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閉店後、最後まで居座って酔い潰れて寝ているおそ松の隣に静かに座る。
厨房以外の電気は消えていて、おそ松の座る隅のテーブル席はほとんど真っ暗だ。父と兄が片付けをしている音が厨房の奥から漏れ聞こえてくる。

「…おそ松」

おそ松はすっかり寝てしまっているのか起きそうにもない。持ってきたブランケットを背中に掛けてあげた。


何だかおそ松が荒れているらしい、と聞いたのは少し前のことだ。
急に店にも私の前にも姿を見せなくなってしまったので、どうしたのかとトド松に電話してみたらそんな答えが返ってきたのだ。

「パチンコか競馬で負けまくったとか?」
『うーん…そんな感じじゃないんだよね。荒れてるって言ったけど、それは気持ちがって話で…態度としては変に大人しいっていうか』
「大人しいの?」
『そう!妙に大人しいんだよ!あのおそ松兄さんが!だから僕ら余計に怖くて…!』
「そうなの」
『杏里ちゃん、何か知らない?』
「分かんない。ここのところ会ってないし、私も避けられてる気もする」
『ますますおかしいよ。一体どうしちゃったんだろう』


そんなおそ松が、今日うちの店にふらりとやって来て酒を次から次へと飲んでいると母から連絡があった。
私は別のバイトに入っていたので終わり次第すぐ店へ来たのだけど、その時にはもうおそ松はこの状態だった。
突っ伏したままのおそ松の周りには片付けが間に合っていないビールの空き瓶がまだ数本あり、むにゃむにゃと寝言のようなことを言っている。

「おそ松、もう店終わったよ」

もう一度ささやく。
やっぱりおそ松は起きない。
寝返りを打った頭が私と反対の方を向いた。うつ伏せにしかなっていないはずなのになぜか後頭部に寝癖がついている。
ふとそれに手を伸ばし、起こさないように撫でた。
重力に逆らうようにぴんと跳ねた髪は見た目とは違いふわふわだった。おそ松が起きないのをいいことに、しばらくその感触を楽しむ。
…こうしているとあの子のことを思い出してしまう。
近所の家で飼われていた犬、小太郎。
人見知りだったのになぜか私にはよく懐いてくれていた。
その家の前を通る度こうして私に頭を撫でられるのが好きだった。私も大好きだった。
でもあの子はもういない。
寿命を迎え天国に旅立ったと連絡が来たのはつい先日のこと。
犬種から考えれば永く生きた方だ。けれど。
私にとっては早すぎる死だった。まだ心の整理はきちんとついていない。
今でも思い出すと自然と涙が出てきてしまう。

「……っ」

おそ松の背中から垂れるブランケットに涙の染みが出来て、撫でる手を止め袖で目をぬぐう。
あれからもう何日も経っている。いい加減に立ち直らなければ。ペットとの別れは付き物だ。早いか遅いかだけ。
そう自分に言い聞かせ、鼻をすすってそろそろテーブルを片付けようと腰を浮かしかける。
すると、起きる気配のなかったおそ松がむくりと頭を上げた。

「あ」
「……」

私の声に反応して、どろりとしたまだ眠そうな目がこっちを向く。

「水持ってこようか?」
「……いい」

ふいと目を反らされてしまった。

「閉店だから片付けるね」
「……」

返事はないけど、引き止められないということは了承の意味だろう。
酔いが残っているのか、自分の肩から落ちたブランケットを掴もうとした体がふらふらと揺れている。
これは家まで送った方が良さそうだ。ビール瓶を厨房へ持って行き、「おそ松起きたから送ってくる」と兄に告げる。

「一人で大丈夫か?」
「うん」
「ん、じゃ気を付けて」

おそ松の元へ戻ると、まだ席に座ったまま怠そうに何もない壁をぼうっと見ていた。

「送るよ」
「……いーよ」
「一人で帰らせるの心配だから。立てる?」

テーブルに置かれた熱の高い片手を握れば、しょうがなさそうに、ふらつきながら立ち上がった。
そしてズボンのポケットをまさぐり、「ん」としわくちゃの千円札を何枚か握りしめた手を突き出す。

