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朝ご飯を適当にかきこんで家を出る。
空はまだ暗い。
ヒールの低い靴を履いているのに、もう足が痛い気がする。
足早に通りを抜けて駅の側まで来れば、私と同じように眠そうな顔をした人達が改札に吸い込まれていく。
私も勝手に足が動いて駅の中。いつの間にか電車に乗っていて、いつの間にか目的の駅で降りている。
そこから歩いて十二分くらい。大きな工場が見える。私の勤め先。
守衛さんにおはようございます、と声をかけてタイムカードを押す。
何てことない一日の始まりだ。
作業着に着替えて同僚に目も合わせず挨拶をする。相手もどうせ私のことなんて見ていない。ただ社内ルールで挨拶を徹底しているからお互い事務的にやってるだけ。
除菌室を通って、先に作業場で簡単な製品チェック。本格的にはしない、軽く見回る風を装う。
勤務時間外での仕事をしてたら上司に怒られてしまう。就職したての時はありがたいと思ってたけど、仕事量が多い時は少し早く作業に入らせてほしいと思う。そういう時って結局残業になるんだから。
そのうちに始業五分前のベルが鳴って、一日の作業目標が言い渡される。いつも前の日とほぼ変わりない。
それからラジオ体操が始まって、すっかり覚えてしまった動きを流れ作業で終わらせる。
その後は昨日の続き。
ベルトコンベアで流れてくる何かを指示書通り箱に詰めるだけ。立ちっぱなしの作業。
何か、は時々変わる。医療機関への健康食品だったり、スーパーやデパートへの子供用のお菓子だったり、洗剤等の日用品だったり。
ノルマはあるけど、大抵後から変更になる。それで残業が決定して定時に帰れなくなるなんてざらにある。
ちゃんと見極めてからノルマ設定してほしい、なんて一年目の時は憤慨していた。
けど、今やそんなこと考えるだけ無駄だと分かっているので、毎年新人がお決まりのように言うノルマ関連の愚痴にそうだねぇって相づち打つくらい。
私も何だか愚痴っぽくなったけど、この毎日に大きい不満を感じているわけじゃない。
職場の人間関係は悪くはない。少なくとも陰湿ないじめなんかはないし、特に嫌いな人がいるわけでもない。
毎日同じ作業を繰り返すのは面白みがないけど、自分の技量に合った仕事をして決まった給料がもらえるんだから私は恵まれていると思う。休みももらえるし。
そりゃ働かなくていいなら働きたくはないけどね。
昼休憩のベルが鳴って、みんな一斉に作業の手を止める。食堂は混むから私も少し急いで作業場を出た。
日替わり定食を頼んで、顔見知り程度のグループに交ぜてもらう。
旦那の話をするパートのおばさん達に、ふと思い出したように小山さんは彼氏いないの?と聞かれてええまあ、と言葉を濁した。
プライベートを詳しく話すと一瞬のうちに尾ひれがついて広まってしまう。下手なことは言わない方がいい。さりげなく自分を話題から外すスキルは無駄に高くなった。
昼休憩が終わって午後の作業。
今日は今週に入ってから連日続いていたノルマ変更のお達しがない。
三時を過ぎてもなかったから、今日は定時に上がれそうだ。しかも明日明後日は土日で休み。久しぶりにゆっくり休める。
帰ったら録り溜めたテレビを改めてゆっくり見よう。それが私の最近の癒し。残業して遅く帰ってきた時も必ず少しは見るほどに欠かせない存在になってきている。
そんな楽しみのことを考えていたら、終業のベルが鳴った。手早く作業場を片付けてロッカールームへ急ぐ。
同僚との挨拶もそこそこに、タイムカードを押して職場を出た。ヒールを履いた足取りは何となく軽い。
夕方の電車内は誰も彼も疲れきった顔をしている。私は最寄り駅のスーパーで何を買おうか、ちょっと奮発してお酒のつまみでも買おうかなんて考えている。
駅に着いて、駅から改札口まで一直線に向かう人達を、一番後ろから余裕のあるゆったりした歩みで追いかける。
駅に隣接しているスーパーで、主婦に交じって買い物。と言ってもお弁当やお惣菜なんかの出来合いの物ばかり。お酒も買っていこう。私の好きなビール。
明日のご飯はまた明日考えればいいや。今日は早く家に帰ってゆっくりしたい。
スーパーの袋をぶら下げて家に着いた。
お酒とお弁当を冷蔵庫に入れておいて、先にお風呂に入る。メイクを落として部屋着に着替えると、ようやく私だけの時間が始まった。
テーブルの上に温めたお弁当とお酒を置いてテレビをつける。給料を貯めに貯めて奮発して買ったテレビとDVDレコーダー。見たい番組を見るのにとても役に立ってくれている。
録画した番組はほとんどもう見てしまっているけど、今週録画した分も合わせて一気に見てしまう。
ビールを飲みつつこの贅沢な時間を貪っているとスマホに通知が来た。同僚からだ。
歳も近いし職場では一番喋る人だけど、プライベートで連絡を取ることはあまりない。
面倒な用事じゃないといいと思いながら見ると、合コンの誘いだった。
明日?だらだらしたいから無理。
そんな本心を隠して丁重にお断りの返事を出す。
相手は意外に食い下がってきて、小山さん今日彼氏いないって言ってたじゃん、なんて流したと思っていた話題を持ってこられた。
お金は全部男子持ちだよ!ちょっとご飯食べに来るだけでいいからお願い!
の後に切実そうな顔の絵文字が並んでいる。
ここでいいよって言ったら金にがめつい人みたいじゃん(笑)からの、そんなことないよ!お願いどうしても成功させたいんだよ〜!切実絵文字、で根負けして分かったと返事をした。
適当に飲み食いするだけだからと釘をさしてスマホを投げる。
まあいいか。夕食の都合がついたと思えば。
お酒を飲みながらテレビの続きを見る。
何回も繰り返し見ている番組が終わったところで、歯磨きをしてから布団に寝転んだ。
残業続きだったから、この時間に寝床に入れるのも久しぶりだ。もう寝てしまおう。



