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「チョロ松お待たせー」
「…おっそい」
「ごめんってー、あっ待ってよ先行かないで…っとと」

杏里が履き慣れない下駄で転びそうになったので、しょうがないから歩みを遅くしてやる。
こいつとは中学の時からの付き合いだけど年々世話が焼ける奴になっている気がする。
慌てて僕に追い付く杏里を確認してため息をついた。

今年の夏祭りはお神輿を出すらしいと聞いて、普段はこういうイベントに興味を示さない変わり者の杏里が珍しく行きたがった。僕はそのお供に選ばれた。
杏里は最初一人で行くつもりだったらしい。
浴衣も着ていく、なんてはしゃいでいたから、慣れない服を着て慣れないイベントに一人で行くことの危険性について話してやったら「ならチョロ松一緒に行く?」と言われた。
別に一緒に行きたかったわけじゃないけど、危険性を説いた手前そこで突き放すわけにもいかない。
さすがにそれはね。ほら、僕何だかんだ言って面倒見はいいから…

「ねえ君一人?何かおごるから一緒に回らない?」
「えと、一人じゃないので…」

ちょっと目を離すとすぐこれだ!まったく!
後に付いてきてたはずなのに、いつの間にかずっと後ろの方で知らないチャラチャラした男に声を掛けられている。
そいつが強引に肩を抱いたところに割って入って、杏里を連れ出した。

「ったく、ぼーっとしてるからああいうのに捕まんだよ」
「へへ、ごめんごめん。ザンギって何だろ?って見てたら…」
「北海道の鳥の唐揚げだろ。…後で買ってやるから」
「ほんと?わーい!」

ザンギも知らない杏里をトド松は天然だなんて言うけど、僕からしてみれば単に世間知らずなだけだ。
さっきの奴といい、ああいう輩は杏里のそういう隙を見抜くのが上手い。
だから誰かが気を付けて見ててあげなきゃいけないんだ。特にこういう不特定多数の人間がいる場ではね。
本人は昔から無自覚というか無頓着というか…それで周りが振り回されることもしばしばあるってのに。

「ふふ。チョロ松と来て良かった」
「…あっそう」
「ザンギ買ってもらえる」
「そっちかよ!」

人の気も知らずにこんなことを言う。ほんとこいつは…

「ねえ、お神輿まだかな?」
「まだだよ。もう少し暗くなってから」
「早く見たいなー」
「何でそんなにお神輿が見たいわけ?」
「かっこよくない?」
「お神輿が?」
「そう。伝統を感じるよね。神社の倉にずっと眠ってたものでしょ?街の歴史資料だよ」
「ああ…まあそうだね。今年の祭りで数十年ぶりらしいね、お神輿が出るのは」
「ね。だから見ときたかったの。担いでる人もかっこよく見えるじゃない?」
「は?…お前、そういうの好きだっけ?」
「んー、そだね。男!って感じでいいよねー」
「…ふーん…」

なるほどね。
別に興味ないけどね。杏里の好みとか。
ただ杏里は世間知らずだから、質の悪い男に騙されるかもしれない。そこは僕ら周りの人間が注意してあげなきゃいけないところだ。
もしかしたらお神輿を担ぐ連中に目を付けられるかもしれない。見る時はなるべく杏里を僕の後ろに隠しておいた方がいいな。
そうでなくてもすぐ迷子になるんだから、服でも掴んでてもらうか手でも繋いでおくか…い、いや、別に付き合ってはないんだし。
ともかく、人も多いしちゃんと僕に付いてきてもらわなきゃ困る。

「杏里、僕から離れな…」
「チョロ松見てー!」

左斜め後方からのんきな声がする。ああもう、言った側から!
振り返ると一人ガラス細工の店の前にいる杏里。

「ねえチョロ松、これ可愛いよー」

商品の何かを持って顔の横で軽く振っている。
落としたらどうすんだ、まったく。

「売り物を雑に扱うな」
「大丈夫!ちゃんと持ってるよ」

足早に隣へ行って杏里の手の中を見ると、それは茶色だか黄土色だか分からない肌に黒い斑点の入った、お世辞にも綺麗とは言い難い色のカエルの置物だった。
縁日の商品にしては大きく、杏里の手の平と同じぐらいのサイズ。手足を地面に付けて座った格好のそれは、閉じた大口の上の真ん丸な目を見開いてぎょろつかせている。
はっきり言って可愛くはなかった。ブサ可愛いと言えるほどの愛嬌もない。
他にもくりくりした目のウサギや一松の好きそうな猫のガラス細工もあるのに、杏里はこういう変わった物を可愛いと言う傾向がある。

「これいいなー」
「ええ…?こっちの猫の方が断然いいと思うけど」
「…それピンクだからやだ」
「は?何で」
「この目が可愛いんだよ。あ、チョロ松にちょっと似てない?」
「はぁ?全然似てねーわ」

