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夕暮れ時、待ち合わせ場所の公園に来た杏里ちゃんを一目見たぼくは喋り方を忘れてしまった。

「えへへ、せっかくだから浴衣着てきたよ。…変かな?」

紺色にひまわり模様の浴衣の袖口を掴んで、両腕を広げてくるっと回ってみせた杏里ちゃん。
変なんてとんでもない。首を振る。
今日の祭りに行こうって誘ってくれたのは杏里ちゃんだ。
色んな屋台出てるから、おいしいものいっぱい食べようって。
だからぼくもそのつもりで来たけど、もうどうでも良くなっちゃった。
いつもはぼくと野球やったり公園で遊んだりできるようにってズボンばっかりなのに、浴衣姿はどこかのお嬢様みたいで。
適当に結ぶからすぐぼさぼさになってるポニーテールも、今日はきっちりおだんごにまとめられてキラキラした飾りが揺れてる。
やっぱり杏里ちゃんは女の子だ。
だって服と髪型が違うだけでこんなに…変わっちゃうんだから。
「今日も暑いね」って杏里ちゃんが取り出したハンカチだって、首にかける長いスポーツタオルなんかじゃない。小さな薄いレースのタオル。
こういうの杏里ちゃん持ってたんだ…
ほんとにいつもとは違う姿だなぁ。
なんかデートみたい。
……デート!?

「十四松も甚平似合ってるね!…十四松?大丈夫?熱中症?」

杏里ちゃんが浴衣の帯に差してた扇子でぼくをあおいでくれる。
扇子を持つ指先には浴衣とおそろいの色のマニキュア。
届いた風はいい匂いがした。杏里ちゃんの部屋の匂いかな。
………な、なんか、やばいかも。

「…ちょっ…ちょっと待ってて!!そこで待っててー!!」
「えっ、十四松?」

杏里ちゃんを残して、来た道を走った。
確か公園の中にあの屋台が出てたはず………あ!あれだ!
屋台が並ぶ池沿いの遊歩道の一番端、柳の木の下。
軒先にオレンジ色の電球が一つだけで、その明かりに照らされて色んな顔が斜め下の地面を無言で見てる。
ぼくはその屋台の前で止まった。

「すいません!お面一つください!」
「あいよ。何にする?」
「何でもいいよ!」

とにかく何でもいいから顔を隠したかった。ぼくの思ってることが杏里ちゃんにバレちゃいそうだから。
うん。杏里ちゃんは普通に友達で、野球仲間。
たぶん杏里ちゃんもそう思ってくれてるはずだから。だから……

「じゃ、これはどうだい」

差し出されたそれはちょうどおじさんの陰になって何のお面かは分からなかったけど、急いでそれを着けた。
うん、ぴったりだ!目の小さい穴以外はしっかり顔が隠れてる。
財布から千円札を渡すとお釣りが返ってきた。

「ありがとう!じゃ!」
「はいどうも…」

杏里ちゃんのとこに帰らなきゃ。これでもう大丈夫なはず。
少し視界は狭いけど、お面はぼくの顔にぴったりで走ってもずれはしなかった。
杏里ちゃん待たせちゃったな。まだいてくれるかな。
待ち合わせ場所に戻ってきたら、杏里ちゃんはまだそこで待っててくれていた。良かった!

「あっ、もう十四松ってばどこ行っ……え、十四松だよね?」

杏里ちゃんが怪しむようにぼくの顔を覗きこんだので、お面のまま頷いた。
小さい穴から見える杏里ちゃんはやっぱり、いつもの杏里ちゃんとは違う人みたいに映る。

「あはっ、変わったお面だねー。いつもの十四松じゃないみたい」

杏里ちゃんもぼくと同じことを思ってるみたいだ。
でも厳密には同じじゃない。だってぼくは…あああだめだ、考えだしたら普段通りにできなくなっちゃう。考えないようにしよ!
そういえばこれ、何のお面なんだろう。
よく見もしないでかぶってきちゃったけど変わったお面ってどんなだろう。杏里ちゃんが面白がってくれるならいいけど!
ぺたぺたとお面を触っていると、杏里ちゃんも近寄ってきてお面をなで始めた。
わー!顔が近いよ!

