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「#エロ」のBL小説を読む
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枝豆…190円
冷奴…190円
たこわさ…270円
唐揚げ…360円
生ビール………


壁のメニューを順に追うだけの意味もない眼球運動。
ぼんやりした頭を関係のない文字列で埋め尽くしたい。
他のことを考える余地を作らないように、またジョッキを握る。アルコールで溶けてしまえばいい、こんな腐った脳みそ。
生まれつき俺は欠陥持ちだったのかもしれない。俺だけじゃなく、兄弟全員。
でも頭の中だけで止めておけると思っていた。そこまでのけだものじゃないって。俺らまだ、普通に生きられるって。
周囲を巻き込む負のスパイラル。それが六人分。膨大なエネルギーに飲み込まれかけている杏里。

あの時一松に声をかけるべきだったのか?殴れば良かった?
でも最低最悪なことに、俺もあいつらと同じこっち側の人間だ。こっち側に立っていたいと思ってしまった。共犯者だ。
くそ、アルコールなんか何の役にも立ちゃしねえ。
立ち上がったら視界がぐらりと揺れた。椅子が倒れる音がやけに柔らかく響く。
どこに行こうか。どこにも行けない。
帰る場所は一つしかない。
就職かー、してりゃ良かったのになー。家出てりゃ……あいつらに持ってかれるだけだ。くそ喰らえ。
体を引きずっていつの間に帰ってきたのか、もう牢獄としか思えない家。
玄関に膝を付く。ドスンと音がする。あーもう動きたくない。このまま世界停止しねーかな。

「チョロ松お兄ちゃん、大丈夫?」

廊下の奥から妖精が出てきた。妖精って。

「わ、起きてる?意識ある?」
「大丈夫大丈夫、今立つから」
「肩貸そうか?」
「いーっていーって、それより他の奴らは?」
「まだ帰ってきてないよ。夕飯までには戻ってくると思うけど…最近みんな、帰り遅いよね」

何で戻ってこねーのか分かってんの?っぶね、ギリ飲み込んだ。

「みんな忙しーんじゃない?ニートだけど」
「そうなのかな、でもちょっと心配。チョロ松お兄ちゃんもこんなに飲んで帰ってきちゃうし」
「大して飲んでないよ、ほらちゃんと会話できてるだろ?」
「ふふ、それもそっか。あ、お水持ってこようか?」
「いーよ、自分で行く」
「何かあったら呼んでね、上にいるから」

新妻かよ。かっわいい子だよなぁーほんと。
見とれてたら壁に頭をぶつけた。
いらねぇことばかり考えてる頭が重い。もっと軽くなれよ。



居酒屋で飲み食いしすぎたせいか、夕飯は入らなかった。
銭湯に行くのも何となくだるくて、シャワーだけ浴びて先に布団を敷いて寝た。
「あれ、もう寝てる」と銭湯から帰ってきたらしいおそ松兄さん達の声が頭上から聞こえてきたが、眠ったふりでやり過ごす。
両隣がごそごそ動いて、電気が消えた。やがて寝息が聞こえる。
最初から目を閉じてる俺だけが眠れていない。
あれからみんな何を思って眠りについてるんだ?明日が来るのが怖くないのか?
おそ松兄さんと一松はもう自分の中で決着を付けてるのか?他の奴らも?
俺だけまだ、みっともなく引きずって杏里を取り込もうとしてるのか?
眠れない。
酒だ。

布団を抜け出て階下へ向かう。兄弟も父さんも母さんも杏里も寝静まって、俺だけが異質な存在。
栓が開いている、残り半分以下の日本酒を見付けた。父さんのかな。まあいいや。
ガラスのコップに注いだら独特の香りが広がる。麻薬のように感覚を麻痺させていく。
あーやっぱうめぇわ酒が。
現実が何でもないことのように思えてくる。親のすねかじってることとか未だに童貞なこととかまともな職に就いたことないこととか杏里とか。
全部どうでもいい。取るに足らないことだし。
これから生きていくのに本当に必要か?杏里が側にいるということが。
酔い足りない。こんなもんじゃ全然。
酒瓶は空になった。今自分がどの程度酔ってるのか分からない。でもまだだめだなこんなんじゃー。
あ、酒買いに行こ。コンビニだ。
ふらりと部屋に戻ってパーカーと財布を取ってきた。
階段を手探りで降りていたら、後ろから「お兄ちゃん?」と声がかかる。