よりによって一番気に入らないこのカエルの目付きが似てるとか。
杏里は気に入ったようで「買おうかなぁ」と呟いている。

「好きにすりゃいいけど、置き場所あんの?」
「うん、それだよね。この子をお迎えするのにふさわしい場所がない」
「ならやめとけば」
「うーん…だよねー…」

迷った挙げ句、杏里はカエルを店へ戻した。何となくほっとした。

「うん、今日はいいや。また縁があったらってことで」

ばいばい、とカエルに手を振る杏里を連れて夜店巡りに戻る。
さて、お神輿が出るまでには時間があるし、もう少しこの辺でもぶらついてやるか。
今度こそ勝手にどこかへ行かないよう杏里の歩幅に合わせて隣を歩く。たまに指先が触れ合ってしまうのは、…しょうがないことだ。
杏里はもう今のカエルを忘れたように、今度はヨーヨー釣りに興味を示していた。

「ヨーヨーって水風船のことなんだねー。チョロ松、あれやっていい?」
「ああ…ほらちゃんと袖まくって、濡れるから」

杏里の浴衣の袖を折ってやると嬉しそうに子供に交じってヨーヨーを釣り始めた。
狙っていた透明の物を釣り上げ、得意げに僕に見せびらかしてみせる無邪気さは中学生の頃となんら変わりない姿だ。

「はいはい、良かったね」
「あの緑のも狙うよ!」

よーし、と腕まくりをして輪ゴムにそっとかぎ針を掛けたはいいものの、ボウルに掬い上げる前にこよりが切れてしまった。

「あー切れちゃった……ん?」

緑の風船が水面に落ちて、ひしめきあう水風船が一瞬左右に分かれ、たらいの底が見えた。
濃い黄色の何かが沈んでいたような気がした。
杏里も気付いたようで、店のおじさんに「風船沈んでません?」と尋ねている。

「どこだい?…んん?何だこれ」

杏里の言う場所に手を入れたおじさんは何かを掴み出した。
カエルだ。
さっき杏里が見ていた、あの。

「何だこりゃ?いつから入ってたんだ?」
「それ、さっきガラス細工の店で同じの見ました」
「ほんとかい?何でこんなとこに…」

カエルはさっきと同じ気味の悪いぎょろついた目で前を見据えている。

「まあいいや、あそこのガラス細工の店だな?おっちゃんが聞いとくよ」
「ありがとうございまーす」

杏里は戦利品の透明な水風船をもらって立ち上がった。

「さ、行こっかチョロ松。…どしたの?」
「ああ、いや…何でもない」
「あーあれ?不思議だねー。あのカエル流行ってるのかな?」
「…んなわけないだろ。同じような景品が出回ってんだよ。ほら行くぞ」

出来るだけ早く店から遠ざかった。
杏里とあれを関わらせたくない。そんな感じがする。
薄気味悪さを振り払おうと足早に抜ける夜店の通りにぽつぽつと灯りがついていく。
空が赤くなり始めている。燃えるような空にも焦燥感を掻き立てられ、一度も後ろを振り返らなかった。
杏里は切り替えが早く、さっそく取ったばかりの水風船に夢中になっている。
意外と楽しいね、なんて言って片手でバシバシと容赦なくついていた。子供かお前は。
周りの人に風船がぶつからないよう見張っていると、今度はかき氷が食べたいと言い出した。
人の流れに沿って、遠くに見えるかき氷ののぼりを目指す。

「チョロ松、かき氷はおごってくれないの?」
「自分で買え」
「なんだー。じゃ半分こしようよ。私買うからさ」

僕の返事を聞く前に杏里はたたっと店へ走っていった。
そういうことするからすぐ迷子になるんだぞ…ったく。
やれやれと杏里の隣に追い付けば、即座に「何味がいい?」と聞かれる。

「何でもいいよ。お前の好きなの選べば」
「んー、じゃあメロンにしよ」
「ほら、順番来たぞ」
「メロンで!あっ、四百円…えっと」

財布から小銭を取り出す手がもたついている。
今後ろには誰も並んでないんだから焦らなくていいのに。まあ、そういうとこが可愛かったりす……いやほらほっとけないというか。子供みたいで。

「はいお姉ちゃん」
「ありがとうございまーす。はい四百円……あれ?ねえ、チョロ松…」

杏里が僕の袖を引く。
言われて見た大型かき氷器の上に、あのカエルがいた。
大きな目でじっと正面を見ている。

「やっぱり流行ってるんじゃない?ねーおばさん」
「はい?」
「このカエル、おばさんのですか?」
「え?…あら?何これ」

さっきと同じだ。
かき氷屋のおばさんは不思議そうに「誰かが置いてったのかしら」と裏に引っ込めたので、僕らはそれ以上詮索せずまた夜店巡りに戻ることが出来た。

「何なんだろうね、よく見るねー」
「よく見るねじゃないよ。…何か、気持ち悪い」
「そう?…うーん、そう言われるとそうかなぁ」

杏里は流されやすい。
歩きながらのんきにかき氷を食べていた手を止めて、「確かに、あんまり見たことない濁った色だったね」と呟いた。

「ガラス細工にしては珍しいし、そこがいいなって最初は思ったけど…」
「買わなくて良かったんじゃない」
「そうかもねー。あそうそう、チョロ松ほら」
「ん!?」

口の中が一気に冷たくなる。
逆に顔の表面は熱くなった。

「っ…い、いきなり突っ込むな!」
「えー?だって半分こしようって言ったから」
「…僕はまだ何も言ってなかったんだけど」
「欲しそうな目してたよー」
「し、してるわけない」