朝の光の中、自然とすっきり目が開いた。久しぶりによく眠れた気がする。
寝たまま伸びをすると、その動作で気付いたのか「あ」と声がした。

「杏里おはよ」

ベッドの脇に立ったおそ松が顔を見せた。

「おはよ」
「何、今日早いじゃん」
「うん、久しぶりに早く目覚めたかも」
「へへへ」

おそ松が嬉しそうに笑った。

「んじゃ今日はたくさん杏里といられるな〜」
「そんなに喜ぶこと?」
「はぁ……杏里さぁ、それわざと言ってんの?」
「ごめんごめん、そんなにおそ松が私のこと好きとは思わなかった」

体を起こしながら冗談のつもりで言ったその言葉は、おそ松の自尊心を傷付けたらしい。
眉を寄せて険しい顔になっていった。

「…何だよそれ…全然伝わってなかったわけ?」
「ごめん、冗談だよ」
「…」

無言で隣に座られて、きつく抱き締められた。

「おそ松ごめんって、疑ってたわけじゃないから…あの、ちょっと苦しい」
「うるさい。杏里が分かるまで今日はずっとこうしてる」

拗ねさせてしまった。
おそ松の腕は私のお腹の横からしっかり背中に回っていて、ちょっとやそっとでは抜け出せそうにない。
いつもの軽口のつもりが、こんなに傷付けてしまうとは。心の中に後悔が広がっていく。

「…ごめんね」
「…」

おそ松の肩に頭を乗せた。男の人らしい、骨ばった硬い体つき。

「おそ松が私のことすごく大事にしてくれてるって、誰よりも私が知ってる」
「…そうだよ」
「ありがとう」
「……ほんっとに分かってんのかなぁ…」
「おそ松のこと好きだよ」
「っ、耳元で言うのはずるいだろ…!」

照れた声が聞こえたので腕を離してくれるかと思ったら、余計に抱き締められた。思った以上に効果はあったみたいだ。
しばらく私の耳元でも意味の繋がらない言葉を何かごにょごにょ言っていたけど、しばらくしてから「す…すき、だ」と辿々しい告白を受けた。笑ってしまった。

「な、何だよ」
「いつになく緊張してるなって思って」
「そりゃ緊張する時ぐらいあるっての…今日は聞きたいことだってあるし」
「聞きたいこと?」
「うん」

そこで初めておそ松が体を離した。真正面から見つめられる。
その顔はもう照れてはいなかった。
表情がなかった。


「何で合コン行くの?」


背筋がぞくりとした。
なぜだろう、心臓が嫌な音を立てて脈打ち始めた。

「…何で知ってるの?」
「あ、や、それは……」

慌てた様子で目線を反らすおそ松が、言いにくそうに口を開く。

「…ごめん、スマホ見た。側に転がってたし、普段杏里がどういうやり取りしてんのか気になって…」
「ああ、そうなんだ」
「……ごめん」
「いや、いいよ。それは別に」

そう、それは問題じゃなかった。
じゃあ何が問題なんだろう。この、未だに拭えない嫌な感じはどこから来てるんだろう。
私の戸惑いには気付いていないみたいで、おそ松は申し訳なさげにしているものの質問を続けてきた。

「合コン誘ってきたのって職場の人?だよな。女の人」
「そうだよ」
「杏里、ご飯食べに行くだけだって言ってたけど、それほんと?」
「どういうこと?」
「…だからさ、男見つけに行くとか…」
「あー、そんなの全然考えてない。ほんとにご飯食べに行くだけ。元々そこまで乗り気じゃないし…」
「ほんと?」
「うん。どうしてもって頼まれて行くだけだから」
「またここに戻ってきてくれるってことだよな?」

うん、と頷きかけて何かがそれを止めた。

「…おそ松ってば心配性なんだね。なんか意外だな」

そんな風に明言を避けてしまった。

「言っただろ、俺は寂しがりなのー」

いつもの軽い口調。それに少しほっとする。

「うん、そうだったね」
「今日合コンかー…ほんとなら行かねーでほしいけど、職場の人間関係とかあるもんなー」
「分かってくれて嬉しいよ」
「ふふん、物分かりいーだろ?」
「うん。おそ松のそういうとこに助けられてるよ、いつも…」

いつも?
自分で自分の台詞に何か違和感を覚えた。
いや、間違ったことは言ってないはず…
なのに。

「杏里〜」

おそ松が幸せそうにまた私を抱き締めてきて、顔がほころんだ。
けど、心のどこかに穴があるような、冷たい部分がある気がする。
それが何なのか分からないまま、おそ松に体を預けた。
おそ松の温かな体温だけ感じていればこの不穏な予感も消えるはず。そう思った。

「…杏里」
「ん?」
「好きだよ」
「うん…」
「杏里」
「…ん?」
「あ、眠くなってきた?」
「うん…実はちょっと」
「んじゃ今日はここまでだな。いいよ。お休み。またね」
「ん…」
「……杏里」
「ん…?」
「ずっと俺の側にいて」
「……うん」

晴れない心を振り切るように、少しずつまどろみ始めた意識の中頷いた。
瞼を閉じる刹那、おそ松が笑うのが見えた。