!」
「今さら?ヒヒッ、遅い…」
「わーん!」

仁王立ちの一松さんに鞭を手繰り寄せられて、不本意にも側に近付いていってしまう。最後の最後で自由のきかない足がもつれて、一松さんの胸に顔から突っ込んだ。

「うぐっ」
「だらしねぇなぁ…」
「ひぇぇん」

まさかここで一松さんのせいだなどとわめくほどのバカではない。上からにやにや見下ろされながら自分の不運さを呪うしかない。
これから調書を取られたりするんだろうか。公務執行妨害とかで逮捕されてしまうんだろうか。こんなことで前科がついてしまうなんて…
うなだれながら何もできないでいると、一松さんが私を支えたまま、机の端に置いてある猫の置物を手前に引いた。
そのとたん、机が軋む音を立てて横にスライドしていく。今まで机で隠れていた床の一部分が自動ドアのようにするすると開いた。
ぽっかり空いた暗闇の中に、地下に下りる階段が浮かび上がっている。

「…何ですかこれ…」
「拷問部屋」
「なっ…!?」

斜め上を行く返答に言葉を失うと、一松さんは私を肩に抱え上げて階段を下り始めた。
一松さんの背中と足とコンクリートの段しか視界に入らなくなる。

「えっ…ま、待ってください…拷問部屋って何ですか、そんなのがこの交番にあるんですか?」
「なかなか口割らない奴を入れとくためにね…」
「……ご、拷問されちゃうんですかぁ?」

泣きべそをかきそうになっているので、我ながら弱々しい声が出た。

「さぁ、それは君の態度次第」
「…一松さんごめんなさい…」
「ごめんで済んだら警察はいらんなぁ」
「死にたくないよー…」
「…ふっ」

心からの叫びを鼻で笑われた。
一松さんの持つ懐中電灯の灯りしかない地下への階段は、途中かららせん状になった。まだまだ続いているようだ。
どこまで下に行くんだろう。地上からの光はもう全く見えない。
一松さんはずっと黙ったままだし、私だけが生きている人間のような気がして心細さが募っていく。
私がもし拷問部屋で死んでも誰にも見つけてもらえないに違いない。真っ暗な中で一人きり。
自分がかわいそうで惨めになってきて、ぽたぽたと涙が鼻を伝って落ちていく。
鼻水も垂れてきそうになって慌てて鼻をすすった。両手が使えないって不便だ。
拷問って何をされるんだろう。この現代日本にどんな拷問器具があるんだろう。痛いのはやだなぁ…

「……ちょっと」

一松さんの声が響いて思考が中断した。どうやら階段の途中で立ち止まったようだ。

「はい…?」
「…泣いてんの」
「少し…」

また鼻の先から水滴が落ちて、階段に水玉模様を作る。
一松さんは再び階段を下り始めた。
さっきよりも心なしか足が早い。けれど、さっきよりは丁寧に扱われている気がする。お腹の圧迫感が和らいでいる。
やっと階段の底に着いたのか、景色が平坦な地面になった。
そこからいくらも歩かない内に、一松さんが立ち止まってドアを開ける音がした。
ここが拷問部屋?
一松さんが部屋に入って電気をつけた。
急なまぶしい光に目をつぶっているうちに地面に下ろされる。そして鞭をくるくるとほどかれた。
部屋のあちこちからにゃーにゃーと鳴き声が聞こえる気がして恐る恐る目を開けると、そこは猫天国だった。

「……」

そんじょそこらの猫カフェよりも明るく綺麗で設備の整っている室内に十数匹の猫がくつろいでいる。
今までのおどろおどろしい暗闇とは真逆のファンシーな世界に力が抜け、ふらふらとその場に座り込んだ。

「……何ですかここ」
「拷問部屋」
「…」
「見るだけね。お触りはなし」
「それは拷問ですね」

一松さんはさっき磨いていた猫じゃらしを振って複数の猫たちと戯れている。
すっかり気の抜けた私は、鞭の跡が微妙に残るバッグを拾い改めて部屋を見渡してみた。

「一松さん、こんなに猫飼ってたんですね」
「飼ってない。全部野良」

よく見ると壁のあちこちに穴が開いている。そこから野良猫たちが自由に出入りできるようになっているみたいだ。
空調も遊具も掃除も完璧だし何なのこの財力。さすがは赤塚区の権力者と言うべきなんだろうか。
この街にこんなに野良猫がいたのか。てかこれもう飼ってるのと変わりないんじゃないのかな。
色んな思いでぼーっと猫を眺めていると、目の前に猫じゃらしが差し出された。