杏里の突拍子もない行動には慣れてるはずだ。なのになぜこんなに落ち着かないんだろう。たかがかき氷を同じスプーンで食べさせられただけだ。
そのスプーンに杏里がまた一すくい氷を乗せて、自分の口に運ぼうとしている。
…あ、食べた。

「チョロ松、もう一口あげようか?」
「え?い、いやいいってもう」
「だってずっと見てくるから…ほんとは食べたかったんでしょ?遠慮しなくていいよー」

杏里がまた氷をすくって「はいあーん」と口に近付けてくる。
差し出されてる以上断るのも悪いから仕方なく口を開けてやる。
何だ、なぜか杏里を直視出来ない。
謎の焦りからずらした視線は、ある店先で止まった。そこから動けなくなった。

「なにチョロ松、何見て…」

今のは僕の失態だった。
僕の視線を辿ってそれを見付けた杏里のスプーンから、ぽたりと緑の氷が落ちた。
輪投げの店に集まる子供たちが騒ぎながら肘をついているその台の隅に、またあのカエル。
体をこっちに向けて丸い目を見開いて。

「え…えーまた?すごい偶然じゃない?…あ、ちょっ、チョロ松」

人波の中を杏里の腕を引いて当てずっぽうに進む。
どこでもいいからこの場を離れさせたかった。あいつの目の届かない場所に行かないと。

「…チョロ松、待って、どこまで行くの?」

杏里の声で我に返った時には、灯りの少ない夜店の端まで来てしまっていた。
周りにはもう店仕舞いしてしまっている屋台の残骸しかない。
見れば人はほとんどいなくなっている。ちょうど大通りへお神輿が出てきたんだろう。祭囃子と一緒に歓声が風に乗って届く。
しまった。お神輿を見せてやるために僕が一緒に来たってのに。

「あ…悪い杏里、大通りに戻ろうか。………杏里?」

どことなく大人しくなってしまった杏里を見る。急ぎ足で疲れさせてしまったか。
杏里は無言になっていた。緑の水の入ったカップが微かに震えている。
僕の服の裾を握り、黙りこんだ杏里の視線を辿った。

「……」
「…………あは、ここまで来るとさすがに、ちょっと怖いよね……」

上手く笑えていない杏里の視線を遮るように前に立つ。
それから目を反らさずに、懐から財布を取り出した。

「…ほら、杏里。これでザンギ買ってこい」
「え、…え?今?」
「あそこにまだ店やってんだろ。売り切れる前に買ってこいよ。お神輿も見るんだろ?」
「うん…でも」
「いいから、ほら」

杏里の背中を押し出す。
杏里は不安げにこっちをちらちら振り返りながら、来た道を戻っていった。
僕はそいつを睨み付けた。
屋根が下ろされただの台となった屋台にぽつんと置かれた例のカエル。
心無しかこいつも僕を睨んでいる気がする。

不快だ。
初めて見た時から気に食わなかった。
こいつの目はずっと杏里のことを見ていた。

ゆっくりとそいつに歩み寄り片手で掴み上げる。
ガラス細工とは思えない、変にぬるりとした感触があった。まるで硬いガラスの皮の下に何かが宿っているような。
何が宿っていようとそんなの関係ねぇけど。
そいつを目の前まで持ち上げ、真正面から向かい合う。

「…お前、次付いてきたら俺が粉々にしてやるからな」

わあっと大通りからの歓声が聞こえる。
カエルを台に戻して杏里の元に向かった。早く行かないと神輿行列が終わってしまう。
案の定杏里はまた、ナンパが目的で来ましたと言わんばかりの男に店の前で絡まれていた。
杏里は隙が多い。よくこういう輩に目を付けられて、その度に僕が追い払ってきた。
これからもそれは僕の役目。

「杏里、行くよ」
「!チョロ松」

声を掛けるとほっとしたようにちょこちょこと走り寄ってきた。
ああまたそんなに急ぐからせっかく買ったものをこぼしそうになってる。
そういうとこがそう、守ってやんなきゃって思うんだよ。昔から。いや別にす、好きとかじゃないし。
杏里が危なっかしい手で運んでくれようとするザンギを頬張りながら、大通りへ向かった。


そうそう。あのカエルは結局、それから一度も姿を見せなかった。
ま、当然だけど。