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気乗りがしない。
鏡の前で着飾った自分を見てため息をこぼす。
約束の時間まであと一時間。
やっぱり断れば良かった。
昨日はお酒を飲んでたからつい同僚の押しの強さに流されてしまったけど、改めて考えてみるとやっぱり行くのが億劫だ。重いため息をついた。
ああ、でも同僚の顔を立てなければ。
いつもより高いヒールを履いて家を出た。
合コンの待ち合わせは、会社のある駅とは反対方向の都心の方。
大きい駅を下りてすぐ目印の居酒屋の看板の下に向かうと、もう同僚と他の人達が集まっていた。女性陣は会社の人ばかり、男性陣は同僚の知り合いの会社の人達らしい。
だるい。

「じゃあ次…」
「小山杏里です。趣味はスイミングと居酒屋巡りです」

お店で席について、まあ間違ってはいない自己紹介をした。実際泳ぐのとお酒好きだし。
後は会話に適当に交ざってお酒を飲んで大人しくしてればいい。
私以外の女性陣はさすがというか、男性ウケのしそうな趣味をアピールして話題をかっさらっている。

「ねえ、小山さんはお酒は何が好きなの?」

テニスの話題で盛り上がっているのを横で聞きながら黙々とサラダを食べていると、目の前の男性が話しかけてきた。名前何だっけ。忘れ…城崎さんだ。思い出した。
相づちしか打ってない私に気を遣ったんだろうか。それはそれで申し訳ない気もする。

「あー、ベタにビールが一番…」
「そうなんだ。オクトーバーフェストとか行ったことある?」
「聞いたことはありますけど行ったことはないです。てか、さっき居酒屋巡りが趣味って言いましたけど、ほんとは家でテレビ見ながら飲むのが一番楽しいんですよね…」

思わず言ってしまった。
これで引くだろうと思ったら予想外に爽やかに笑われた。

「あははは、小山さん面白いね!」
「…え、そうですか」
「うん、ぶっちゃけすぎで。家で何見てんの?テレビは」
「バラエティーとか、アニメを」
「小山さんオタクなんだ?」
「そですねー」
「見えないなー。あ、俺もアニメ見るよ!今期何見てる?」
「今期なんて言い方するってことは城崎さんもわりとオタクじゃないですか?」
「うわ、バレた」

よく分からないけど興味を持たれたみたいだ。
ほぼ城崎さんと当たり障りのないことを適当に喋っていたら合コンは終了した。
帰り際、城崎さんに連絡先を聞かれた。同僚にはやったね小山さん〜!とか言われたけど、単にオタク仲間だったからだと思う。見てたアニメも結構かぶってたし。
酔って千鳥足の同僚の子何人かを男性陣に預けて私は帰った。人数合わせの役目は果たしたからね。
近所のコンビニで明日の分のビールを買って帰宅。
と同時に城崎さんからメールが届いた。今日は楽しかったというのと、良ければまた会いたいというのと。そうですね、また機会があれば、と曖昧に濁しておいた。
お風呂に入ってテレビをつけて、何気なくスマホを見た。城崎さんからはもう返事が来ている。
今日話してたアニメに関する話だった。この人相当だな。でもこういう話なら悪くない…私何様なの。
自分にツッコミを入れながら城崎さんとそのアニメについて語り合っていたら、いつの間にか見ていたはずの番組はよく分からないままに終わっていた。
でも何だか充実感があるな。今まで周りに共通の話ができる人いなかったし。
テレビを消して、布団に寝転びながら返事を打つ。
やり取りをしているうちにいつの間にか寝てしまったようで、目が覚めたら電池切れ間近のスマホを握ったままだった。
スマホには城崎さんからのメールが来ていた。
『小山さんと話すの楽しいよ。
良かったら今度遊びに行こう』

その日から、城崎さんとは意外に交流が続いた。
最初はアニメの話だけだったのが、仕事のことや日常のちょっとしたことでもメッセージを送り合うようになった。
私はSNSをやってなかったけど、城崎さんがこのアプリが便利だよって言うからスマホに入れた。
城崎さんは美味しいビールのお店をたくさん知っていて、仕事終わりに待ち合わせて一緒に行くようにもなった。
私と同じくらいオタクなのにアクティブだねと言ったら、実は小山さんに喜んでほしくて必死にリサーチしてる、と照れ笑いされた。何となく胸の中がくすぐったくなった気がした。
城崎さんはビールのお店だけじゃなく、私の知らなかったイベントや流行のスポットにも連れて行ってくれた。
毎日ほぼ会社と家を行き帰りしているだけだった私の世界はどんどん広がっていった。
いつしか、寝る前の城崎さんとの連絡は当たり前になった。
あまり使い道のなかったお給料は、城崎さんと遊びに行くための資金になった。
仕事中、城崎さんのことを考える時間が増えた。
ある休日、城崎さんと遊びに行った先で不意に手を繋がれた。
混んでもないのに、と少しびっくりして顔を見上げたら「ずっと前から好きでした」と言われた。

