×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



入院中にやつれた私を見ていた院長は、退院後も療養の期間を取り、自由に過ごさせてくれた。
元々美術館巡りぐらいしか趣味のなかった私はどこに行くでもなく、自室でただ時間を過ごした。
退院直後の新聞の紙面はよく覚えている。
デカパン夫妻のニュースと共に“怪盗団またも行方をくらます”の文字。
怪盗団は既に次の標的を狙っている、いや怪盗団は今度こそ消滅した、どちらの噂も同じだけ街に流れた。
その中には、何がどう伝わったのか“怪盗の一人が一般人の恋人と生きるため仕事を辞めた”という話もあった。
もしそんな平和な話ならどんなに良かったか。
彼らの一人が海へ落ちたことは、悪人達の抑止力を欠くという観点から公表されないのだろうと院長が言っていた。怪盗団は本当に正義の側面を持ちつつあった。
彼の言った正義とは何だったのだろうか。
その中身が何であれ、声をもう一度聞きたいと思った。



療養期間が明け、私は教師に戻った。
以前のように授業をし、子供達の面倒を見る。心配してくれた子供達にはもう大丈夫と笑って見せた。

「先生までいなくなっちゃったらどうしようって思った」

放課後、教室にて採点をしている隣で教え子の一人が机に肘をつきながら言う。

「みんなに心配をかけてごめんなさい」
「帰ってきてくれたからいいよ。怪盗も帰ってきてほしいなぁ」

子供達の間では、彼らは揺るぎない英雄だ。
デカパン夫妻の悪事を暴き、見事逃げ切った彼らの人気は不動のものとなっている。
あの一件から怪盗団は沈黙を守っているが、子供達は彼らを待ち望んでいる。

「捕まってないよね?」
「そうね、逃げたと思うわ」
「怪盗やめちゃったのかな」
「お休みしてるだけかもね」
「怪盗は盗まれたものしか盗らないから、盗まれたものがもうないのかも!」
「そうだといいわね。平和な世界だわ」
「でもつまんないよ。早く面白いこと起こしてほしいなぁ」

頬杖をついて外を見る彼。つられて窓の外に目を向ければ、子供達が菜園で作業をしているのが見える。

「ねえ、もし次に来るとしたらどこだと思う?」
「さあ、誰のところかしら」
「院長先生だったりして!」
「まあ、院長先生は悪いことなんかしてませんよ。美術品はいくつか持ってるけど」
「分かってるよー、じょうだん」

笑い転げる彼。私も笑った。
採点が終わると学院の自室へと向かった。
乱雑に書類の置かれた机の前へ座り、その中から今日の新聞を手に取る。
そしてまだ目を通していない紙面の隅々まで視線を走らせる。どこかに私の求めるものがないかと期待して。
だが、今日の結果も芳しくはなかった。
適当に畳んでゴミ箱へと放り込む。こうして無駄になった新聞が何ヵ月分あることか。
無駄、と言えば。
鍵付きの戸棚が視界に入る。
あの花瓶はあれから一度も出していない。
彼のバラを生けられない花瓶を見るのが辛くて、けれど手放せない。
それは私にとって、どんな美術品より価値を持っている花瓶なのだ。
私の喜びと悲しみを映したあの青い模様。今見れば、それは何を反映するだろう。

そんなことを考えていた時だった。
にわかに外が騒がしくなった。
子供達が口々に叫ぶ声がする。危険を孕むものではなく、パーティーの時に聞くような。
立ち上がり窓を開けると、上から何かが大量に降り落ちて来ていた。学院の外からも驚きの声が上がっている。
目を凝らしてよく見れば、それは四角く小さな紙だった。
紙吹雪かと思ったが、早くも一枚を手にした子供達が甲高い歓声を上げた。

「怪盗だ!」

部屋を飛び出た。
庭に面した廊下で、既に地面に落ちていた一枚を拾い上げた。
それは予告状だった。
遠い街のさる金持ちの所有する、サファイアのリングを頂くという内容。
ご丁寧に“快気祝いの祝宴”と大ぶりな手書きの字で副題まで付けて。
たくさんの風船に吊るされた予告状をばらまく籠が、上空をゆっくり横切っていく。
子供達は庭をはしゃぎ回り、街はお祭り騒ぎになっていた。

「……派手好きなんだから。心臓に悪すぎるわ……」

思わず呟いてから唇を固く閉じる。
心に浮かんだことを素直に言えなくなっている、この長年の癖は直さなければならない。今度こそ後悔しない選択をするために。
地上の警察に追われる風船を見送ってから、予告状を胸に部屋へと戻った私はしかし、本当に心臓に悪い思いをすることになった。

机の上に、青バラを生けた花瓶が置かれていた。


「俺のイリュージョンはお気に召したかな?」


彼が来るとこの部屋は光で満ちる気がする。
闇の世界の人なのに不思議なものねと、かつては皮肉混じりに思ったものだった。
今私が言いたいのはそんなことではないのだ。けれど、やはりすぐに言葉が出てこない。
言うべきことははっきりしている。ただ、思いの込み上げた喉が使いものにならないだけだ。
彼はまた待ってくれるだろうか。
後ろから差し伸べられた手にすがり付き、そう祈った。