×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



「杏里、このパーティーに行かないか?」

院長が差し出したそれは、デカパン夫妻の催すパーティーへの招待状だった。

「彼らのコレクションが見れるらしくてね。一度お目通り願いたいと思っていたんだ」
「相変わらず、お好きですね」
「一風変わったものを集めてるらしくてね。初めて見る作品もきっとたくさんあるだろう」

芸術に関する話をする院長は、教え子達と同じ無邪気な顔をする。昔と変わらない。
私が笑っているのに気付き、院長は「杏里も見たいだろう」とせがむように言った。

「そうですね。久しぶりに変わったものを見るのも面白いかも」
「それだけじゃない。杏里、招待状の日付を見てごらん」

言われて見るが、思い当たるイベントは何もない。

「この日が何か?」
「デカパン夫妻に怪盗から予告状が来ただろう」

その一言で、ちりちりと胸が焼けていく。
思い出すのは先日顔を出したカラ松のことだ。
二度と来るなと言ったはずなのに、何食わぬ顔で現れた彼に、私の心は乱れに乱れた。
ろくに彼の弁解も聞かず部屋から追い出した後、激しい自己嫌悪に陥った。
もし今の仕事をしていなければ彼の誘いに乗っていただろう自分に対してだった。
彼が言った通り、私は彼と同じ泥棒だった。罪人だ。根幹は何も変わっていなかった。
真っ当に生きる道を選んだのは決して間違いじゃない。そう信じていたのに、彼というたった一人の存在で揺らいでしまうのは、私が生まれながらの悪人だからだと改めて思い知らされた気がした。
彼にもそれを見抜かれ、だからこそ必要とされていたのかもしれないという想像が私の心をさらに苛んだ。
そうして、私は善人になったのだと意地を張る自分を守るためにカラ松を拒絶したのだ。
しかし今でも、彼を心から求めている私もいる。
これからも相反する思いを抱えて苦しみ生きていくのが、きっと私の罪に対する罰なのだろう。

「夫妻は怪盗と対決をするつもりらしい。美術品のお披露目と、怪盗退治のショーを一緒にしようと言うわけだ」

院長の台詞に現実に引き戻され、「そうなんですか」と適当な相槌を打つ。
だが追いついて台詞の内容を理解し、院長の顔を見た。

「…対決?退治…?」
「迎え撃つ気満々だよ。よっぽど自分達の発明品に自信があるんだね。身の潔白を世間に見せつけたい思惑もあるんだろう」

院長はじっと私を見た。何かを探られているようで、この視線は少し苦手だ。

「杏里、行くかい?」

私は彼を思った。
彼が仕事に成功しまたも逃げおおせる姿、反対に敵に敗れ捕まる姿を想像した。

「…行きます」

どちらにしても彼の姿を見るのはこれが最後だろうと思った。最後にしなければならない。
そんなこと、望んでもいないくせに。



断崖絶壁の上に建てられたデカパン夫妻の邸宅。
複数あるという邸宅の内、三方が海に面したこの屋敷を選んだのは、怪盗の経路を狭めるためと噂されている。
一階のパーティー会場は夫妻の知り合いだけでなく、美術関係者、警察関係者などで賑わっていた。
さらには大勢の使用人も駆り出されているため、夫妻のコレクションより人の方が多く、どこを見ても顔ばかり。次々に紹介される院長の知り合いらしき人々すらすぐに忘却の彼方になった。
やっと夫妻から正式にパーティーの開幕が宣言されるも、人疲れからすぐに会場の隅の椅子に座り込む。
少し赤くなったハイヒールの足を目立たないようそっと隠し、近くに飾られた壺をぼんやり眺めた。
ガラスケースに覆われたそれは著名な工芸家の作品と瓜二つ。大勢の客人が足を止めて見入っている。
が、これはレプリカだ。今日のパーティーのどちらのメインでもないだろう。
私のこの審美眼を役立てたいと言った彼。
彼はいつ来るのだろうか。
期待と不安にざわつく胸を抑え、目線を上へ向けた。幾人かの客人が燻らす葉巻の煙がシャンデリアの光を曇らせていく。