「ありがと。お釣り返すよ」
「いい」
「でも…」
「いいから」
「…じゃあ、ありがとう。もらっとく」
「…」

それっきり無言のおそ松を連れて店を出た。
雲に覆われた夜空の下では街灯だけが頼り。ゆっくりとした足取りのおそ松が転ばないよう、なるべく平坦な道を選ぶ。
トド松の『荒れてる』話の真相や、どうして今日店に来る気になったのか、今までどうしてたのか、聞きたいと思うことはあるけれど私も何も言わなかった。
そういえば前にイヤミさんの仕事を手伝った時もこうしておそ松の手を引いて帰ったな。
あの時は元気がないだけだった。今はそれとは違う気がする。
何か私に対して怒っているのか、他のことで機嫌が悪いのか。
さっきの様子じゃ私から無理に聞き出せはしないだろう。おそ松が自分から言ってくれるのを待つ方が早い。

「なあ」

そう思っていた矢先、後ろのおそ松が突然口をきいた。
思っていたよりはっきりした口調だ。

「何?」
「今何考えてる?」

どういう意図の質問だろうと思いつつ、「おそ松が今何考えてるんだろうって考えてる」と正直に答える。

「何で?」
「いつもと様子違うから。酔い方もちょっと違う気がするし」
「……それだけかよ」
「どうして?」

また何か怒らせただろうか。
機嫌の悪そうな低い声に振り向くと同時に、おそ松は私の手を引いた。一歩分離れていた距離が埋まってすぐ目の前におそ松が立ちはだかる。

「教えてやろうか。俺が何考えてるか」

少し下から見上げたおそ松の表情は、酔ってもなく、眠そうでもなく、喜怒哀楽のどれでもない初めて見る顔だった。

「お前のことだよ」

何となく予想していた答えではあった。でも意外な答えでもあった。
私に何か怒っていると思っていたけれど、今のおそ松はそんな雰囲気ではない。私に怒る以外のことで、おそ松が私について考えるなんてあるのだろうか。

「私?」
「お前が何考えてるかわかんねえ」
「…」
「いっつも話ずれるし」
「…」
「俺の言いたいこと伝わってないし」
「…」
「けど嫌われてんのかと思ったらほめてくるし」
「…」
「普通に手繋ぐし家の合鍵まで渡してくるし」
「…」
「なのに俺の彼女にはなれないって」
「…」
「意味わかんねーよお前」
「…」
「でも、……でも……」

それは、と言葉を返そうとしたけれど、おそ松の言葉を待った。
おそ松との会話がなぜかずれてしまうことがあるのは私も自覚している。そしていつも怒らせてしまうのだ。今は何も言わない方がいいと思った。

「……何で泣いてた?」
「え」
「さっき、泣いてただろ」

唐突に言い当てられて戸惑う。
おそ松は起きてたのか。髪を撫でてたのも気付かれていたのかもしれない。
泣いた理由を思い返すとまた涙がこぼれそうになる。急いでおそ松から目をそらした。

「大したことじゃ…」
「人の頭撫でて泣いときながら?何が大したことねーんだよ」
「…そうだね」

おそ松の言うことは正論で、しばらく黙ってしまう。

「…でも、おそ松とは関係ないよ」
「はぁ?」
「だから…」
「じゃ何だよ。何考えてたんだよ」
「…」
「言えって」
「…思い、出すと、また泣きそうだから。あんまり、言いたくない」
「………そう」

おそ松の呟きを最後に、私達は無言になった。
しばらくして、おそ松が「もういい」と私の手を離す。

「ここでいい。お前ももう帰れ」

私とすれ違いざまに歩き出すおそ松の腕を引き止めた。

「待って」
「…何。一人で帰れる」
「そうじゃなくて。私もおそ松の考えてること分かんないから、今聞く」
「は?」
「何で今日あんなに飲んでたの?久しぶりに来たと思ったらあれだから、心配したよ」
「…別に…」
「トド松もちょっと心配してた。おそ松に何かあったんじゃないかって」
「お前さ、自分が言いたくないつって俺には言わせようとしてくんの、ずるくない?」
「…ごめん」

これも正論だ。私は黙るしかない。

「言いたくないなら、いい」
「……」
「しばらく顔見てなかったから、心配してたことは言いたくて」
「……何だよ…何なんだよお前、ほんっとふざけんな」

掴んでいた腕を振りほどかれてしまった。

「俺だって…俺だってな、心配したの!なんか急に頭撫でられるし!なんか泣いてるし!なのに俺関係ないって何!?意味分かんないんだけど!?」

久しぶりにおそ松のまくし立てる姿を見た。
確かに私のさっきの行動は、それだけを見ればちぐはぐだし意味不明だ。考えてることが分からないと言われてもしょうがない。

「…ごめん、」
「ごめんはいらねぇ」
「…」
「…」
「…泣いたのは、その、ちょっと思い出してただけだよ。おそ松に、似てて」

だめだ、さっきの感触を思い出すとまた涙が出てきてしまう。
もう戻らないと分かっているのに、最後に会った時の姿が何度も蘇ってくる。
今はそんな場合じゃない。そもそもおそ松は関係ないのだし、こんなことで心配させたくない。
ちゃんと返答しなければと思うのに、とうとう涙が頬を伝う。

