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生物室に忘れ物をした私は、西校舎の三階の廊下にいた。
廊下で一人、耳をすませながら長い一直線の廊下を歩く。
こんな気の使い方をするのは七不思議のためだ。
ぺたぺたさんという可愛らしい名前の七不思議。世の中にはテケテケやべとべとさんという都市伝説があるけれど、系統はそれらと似ていると思う。
つまり後ろから忍び寄る怪異というやつで、ぺたぺたさんはこの三階の廊下に出るらしい。
なので後ろからの音に気を配っていたんだけど、何も起こらないうちに生物室についてしまい、忘れ物を持って教室を出る。ま、毎回出てくるわけじゃないから当然か。
実はぺたぺたさんを呼び出すという方法も聞いている。
廊下の北側の突き当たりで壁の方を向いて立ち、「ぺたぺたさん、追いかけっこしよう」と呼びかける。そして壁に背を向けて、廊下をまっすぐ歩いていくだけ。そうすれば後ろからぺたぺたと足音を立てて追いかけてくるのだそう。
ただ、これをやる場合には途中でやめたり逃げたりしてはいけない。必ず廊下を歩ききって、反対側の突き当たりにタッチして終わらせること。じゃないと無限廊下へ連れていかれるという。
ぺたぺたさんは追いかけっこが好きなのかな?
時間もあるし、ちょっとやってみようかな…突き当たりまで行ってタッチするだけだから簡単だよね。
右手にずらりと並ぶ教室を通りすぎて、北の突き当たりに行く。一人で喋っておかしいと思われたくないから、ちょっと周りを気にしつつ。

「…ぺたぺたさん、追いかけっこしよう」

壁にそうささやいてから、くるりと後ろを向く。
何も変わらないいつもの廊下だ。左手に教室が並び、右手には窓から住宅地やビル街が見える。
ゆっくりと一呼吸をしてから歩きだした。
エレベーター、階段、化学室、化学準備室…と来たところで、通りすぎた階段辺りから足音が近づいてきた。
普通、生徒の上履きならかすかにキュッキュッという音がするはず。今、私の後ろから来ているのは間違いなくペタペタという平べったい音だった。
来た…!
嬉しいような怖いような気持ちで、後ろは見ずに南を目指す。
ところが、後ろからの足音はだんだん早くなってきた。追いかけっこしようって確かに言ったけど、まさか私を捕まえる気じゃ…何も聞いてないけど、普通に捕まえられるとかあるのかな!?
私も足を早めると、足音は走っているようなすばしっこさで私の数歩後ろまで追いついてきた。
心臓がばくばく鳴ったけど、逃げてはいけないというルールが頭をよぎったから前だけを見て歩みは止めない。生物室前まで来たから、後は準備室を越えればもう突き当たりだ…!
と、急に後ろからみぞおちをぎゅっと抱えこまれた。

「ひわぁぁ!」
「つっかまーえたー!」

私の情けない悲鳴とは逆に、芯から明るい声。
それが誰の声なのか分かった瞬間、後ろに倒れこみそうになった。

「…は…十四松…!」
「杏里ちゃんゲットォー!」
「あー…もう、びっくりさせないで…」
「次杏里ちゃんが鬼ね!」
「自分ルールで話進めないでくれるかな?」

和んだからいいんだけど!いいんだけどね!
密着した十四松の体温で、上がっていた心拍数が落ち着いていく。
十四松がまだ私のお腹に両腕を回したままなので、自然と顔を寄せて喋ることになる。無邪気ににこにこしながら喋る十四松を見ていると、七不思議の薄暗い陰が消えていくようだった。

「十四松はここで何してんの?」
「にーさんたちと鬼ごっこ!」
「あ、だから私が鬼とか言ったんだ。十四松が鬼?」
「ちがうよ!でも杏里ちゃん見つけたから!」
「そっかー」
「杏里ちゃんは?散歩?」
「七不思議の調査してた」
「七不思議?」

十四松の言葉を笑って流しながら、これまでの七不思議調査を思い返してみる。
分かっている七不思議のうち四つも松野家の六つ子が関わっていたとなれば、ぺたぺたさんの噂も恐らく…
十四松の足元を盗み見ると、上履きじゃなく学校の来客用のスリッパを履いている。
どこかでなくしたとかで、特別にスリッパを履くのを許可されたというのは聞いたことがある。ペタペタという音の正体はまぎれもなくこれだ。
今までの経験から言って今回も、十四松が噂の元になってる可能性が高いんじゃないかな?
スリッパ履いてる生徒なんて珍しいし、十四松のことをよく知らない生徒の間でかなりのアレンジを伴って噂されてる、とか。うん、それっぽいな。
まだ『七不思議』の意味を考えてるらしい十四松にもういいんだと告げて、一応きちんと追いかけっこを終わらせるためにまた廊下を歩き始める。
十四松もペタペタと音を立てながらついてきた。

「十四松、逃げなくていいの?鬼ごっこ中なんでしょ?」
「うん!でもトッティの匂いしないからだいじょーぶ」
「トド松が鬼なんだー。トド松に十四松は捕まえられそうにないね」
「ね!」