「返事は今すぐじゃなくてもいいよ。でも俺で良ければ、小山さんの彼氏になりたい」
「…あ…私、特に何の取り柄もないし…強いて言うならちょっと妄想力が強いとかそれぐらい…」
「あはは、そういう小山さんが好きなんだって、俺は」

何て言っていいか分からず意味もなく頷いた。
その後、家まで送ってくれた城崎さんが別れ際「お休み」と笑ってくれた顔が忘れられなくて、気もそぞろにお風呂に入ってすぐ寝てしまった。
目が覚めたら、ちゃんと返事をしなくては。



光が差し込む窓辺のベッドで目を覚ました。
久しぶりに楽しい夢を見た気がする。どういう夢だったかな。
目を閉じて思い出そうとする。断片でもいい。浸りたい。もう一度あの夢の中に戻らなくては。
早く。
少し胸がざわついた。何を私は焦っているんだろう。
何だか落ち着かなくて身を起こした。
テレビのある自室に一人、ベッドの縁に座り込む。
代わり映えのない景色を眺めて、訳の分からない焦燥感が胸でくすぶるのを感じていた。
寝坊した?いや、今日は仕事はないはず。誰かと約束してもない。
…約束?
何かが引っかかる。
違う、約束じゃない。約束じゃなくて…私が、何かをしようと思っていたような。
立ち上がって部屋を見回す。ヒントがどこかにないかと辺りを探してみた。
何もない。

…この部屋、ベッドとテレビとクローゼット以外、何もない。

背筋にひやりとしたものが走った。そろそろと壁の隅に移動してしまう。
およそ生活必需品という物が全くないこの空間。
何で今までそれに気付かなかったんだろう。
というか、というか。

この部屋、私の部屋じゃない。

「え…?」

口から思わず声がこぼれる。ぶるりと体が震えて、両腕で自分自身を抱き締めた。
ここで目が覚めてから今の今まで何の疑いもなく、私は“私の部屋で目覚めた”と思っていた。
けど違う。私の部屋はもっと散らかってるし、家具はテレビの他にもあるし、私そもそも布団で寝てるし昨日布団の側に置いたスマホもない。

「スマホ……」

城崎さん。
そう。城崎さんに、告白の返事をしようと思ってた。
昨日、一緒に遊びに行って、告白されて…男の人に好きだなんて言われるのは初めてで、パニックになってその場では返事ができなかったから、今日返そうと思ってたのに。
慌てて部屋のあちこちを探しても私のスマホは出てこなかった。

「どういうこと…!?」

どこなの、ここ。
誘拐?私も気付かない間に?
混乱してる頭にはもう一つの疑問が浮かんでいた。
ここは知らない場所のはずなのに、何回も来たことがあるような気がすること。
この部屋のドアを開けたらそこは玄関に続く廊下だってことをなぜか知っている。ここがマンションだってことも、目が覚めてから外を一度も見ていないのに分かる。
とにかく、異常事態だ。
この部屋に固定電話がないこともどうしてか知っている。だから警察を呼べない。というか、ここの住所を知らない。
外に出て助けを求めよう。
部屋のドアに手をかけた時、玄関の方からガチャリと音がした。

「あれ?開いてねーな」

外から聞こえる男の呟き。
誘拐犯かと疑う前に、どこかで聞いたことのある声だと思った。
玄関からはガチャガチャと開けようとする音が続いている。

「杏里ー起きてる?開けてよここ、おにーちゃん疲れちゃったよ〜」

聞いたことのある声と、その人物が頭の中で繋がった瞬間、ドアに手をかけたまま身体中から力が抜けていった。床にへたりこむ。
体の中から震えが広がっていった。
あの軽い声。おそ松だ。間違いない。

でも、松野おそ松は架空の人間だ。

好きでよく見ていたアニメの中のキャラクター。寝る前に必ず見てた。録画しておくほど好きだった。
何でアニメの世界の人物が私の名前を知っていて、ここに入ろうとしてるんだろう。
第一鍵持ってるって言ってたはずじゃ…
鍵?

「あそうだ俺鍵持ってんだった」

鍵の開く音がして、とっさにベッドの中に逃げ込んだ。
頭から布団を被って丸くなって目を閉じる。
ドアが閉まって、足音が近付いてきた。

「杏里起きてる?」

まっすぐに私のところに来たらしい松野おそ松は、ベッドに座り布団に手をかけて引っ張った。

「あ、杏里起きてんだろ。何?寝起きの顔見られたくないとか?」

茶化すように言われる台詞も、今はただ恐ろしい。
布団を隔てた先にいるのが一体何なのか、確認するのが怖くて頑なに布団を握りしめていると、諦めたのかベッドから離れる音がした。
少しほっとして手を緩めたのがいけなかった。
あっという間に布団がはぎとられてしまった。
私の目の前にいるのはまごうことなき松野おそ松だった。にやけた顔が深刻そうな表情に変わる。