「珍しいよね、こういうの縁日で売ってるんだ。私も買おうかなー。十四松とお揃い!」

杏里ちゃんとお揃い。
わあ、それいいな。ほんとにカップルみた…っていやいやいやいや!
余計なことは考えない。純粋にお祭りを楽しまなきゃ。
無になるようにしてたら「十四松は嫌?」と聞かれたので慌ててまた首を振る。

「じゃあ私も買おっと!どこのお店?」

杏里ちゃんをその店に連れてくまでの間、ぼくは他の人の視線が気になって仕方なかった。
ぼくに向けられるのじゃなくて杏里ちゃんの方。ほとんど男の視線。
それはたぶん、今までぼくらがトト子ちゃんを見てたのと同じ視線だ。
杏里ちゃんは全然気づいてなくって「あれ食べたいなぁ」なんて言ってる。

「あ、お囃子聞こえてきたね。お神輿始まったんじゃない?」

そう言って音の方へ顔を向けた、その首筋に汗が一筋流れた。
野球やってて杏里ちゃんが汗かく姿なんて見慣れてるのに、変に緊張しちゃって目をそらしてしまった。
祭りだから?夜だから?

「前にやってた十四松祭りも面白かったねー。あれはもうやらないの?」

そんな質問にすら答えられないぐらいぼくは余裕がなくて、ひたすらお面屋までの道を歩いた。
でも、そうしてたどり着いた店があるはずの場所には何もなかった。柳の葉が揺れてるだけ。
あれ?場所、ここで合ってたと思うんだけど。

「もう閉めちゃったのかな、お店」

杏里ちゃんが残念そうにしてる。ぼくも残念な気分。
しょうがない。お面屋なら他にもあるはずだから、探せばきっと…

「杏里ちゃん」

ぼくの声で杏里ちゃんが振り向いた。
ぼくじゃなくて柳の方を。
だってぼく、今何も喋ってない。

「……あれ?十四松?」

さらさらと葉っぱを揺らして暗がりから出てきたのはぼくだった。
ぼくの顔して、ぼくと同じ甚平で、ぼくと同じ下駄を履いてる。

「杏里ちゃんごめんね!お待たせ!」

だ、誰ー!!?

……って叫んだはずが、声が出ない。
えっ!何で!?
何か言おうとしても出てくるのは息だけで、ぼくの声だけどこかに行ったみたい。
てかこいつほんとに誰!?兄さん!?トッティ!?
いや、でも…どこからどう見てもぼくだ。ぼくがぼくを見間違えるわけない。
ぼくと杏里ちゃんがびっくりしてる間に、そいつはすたすたと近づいてきて杏里ちゃんの手を取った。あー!!

「杏里ちゃん、あっちにたこ焼き売ってたよ。買いに行こー!」
「えっ…うん…え?じゃあこっちの十四松は…?」

杏里ちゃんが本物のぼくの目を覗きこむ。
ぼくだよ!ぼくはこっち!あー声出ないんだった!
お面を取ろうとした。でも外せない。
耳にかけたゴムもお面も、爪を引っかけて引っ張っても全然離れてくれない。何でー!?

「どうしたの?」

ぼくがお面を外そうとしてるのを見て杏里ちゃんが声をかけてくれる。
その隣にいる二番目のぼくはぼくを無視して「早く行こうよー」なんて言ってる。
そいつはぼくじゃないって伝えたくってそいつを指さしたり頭を振ったりしたけど、杏里ちゃんは「ん?」と首をかしげる。
ぼくは必死でジェスチャーで訴えた。

「んー…?うん!まあいっか!三人で一緒に回ろ!」

だよねー!杏里ちゃんこーいうとこ大ざっぱだもんねー!
でももっと気にしてほしい!そいつぼくじゃないよ!ぼくだけど!違うよー!

「よーし、じゃあ先にたこ焼き買いに行こっか」
「たこ焼きたこ焼き!」

歩き始めた杏里ちゃんとそいつが盛り上がってる。繋いだ手をぶんぶん振って。
置いてかれないようにぼくも急いで付いてく。
夜店を眺めながら杏里ちゃんとお喋りしてる、声が出る方のぼく。
すごく楽しそう。二人とも。
何だよ…誰なの?こいつ…
今日杏里ちゃんと祭りに来たのはぼくなのに。
杏里ちゃんから誘われたのはぼくなのに!