「やあお嬢さん」

気が付けば、隣の椅子に知らない老人が腰掛けていた。
杖に頼りながら背中を丸め足を撫で擦っているところを見ると、彼も人の多さに疲れてしまったものらしい。

「月が綺麗だねえ」
「そうなんですか?この会場からは見えないので分かりません」
「こういう夜だったねえ、婆さんと出会ったのは」
「…」

自分の話がしたくて話しかけてきたのだろうと判断し、黙って耳を傾けることにした。

「昔婆さんと喧嘩してしまったことがあってねえ」
「あら…」
「わしがちょっと誤解させるような言い方をしたもんだから、婆さん怒っちゃって」
「何て言ったんです?」
「婆さんの昔の話をしたら触れてほしくないことだったみたいでなあ、こっぴどく怒られてしまった」

心底悲しそうに言う老人。

「しばらく口も聞いてくれなくなって…辛かったのう」
「…触れられたくない過去がある人もいるんですね」
「わしはどんな婆さんでも好きじゃと言いたかったんだが、言う順番を間違えた」
「その後、仲直りはしたんですか?」
「婆さんがやっと話を聞いてくれてなあ、誤解は解けたよ」
「…それは、良かったです」

私はもしかしたら早まった選択をしたのかもしれない。老人の話を聞きながらそう思った。
最後に顔を見た時も、彼は誤解だと言っていた気がする。
冷静に話を聞けば良かったと、今さら後悔しても遅い。彼が再び訪ねて来てくれるとは限らないし、彼がどこを住処としているのか知らない。
私と彼の関係はひどく脆い繋がりの上に成り立っていた。
いや、彼が繋がりを保ってくれていた。それを私が一方的に断ち切ったのだ。
老人の咳き込む音で、私は感傷から引き戻された。

「どうも人の多い場所は…埃っぽくていかん」
「大丈夫ですか?」
「お嬢さん、すまないけどこの老体を休憩室まで連れて行ってもらえんかね」

快く引き受け、人並みをかき分けパーティー会場を抜け出した。
老人の案内で廊下を進むと、とある扉の前に警備員が二人立っている。その部屋へ老人は入っていこうとした。

「お爺さん、この先は行けませんよ」
「何じゃって?近頃の若いもんは老人の休憩場所も奪うのかい」
「違いますよ。ここは美術品の保管室に続いてるんです。一般の方は立ち入り禁止ですから」
「保管室?へええ、ちょっと見せてもらえんかね」
「どういう理由があろうとも、デカパン夫妻と少数の警備以外の者は入ってはいけないことになってるんです。ご理解ください」
「あなたはお孫さん?休憩室は反対側の廊下ですから、連れて行ってあげてもらえませんか」
「いえ、孫ではないですが…違ったみたいですね。戻りましょう」
「いやいや、ここまでで結構。若いお嬢さんにこれ以上爺のエスコートをさせるわけにはいかんからのお」

と言いつつ、老人は私を手まねいた。

「最後にお嬢さんに、いいことを教えてあげよう」
「何でしょう」

耳を寄せるやいなや、視界が奪われた。
と同時に何かが炸裂する音がして、警備員の驚きの声が上がった。

「あれカラ松じゃないから。余計なことしてごめんねおねーさん」

聞き覚えのない若い男の声が耳元でしたかと思えば、目を覆っていた手はどけられていた。
床には目をやられたらしい警備員が二人とも踞り、扉が開け放たれていた。老人の姿はなかった。
パーティー会場からは混乱の叫びが聞こえてくる。
私は今しがた囁かれた言葉を思った。
あの日棘で傷付いた指を思った。

私の足は、一人でに最上階へと向かっていた。