「え」
「……やりたくないならいいけど」
「あやりたいですやりたい」

予想に反して普通に渡してくれた。
猫じゃらしを振ると、今まで一松さんにじゃれついていた猫たちが私の足に乗ったりごろごろしたりしてくれる。

「わー可愛いー」

涙も乾く癒し効果だ。
しばらく悦に入って猫に夢中になっていたけど、一松さんの存在を思い出してはっと見上げる。
一松さんは私を見ていたらしくすぐに目をそらされた。

「あの…」
「もういい?」
「は、はい」
「じゃ帰るよ」
「はい……あ」
「何」
「た、立てなくなりました…」

まだこの急展開に体がついていけてなかったらしい。足に力が入らない。
一松さんが舌打ちをしたので体がびくっとしたけど、これまた普通におんぶをしてもらって地上に戻ってきた。
地下に入るまでの恐ろしい一松さんとは別人のようだ。
下ろしてもらうと今度は立てたので、「ありがとうございました」と頭を下げた。
一松さんは何かを言いかけたが、その前に交番の入り口が開いて誰かが入ってきた。

「ん?おお、杏里じゃないか」
「あ、カラ松さん」

カラ松さんも夜勤なのか制服姿だ。
いつものキメ顔で私を見たかと思うと、急に眉を寄せて私に近付いてきた。一松さんが盛大に舌打ちをする。

「杏里、どうした?泣いてたのか?」
「え、あー、これは…」
「何があったんだ?一松」
「別に」

カラ松さんが未だ閉じていない地下への入り口を見て、「まさか」と表情を強張らせた。

「お前、杏里を拷問部屋に…?」
「…」
「な、何てことを…!杏里が一体何をしたと言うんだ!」
「るせぇな…」
「あそこはレディーが耐えられる場所じゃないぞ…!?」

みるみるうちに機嫌が悪くなる一松さんに突っかかっていけるカラ松さんはすごい。
すごいけど命知らずで怖い。私は何ともなかったということを説明しなくては。

「あの…」
「俺が磔にされた時は本当にもうちょっとで死ぬかと思ったんだぞ!」
「死ねば良かったのに…」
「…え、磔…?」
「ああ杏里、大丈夫だったか?実弾でウィリアム・テルごっこをさせられたりなんかは…」
「い、いえ猫を…」

口走ると一松さんがすぐに睨んできたので口をぎゅっと閉じた。言っちゃいけないことだったんだろうか。
しかしカラ松さんは「猫?」ときょとんとした後笑いだした。

「ああ何だそっちに行ったのか、てっきり奥のガハァッ」

一松さんが飛び蹴りをしたので、カラ松さんは一直線に十四松さん不在の犬小屋へシュートされて力尽きた。
しんと静まり返った交番内。
気まずい。

「……私、帰ります」
「……」

一松さんは何も言わずに机の上の猫の置物を元に戻した。地下への入り口が閉じていく。
カラ松さんの話から察すると、本物の拷問部屋はどうやら存在するようだ。
そこに連れて行かれず猫部屋に案内されたのは、もしかして私が途中で泣いてしまったからなんだろうか。
お触り禁止と言いつつ猫じゃらしを貸してくれたし、本当は優しい人なのかもしれない。
ちょっと見直していると、視線に気付かれて「何」と厳しい声が飛んできた。

「いえ、何でもないです。ありがとうございました」
「それさっきも言われた」
「お仕事頑張って下さい。それじゃ」
「……待って」

ぺこりと頭を下げて出ようとすると呼び止められた。

「何でしょう」
「今から一人で帰るのは危ないから」
「え」
「これ持ってって」

私の身を心配してくれた、とちょっと感動したのもつかの間、渡されたのは鞭だった。

「…いえ、使い方よく分からないですし…」
「不審者に振り下ろすだけ。簡単だよ」
「いや、不審者退治っていうより野外で女王様プレイやってるように見えちゃいません?」
「ククッ、いいじゃんそれ…やってほしいね」

丁重にお断りして帰った。
やっぱり一松さんはおかしな人だった。