「杏里ちゃん、たこ焼きのソース何にする?」
「そうだなー。マヨネーズと、ポン酢と…」

のんきにそんなこと話してる場合じゃないよ!お前!誰なんだ!
追及したいのに声が出せない。
何でお面も外れないの!?んもー!
そうこうしてるうちにたこ焼き屋についてしまった。
「杏里ちゃん、ぼくがたこ焼き買ってあげる!」なんてぼくじゃないぼくが言う。

「いいの?ありがとう!」

ぼ、ぼくだって杏里ちゃんには買ってあげるつもりだったしー!
お面と格闘してた手を離して慌てて財布を出そうとしたけど、一足遅かった。
たこ焼きを受け取ったそいつは杏里ちゃんにつまようじを渡している。

「はい、杏里ちゃん。先にどうぞ」
「ありがとう。…んー!おいしい!」
「良かった!」
「お祭りで食べるご飯って何でこんなにおいしんだろうねー」
「ねー!」
「冷めないうちに食べよ!十四松は?食べれる?」

杏里ちゃんがぼくにつまようじを渡してくれる。
でもお面が外れないんだよー!
しょうがなく首を横に振る。

「うーん、まだ外れないのか。どうしようね…」
「その内外れるんじゃない?ほっといて食べよーよ!冷めちゃうよ?」
「んー、そだね…たこ焼きは後でも買いに来れるし、熱い方がおいしいもんね。そうだ!ペンチ貸してもらって、外せるか試してみよっか」
「後でいいんじゃない?それに、ただのお面が外れないなんてあり得ないよ。杏里ちゃんに構ってほしくて嘘ついてるだけだよ」
「えー…そうなの?」

全っっ然違う!!
兄さんの誰かだったらコロス…!!
握りしめた手のひらに爪がギリギリと食い込む。
憎しみを込めてお面の下からそいつの横顔をにらんだ。
ぼくが喋れないからって勝手なこと言っ………ん?何だあれ。
そいつの頬骨のところに、縦にうっすら線が入ってる。
よく見るとその線は眉毛の上からアゴの下まで輪郭に沿ってずっと続いている。
ピンときた。
こいつ、ぼくのお面をかぶってるんだ。めちゃくちゃ薄いお面。
パックって言った方がいいかもしれない。トッティが顔パックしてる時こんな感じだから。
つまりこいつはニセモノのぼく!ぼくがここにいる時点で最初からニセモノだって分かってたけどね!
ついでに兄さんたちでもない。ぼくら、顔だけは偽る必要ないもんね。
それを杏里ちゃんに伝えたいのに声はまだ出ない。
どーいうわけか知らないけど、声が出なくなったのもお面が外れなくなったのもぜっっったいこいつのせいだ!

「それじゃ、さっきのお面屋さん探してみよ?もしかしたら何かからくりのあるお面かも。外し方教えてもらおうよ」
「…いいよ!じゃ行こ!」

ニセモノが杏里ちゃんとまた手を繋ぐ。
くそー!お前の好きにはさせない!
悔しくてぼくも杏里ちゃんの手を取った。
杏里ちゃんがいつもと違って見えて気まずいなんて言ってられない。杏里ちゃんと仲いいのはぼく!
杏里ちゃんはこっちを見てくれた。でもぼくじゃないぼくが、見計らったように「ねーねー」って杏里ちゃんの手を引く。

「杏里ちゃん、浴衣自分で着たの?」
「うん、そうだよ。お母さんに教えてもらった」
「へー!すっごいね!めっちゃ似合ってる!」
「えへへー。そう?」
「うん!この爪も自分でやったの?」
「ううん、これはお店の人にやってもらったんだー」
「へえー!いいね!すっげー可愛い!」

そいつの言葉に杏里ちゃんが黙った。

「…そっ…そう?あは、照れるなぁ…で、でも嬉しい」

な、何その顔。
今まで見たことない女の子の顔だ。
杏里ちゃんをそんな顔にさせた本人は、気のせいかぼくに自慢げな視線を送ってきた。
む、ムカつく。自分の顔だけど。

「杏里ちゃんと一緒に来れて嬉しいなー。デートみたい」

にっこり笑ってそんなことを言う。
デートなんて、杏里ちゃんを困らせたくないから言わないようにしてたのに!こいつ!
でも杏里ちゃんは「デート…」って繰り返したっきり、赤くなってうつむいた。
繋いだ手が何だか熱い。
こんな杏里ちゃん見たことない。
だっていつもはぼくが何やったって何言ったって十四松おもしろいって笑ってくれるから。
こんな…こんな杏里ちゃん可愛すぎる!