「…ごめん、思い出すとこうなっちゃうから。しばらくしたら止ま、」

言葉も涙も一瞬で止まった。
何で、私はおそ松に抱き締められてるんだろう。たった今私に怒ってたはずなのに。
でも、おそ松の全身から伝わる温かさは徐々に悲しみを和らげてくれていた。
慰めようとしてくれているのか、と気付く。
そうだ。前にも同じことがあった。クズだと兄弟に言われてはいるが、おそ松にはこういう優しいところもちゃんとあるのだ。
悲しみの波が引くまで、しばらくおそ松の優しさに甘えさせてもらった。



「…おそ松」
「……」
「ありがとう。もう大丈夫になったよ」
「…そんなに忘れられない奴?」
「そう、だね。でもだいぶ立ち直ってきてはいるから」
「俺に似てたって」
「うん、髪の毛の感じが、少し」
「それだけ?」
「それだけ、かな。あ、でも人懐っこいとこも似てたかも」
「…俺じゃ、代わりになんない?」
「撫でたりとか?」
「それもあるけどそうじゃなくて……ッあークソ!違うだろ!これじゃいつもと変わんないって…!」

私を抱き締めていた手が両肩に置かれ、ぐいと向かい合わせにさせられた。

「杏里!」
「うん」
「俺と!」
「うん」
「っ…!」
「……」
「…俺は!」
「うん」
「お前を!」
「うん」
「っ…!」
「……」
「…〜〜〜っあぁぁぁ!!」

何かを一生懸命言おうとしていたおそ松は、頭を抱えてしゃがみこんでしまった。
私もおそ松に合わせて身を屈める。

「クソ…クソっ…杏里のバカ…何のために今日来たと思って……」
「なんかごめん」
「ごめんはいらねぇっつったろ!」
「ご…うん」
「……」

恨めしそうな顔が一度私を見て、ぷいと横を向く。

「……分かってるよ…言えばいいって、分かってんだけどさぁ……」
「うん?」
「…お前の顔見ると言えねーの。でも、いつかはちゃんとって思ってんだよ、俺だってさぁ…今日だって…くそ……なのにタイミングが……」

子供っぽく膝を抱えた腕が、ぶつぶつと独り言みたいに言葉を繋ぐおそ松の顔をだんだんと隠していく。
どうやら今日店に姿を現したのは私に何か言いたいことがあったかららしい。
しかし今の状態を見るにとても言いにくい話のようだ。しばらく姿を見せなかったり大量にお酒を飲んでいたりしたのは、おそ松なりの心の準備だったのかもしれない。

「おそ松」
「…何」
「言うまで待ってるから焦らなくていいよ」
「……」

さっきは私が泣き止むまで待っていてくれたからこれでおあいこだ。
夜道の端にしゃがみこんでいる私達の輪郭が少しだけ明るくなる。雲が割れて月が出てきたようだ。
おそ松の言葉を待ちながら見ていた寝癖髪が、顔を伏せたまま右を向いたのにつられてひょこんと揺れた。