「…杏里、どした?気分悪い?どっか痛い?」
「……」
「どーしたんだよ、怖い夢でも見た?」

あやすような声にはっとした。

「夢…」
「え?怖い夢見た?」
「…夢だ…そっか夢だ……」
「ほんとに怖い夢見たんだ。よしよし」

松野おそ松が寝転んだままの私を抱き締めるように覆い被さる。すぐ側に感じる体温も頭を撫でる手も声もすごくリアルだけど、そうだこれは夢だ。

「どんな夢見た?」
「見たっていうか、今見てる」
「…」

頭を撫でる手が止まった。
ゆっくり体を起こして私を見た松野おそ松は無表情だった。
前にも見たことがある。

そうだ、思い出した。この部屋で何度かおそ松と会った。
どうしてだろう。ある日突然だった。突然この部屋にいて、当たり前のようにおそ松と過ごしていた。
でも夢の中の話だ。これは夢なんだから。

「…バレた?」

おそ松が呟いた言葉は、私をさらに惑わせた。
強い不安感。
私も恐る恐る体を起こした。おそ松と視線が同じ高さになる。

「バレた、って…何」
「夢だと思う?」
「…え?…え?」
「俺にとっちゃ現実なんだけど」
「なに…え?意味分かんない…」
「ずるいなー杏里。好きだって言ってくれたのに。合コンも男が目的じゃないって言ってたのに」
「な……え…」

おそ松の言葉には聞き覚えがあった。また思い出した。私が言ったことだ。ここで、夢の中で。
でもなんか嫌だ。嫌な感じがする。
早くこんな夢覚めてほしいのに、全然終わる気配がない。

「俺ずっと待ってたのに嘘だったんだ。久しぶりに会えると思ったら他に男作ってくるとか…」
「ね、ねえ待って、夢でしょ?夢だよねこれ?」
「だから俺にとっては現実なの。いつも見てたよ、杏里のこと」
「何が?どうやって?」
「杏里もテレビでいつも俺のこと見てくれてたのに。俺と出会う方が早かったし好きって言ったのも言われたのも俺の方が早かっただろ、なのに最近全然見てくれなくなって」

おそ松が少し泣きそうな顔をしている。
私も泣きそうになってる。おそ松とは違う感情で。

「…う…そ、でしょ、夢…だよね?何ここ…どこなの?ここどこ?ねえ…!」
「そーだね、夢だよ。杏里の夢。でも俺の世界でもある」
「何それ…は…?」
「こういう世界に行けたらなーって思ってたんだろ?毎日寝る時間削ってまで見てくれてたんじゃん。だから迎えに来てあげたの」
「そ、そんな、こと…」
「ゆっくり慣らしていこうと思ってたのにさー、とんだ横やりだわ…」

ぶつぶつと当然のように語られるにわかには信じがたい発言に耳を疑った。
思い切り頬をつねった。腕もつねった。
痛いだけで視界は切り替わらない。
血の気が引く。
何がどうしてこうなったのかは分からない。けど、私がおそ松とこの部屋で何度か会っていた、それはもう事実だし目の前のおそ松は“現実”にいる。
少し目眩がした。頭がぐちゃぐちゃになっていく。

「…ね、帰して…私自分のいた場所に帰りたい…」
「ずっと側にいてくれるって言ったよな」

低い声で呟いたおそ松は、もう泣き顔じゃなかった。
半分泣きかけている私を、夢とは思えないほどの強さで抱き締めた。

「やだよ。帰さない。だってずっと一緒にいてくれるって言ったよ、杏里」
「い…言ってない…!」
「あー言ってはなかったか。でも杏里頷いてくれたからね?覚えてない?」
「…やだ…ごめんなさい……帰して……」
「こっちの世界も楽しいよ?あっちにいる時の杏里、仕事ばっかで疲れてたじゃん」
「…つ、かれてたけど…っ!あっちはあっちで、楽しいこともあって」
「テレビの前にいる時が一番幸せそーだったけど」
「今…今は、そうじゃ…」
「あークソやっぱ合コンなんか行かせんじゃなかった。あいつの何がいいの?好きなの?」
「……す、き…なのに…」
「ふーん…俺のこと好きって言ってくれたのは嘘ってこと?」
「違…違うけど、……ちがう……」
「……」

おそ松が私を離してベッドを下りた。
部屋を横切って、隅のテレビに向かう。
テレビの前に立ったおそ松を見て反射的に「やめて」と叫ぶのと、おそ松がテレビを蹴り飛ばして画面が粉々になるのと同じくらいだった。
バリンでもなければガシャンでもない、ブツン、と切れたような音がした。
テレビからじゃなく、私の中で。

「もっと早くこうすりゃ良かった。なー杏里」

振り返ったおそ松は笑っていた。
急に大きな喪失感に襲われた私を、おそ松が抱き締めてくれた。
なのにどうしてだか、まだ不安な感じがする。
なぜだろう。彼氏がこんなに側にいてくれているのに。
胸のざわめきを消したくて、おそ松の体に身を寄せた。
よしよし、とおそ松が頭を撫でてくれる。

「大丈夫だよ、これからずっと夢を見させてあげる」