「杏里ちゃん照れてるの?可愛いねー」

黙れー!!それぼくのセリフ!!
あー今声出ないんだったチクショー!!何これ!!
あああムカつく……
知ってるよ!知ってたよ!杏里ちゃんが元から可愛いのなんて!
でもぼくが知ってればそれでいいの!他の奴には分からなくていーの!!
よりによってぼくのふりした奴に先越されるなんてー!
喋れたらぼくだって、ぼくだって……

でも、気まずくなるのが嫌だってお面をつけたのはぼくの方だ。
もしお面を買いに行かなかったとして、ぼくは同じ言葉を杏里ちゃんに言えたかな。
お面を上からそっと触ると冷たかった。今ぼく、どんな顔してるんだろう。

「杏里ちゃん見て、池に灯りが映って綺麗だよ」

ぼくのことなんかお構いなしにニセモノが杏里ちゃんの手を引いていって、自然とぼくと杏里ちゃんの手が離れる。
二人は遊歩道から池の上に伸びた橋を渡って、浮見堂へ向かっていく。
杏里ちゃんは振り返ってくれたけど、もう一度手を繋ぐ資格がなくなった気がして後ろからのろのろ付いていった。
何だかぼくの方がお邪魔虫みたいだ。
浮御堂の欄干から二人が少し身を乗り出して、向こう岸の夜店を眺めてる。
そいつの言う通り確かに綺麗で、灯りが水面に映って池の中でも祭りをやってるみたいに見えた。
たくさんの人でにぎやかな上の祭りと、静かに揺れてるだけの下の祭り。
…ふと思った。
このまま、お面が取れなくて声も出せないままだったらどうしよう。
ニセモノのぼくが本物になっちゃうのかな。
兄さんやトッティに交じって家で暮らして。野球の練習もして。時々杏里ちゃんと遊んで。

「わあ、ほんとだ!綺麗」
「でも今日の杏里ちゃんが一番綺麗だと思う!」

こうやって、ぼくが本当は言いたかったことを全部伝えて。

「…あ…ありがと…」

杏里ちゃんと、いつか。

お面に手をかけた。
思いっきり力を込めて爪を立てて、顔からお面を引っぱる。

「…っ…!!」

なかなかはがれてくれない。
顔の皮膚が持ってかれそう。
でも今、今はがさないといけない。

「……ふ…んぬ……!」

止まってた声が出た。あとちょっと。

「っ……っだぁぁぁああ!!」

強力な磁石同士をはがすみたいに、ぼくの顔とお面は勢いよく離れた。
反動で後ろにこけたしお面は手を離れて飛んでいった。
でも今はお面どころじゃない。

「杏里ちゃん!!」

すぐ起き上がって、杏里ちゃんの手をそいつから奪い取った。
びっくりした顔の杏里ちゃんが見えた。すぐ頭下げたから一瞬だったけど。

「ぼくと!!付き合ってください!!」
「…………えっ」
「オナシャス!!!」

杏里ちゃんの両手を握りしめる。

「……ま、待って、急に?十四松…」
「はい!ぼくがほんとの十四松!あいつニセモノ!」
「それは分かってるけど…!」
「付き合ってください!!お願いします!!…え!?」

杏里ちゃん、ぼくの方が本物だって分かってたの!?
顔を上げたら真っ赤な顔してぼくを見てる杏里ちゃん。わあ。すごく可愛い。

「…いいのかな。私、女の子らしくないって自分でも思うし…」
「そ、そんなことない!杏里ちゃん可愛いよ!すっげー可愛い!ぼくと一緒に泥だらけになっても何してても、いつだって可愛い!」
「………ありがと。嬉しい…」

杏里ちゃんがぼくの手を握り返してくれた。
これってオッケーってことだよね!?やったー!!

「てわけで!お前誰!?……あれ?」

いない。
すぐ側にいたはずのそいつはいなくて、浮御堂にはぼくら二人だけだった。
あのお面もなかった。
その後杏里ちゃんと二人で探したけど、どこかに引っかかってもないし池にも浮いてなかった。
何だったんだろう。
ぼくはちょっとぞくっとしたけど、杏里ちゃんは「不思議だねー」ってあっさり終わらせちゃった。
そーだよね!杏里ちゃんはそういうとこ気にしないもんねー!
じゃあぼくも気にしない!

「あ、もう一回たこ焼き買いに行こっか!」

そう言って笑ってくれる杏里ちゃんがすごく好き。
これからはちゃんと大事なことは言わなきゃ。喋れなくなる前に。
そういえば、何であいつがぼくじゃないか分かってたのか聞いたら「あの子影がなかったよ」だって。
…全然気づかなかった。
でももういっか、どーでも!