「…さっきの」
「ん?」

くぐもった声がして、慌てて聞き返した。

「さっきの、奴。そいつに似てたから、俺とつるんでたの?」

さっきの話に戻った、と思いながら「そういうわけじゃないけど」と返す。

「それにおそ松の方が先に出会ったし」
「…そいつにあって俺にないものって、何?」

気のせいか、腕の隙間から聞こえる声が泣きそうになってきている。

「何だろう…でも別に比べることないよ。おそ松にはおそ松の良さがあるんだから」
「例えば?」
「素直なところとか」

実のところ、おそ松も小太郎も感情表現が素直なところは同じだと思っている。
けど、今のおそ松は何かを言う勇気を失っているようなのでその辺は伏せておいた。

「……杏里」
「うん」
「…そいつを忘れろとは言わない。けど…」

おそ松が真剣に、言葉を選びながら何かを言おうとしている。ただし顔はまだ上げてくれていない。

「…俺が一番じゃなくていい」
「え」
「嘘。ほんとは一番がいい。でも今すぐは一番じゃなくていい。いつか…いつかでいいからさぁ」

言葉が途切れ、固く組まれた腕がそろりと動いて、目の前の私の袖を掴む。
その力の弱々しさと震えからおそ松が緊張しているのが分かった。

「俺のこと好きになって」

………どういうことだろう。
か細い声で懇願されたのはまたも意外な内容だった。
びっくりして一瞬時が止まった気がした。
私がおそ松を嫌っているように思わせる何かをしただろうか。
私はよくおそ松に怒られたりするけれど、だからといっておそ松を嫌いになったことはない。
おそ松のストレートな性格は分かっているつもりだし、今まで他人に壁を作られがちだった私にとっては遠慮なく接してくれるおそ松の存在はありがたいのだ。
それに、喜怒哀楽があまり表に出ない私と違って、おそ松は表情がくるくる変わる。そこもおそ松の良いところだと思っている。
私がおそ松をはっきりと拒絶したことだってないはずだ。多分。
いや、でもそういえば、しばらく姿を見せなくなる前に『おそ松の彼女になれない』と言ったっけ。
…もしかしておそ松は、私がそう言ったのをずっと気にしていたんだろうか。
彼女になれないからといって、おそ松が好きではない、ということにはならない。
それにそもそも私がおそ松の彼女になれないのは……
でもこの様子だと、私が自信をなくさせていたのかもしれない。泣いた私を心配してくれたおそ松に理由を説明できていないし、信頼もされていないと思ったのかもしれない。
それで言いたいことも言えず、妙に大人しくなっていたのかと申し訳ない気持ちになりながら口を開く。

「私、おそ松のこと好きだよ」
「…ほ…ほんとにぃ?」
「うん」
「じゃあ…じゃあ彼女になってよぉ…何でダメなのぉ…?」
「だって…おそ松は本当にそれでいいの?」
「…うん。杏里がいい…」
「ならいいよ」

そう答えると、おそ松が「えぇ…?」と顔を上げた。
悲しみと困惑が入り交じったような顔だ。少し涙目でもあるし、本当に泣いていたのかもしれない。

「な、な…何で、そんなあっさり…?」
「何でって言われても…私はおそ松が彼氏で不満はないし」
「は……はあぁ!?!?じゃ何!?今までのは何だったんだよ!!!」
「今までの?」
「今までの全っっ部だよ!!あと何、忘れたくない昔の男とかっ、い…いたんじゃねーの!?」
「昔の男…?」
「……ちょっ、と待てお前……俺で誰を思い出してたの?」
「誰っていうか、私に懐いてくれてた近所の犬」
「あァ!?」
「こないだ、死んじゃって…」
「………………、そっか」

袖を掴んでいた手が私の頭に回されて、ぽんぽんと撫でられる。

「お前、犬好きだもんな」
「うん…でも、もうほとんど立ち直れた。おそ松のおかげ」
「無理すんなよ」
「してないよ。大丈夫」
「ならいいけど」

ん?と私が泣いていないか目を覗き込んでくるおそ松は、ついさっきまで情けない顔だったのに、もう長男らしい頼りがいに溢れている。

「よし。まあ、お前案外分かりやすいもんな。落ち込んでる時とか」
「そうかな」
「そうだよ」
「気付くのおそ松だけだよ」
「んなことねーと思うけど?」

そんなことを当たり前に言ってくれるのも、やっぱりおそ松だけだ。

「何、今笑うとこあった?」
「ううん。好きだなぁと思って」
「え………」
「あ、そういえばおそ松、私に何か用があって店に来たんじゃないの?」
「………何でもねーよバカ!帰るぞ!」
「え、でも」
「いーのもうどーでも!ほら、送ってやるって」
「私一人で帰れるから大丈夫だよ」
「そういうことじゃねーよ!送りたいの!彼女の!家まで!一応お…お前の、彼氏なわけだし!?」
「…そっか。ありがとう」
「……へへ」

店を出た時とは立場が逆だな、と思いつつもひらひらと陽気に差し出されるおそ松の手を握って立ち上がる。
そうか、今日からはおそ松が彼氏になるのか。
そう思うと何だか楽しい気がしてきた。私はお酒を飲んでいないのに、何となく体が温かくなるような感覚がする。
これが恋というものなのか。分からないけれど、今まで見た中で一番嬉しそうにしているおそ松を見て私も嬉しくなったのは確かだった。