学ランの袖から伸びた黄色のパーカーをぶらぶらさせながら、十四松は私の隣に来た。

「他のみんなは?捕まっちゃったかな」
「トッティかしこいから、罠仕掛けてるかもー」
「そこまでして…?でも十四松たちの鬼ごっこってハードそうだよねー。兄弟だから容赦ないでしょ?」
「おそ松にーさんは財布人質に取ったりするよ」
「あっはは、最低」
「でもぼく財布ちゃんと持ってきたから!問題なっし!」
「十四松は賢いなぁ」
「かしこい?ぼくかしこい?」
「賢いよー」
「ぼくかしこい!」
「そうだ!十四松は賢い!そういえばこないだの生物の小テストどうだった?」
「………」
「あっごめん遠くに行かないで!戻ってきて!」
「杏里ちゃんは?」
「うーん私も遠くに行きたい感じ」
「あはは!一緒だね!」
「そうだねー一緒だ。補習ないといいんだけどなー」
「ええっ補習あんの!?」
「あるんだよ…!三十点以下は呼び出し、って聞いてなかった?」
「聞いてない…」
「やばい感じ?」
「超やばい感じ…」
「まずいねそれは」
「杏里ちゃん生物得意?」
「私も危ういよ!もしかしたら私も呼び出されるかもね」
「じゃー一緒にほしゅー受けよ!もし呼ばれたら!」
「そうだね、一緒に頑張ろう」
「杏里ちゃんがいるなら補習楽しそーだね!」
「なんて嬉しいこと言ってくれるの十四松ってば!おそ松やチョロ松だったら絶対バカにしてくるよ、自分のこと棚に上げて」
「みんな杏里ちゃんのこと好きなんだよ」
「えー、好きなのになんでバカにしてくるのさ」
「子供だからね!」
「十四松が大人…!」
「ぼくも杏里ちゃん好きだよ」
「ありがとうー、私も好きだよ!」
「両想い!?」
「そうだねー」
「やったー!!」
「やったー!って、騒いだら十四松がここにいることバレちゃう」
「あっ…しーっ」
「しーっ、ね。誰も来てない?」
「誰の匂いもしない」
「よし、じゃあ大丈夫だ」
「うん。ところで杏里ちゃん」
「ん?」
「いつまで同じところぐるぐるするの?」

ぴたりと足を止めた。十四松の言葉が予想だにしない、意外なものだったから。

「え…?」

冷静になって周りを見る。
私はまだ生物室の前にいた。最初に十四松に抱きつかれた場所だ。
いや、でもおかしい。私はまたここから歩きだしたはず…廊下の突き当たりを目指して。

「…十四松、ぐるぐるしてたってどういうこと?」
「杏里ちゃん、生物室の前行ったり来たりしてたよ」
「…今話してる間ずっと?」
「うん」
「と、止めてよ…」
「そーいう遊びなのかなって思って」
「…うん、そうだね、いや十四松は悪くない…」

背筋が少しぞくりとした。自分が全然気づかず歩き続けていたことに。
会話に夢中になってたとしても、周りが見えないほど没頭してたつもりはないのに。
追いかけっこを途中でやめると無限廊下に連れて行かれる。ぺたぺたさんを呼び出した時のルールの一つが頭をよぎった。十四松に抱きつかれて足が止まったのを、途中でやめたって見なされたのかも…
十四松が相変わらず気の抜けるような顔でいてくれてるのがまだ救われる。
深呼吸を一つした。ともかくこの追いかけっこを終わらせないと。

「ねえ十四松、私をあの突き当たりまで連れてってくれないかな」
「いーよ!」

元気に返事してくれた十四松が、私の背中に回って押してくれる。

「いっくぞー!」
「おー」

ぐんぐん押してくる十四松の両手を背中に感じながら、私はもう一つの事実に気づいた。
十四松の足音がしない。さっきは廊下に少し響くぐらいペタペタと音を立てていたのに。

「とうちゃーく」
「ありがとう」

数秒で難なく壁の前まで来れたので、両手で壁にタッチした。
これで追いかけっこ終わったかな?念のため、校舎を出るまで十四松と一緒にいさせてもらおうかな。

「十四松、ごめんだけど帰るまで一緒にいてくれない…?あとさっきみたいなことがあったら言ってほしいんだけど」
「いいよ!杏里ちゃんも一緒に逃げよ!」
「そうだね、逃げきろう」

ぺたぺたさんからも。
二人で壁の前を離れ、階段に向かう。後ろから足音は聞こえないし廊下は離れられたし、追いかけっこはちゃんと終わったみたいだ。よかった。
それにしても不思議だ…ほんとに不思議。七不思議、なめちゃいけない。
そういえば、今までの七不思議調査でもちょっと不思議なことは起こってたんだよなぁ。七不思議にとらわれすぎた私の思いこみだって思ってたけど…
隣で階段を一緒に下りていく十四松の足からは、やっぱり音がしない。

「十四松、スリッパ履いてるのに全然足音しないね」
「え、これ?足音で居場所バレないよーにスポンジ貼った!」

十四松が見せてくれたスリッパの裏には、型に合わせて自分で切り取ったらしいスポンジが貼りついていた。

「それ自分でやったの?鬼ごっこのために?」
「そーだよ!」
「…やっぱり十四松賢い!」
「ぼくかしこい!」

わーいと喜ぶ十四松を見ながら、これ以上七不思議に深入りしない方がいいかもしれないと思った。