「何してるの?どこ行くの?」
「酒買いに行く。コンビニ」

杏里が小声で話すから小声で返した。
そっと後ろに近付いてくる音。

「こんな時間に…?ってチョロ松お兄ちゃんもうお酒飲んでる?」
「うん、飲んでる」
「だめだよ、昼間だってけっこう飲んでたのに」
「大丈夫、じゃあ第三のビールにするからさ」
「じゃあの意味が分かんないよ。もう…ちょっと待ってて」

杏里が離れていった。
待っててと言われたから階段に座ってぼんやり待つ。
しばらくしてまた杏里が戻ってきた。

「お兄ちゃん、いいよ。行こう」
「え?どこに?」
「コンビニ行きたいんでしょ?私も一緒に行くよ。今のチョロ松お兄ちゃんだけじゃ心配だもん」

パジャマから部屋着になった杏里が俺の手を取った。
それに掴まってふらふらと立ち上がる。
そっと玄関を開けて、鍵を閉めて。

「どこのコンビニ行こうか?」
「どこでもいいよ」

歩みが遅い俺の手を杏里が引いていく。どこへだって連れていってくれていいよ。
夜中だというのに街にはまだ人がいる。車も走ってる。まばらだけど。
みんな何を考えてこんな夜中に外出てるんだろう。俺みたいにこんなに飲まなきゃいけない理由のある奴いる?いたら手上げてよ。そんで交換しよう。

「チョロ松お兄ちゃん、ちょっとは酔い覚めた?」
「ぜーんぜん。こちとら酔いたいから飲んでんだっつーの」
「あはは、そういう時あるよね」
「杏里はどういう時に酔いたいわけ?」
「そうだなぁ、どんな時かなぁ」
「おいさっき同意しただろ」
「あはははっ、つい最近お酒飲み始めたばっかりなんだもん」
「それもそーだなー」

あれ?今コンビニ通りすぎたぞ。まーいっか。

「杏里ー」
「なーに?」
「べろっべろに酔いたくなったらさぁ、その前に俺に言いなよ。話ぐらい聞いてやれるよ」
「うん。そうする」
「杏里はいーい子だなー」
「ふふふ、ありがとう」
「ほんっと自慢の……」


昔は俺達がお前の手を引いてたのになぁ。
今はそういうわけにはいかなくなった。
俺達が連れていくのはもうどこにもいけない場所だ。
杏里に前に立っていてほしい。そうでもしないと、俺は歩いていけない。


電灯の灯りが地面だけを照らす道の前方に、自動販売機が見える。

「杏里」
「ん?」
「水買う」
「うん」

ミネラルウォーターは110円。
出てきた物を手に取ったら、体の熱が少し引いた。
一気に三分の一程を飲み干す。夜気を取り込むみたいに。
柔らかに見えていた景色が徐々にリアルに感じられる。
何やってんだかなー俺。

「チョロ松お兄ちゃん、私もちょうだい」
「ん、はい」

杏里が一口飲んで「冷たい」と表情を崩した。

「チョロ松お兄ちゃん、よくこれ一気飲みできたね」
「そう?」

それぐらいじゃないとさ、ほら、目が覚めないから。
でもまだ少し酒の余韻が残っている。ああ名残惜しい。
杏里がまた手を繋いでくる。

「それじゃ、帰ろっか。私明日バイト早いんだよー」
「じゃあ大人しく寝てりゃよかったのに」
「ちょっと夜の散歩に行きたい気分だったの」
「へえー」
「もう眠れる?」
「そうだなー」

むしろ今までが夢だった。
いつか終わるって分かってたのにな。

杏里の手を引いて、腕の中で閉じ込めた。
大人しく俺に捕まる杏里。

「…チョロ松お兄ちゃん?眠くなった?」
「ううん、違うよ。そうじゃない。これから覚めるから」

別に俺は泣いていない。
少し寂しいとは思うけど。


「今だけ、この瞬間だけ、俺の恋人になってくれない?」


彼女は何も言わなかったけど、躊躇いもなくそっと両腕を俺の背に回してくれた。
微睡みから浮上する寸前のこの感触を、俺は一生忘れることはないだろう。

分かってたんだろうな、何となく。
俺達がいつまでも夢を見ようとしていたから、どうすることもできなくて。

体を離したら、目を伏せたままの杏里が見えた。
俺達よりずっと強くて、誰よりも終わりが来るのを怖いと思っていたはずの女の子。
さらに一歩、後ろに下がって杏里から離れる。

「さ、帰ろう」
「うん」

頷いて歩き始めた杏里は、すぐに立ち止まったままの俺を振り返った。

「帰らないの?」
「帰るよ。でももう、一人で歩けるから」
「私ここにいるからね、倒れそうになったら言ってね」
「うん」

酔ってないから、もう倒れないよ。たぶんね。