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缶ビール片手に屋台通りをふらふらと歩く。
弟たちとはぐれたのはずいぶん前のことで、探すのにも飽きてしまった。
というか諦めた。
何で着いたとたん散り散りになるわけ?しかも長男おいてくなんてあいつらほんとひどい。バカ。
周りの奴らがほとんどカップルなのも気に食わない。全員死ぬか彼女シェアしてくんねーかな。
お、あの子うなじ綺麗。なんて思う間に別の男が肩を抱いて連れていく。
あーあ…夏祭りなんて一人で来ても楽しくねーじゃん。ビールが飲めるとこだけ最高。
残り半分になってしまった缶に口をつける。
どっかでもう一本買わないとなー。飲まなきゃやってらんないよお兄ちゃん。
にしても。
今回は張り切ったもんだなー。その辺をぐるりと見回す。
オレンジの空の下、ずらりと並ぶ屋台の上の紅白の提灯が点り始めた夏祭り。
赤塚区の自治会と商店街が結託して、今年は神輿行列もやるらしい。大通りに出てきた法被姿の青年団が人払いをし始めている。
いつもより盛り上がってる気がすんな。人も多いし。
まー言ってもここ都心ですから?
俺のお膝元ですからぁ?
だから仲良さそうに手なんか繋ぎやがって俺を空気のごとくスルーしていくカップル共は俺に感謝まではいかずとも会釈ぐらいすべきなんじゃないの?ねえ。くそ。
あーもうんなこと言ってる間にビールないじゃん!

「えぇー…どこぉ?」

ビールの売ってる屋台を探してまた歩く。
探し始めると見つからないもので、人の流れに逆らっている内に裏通りの神社の近くまで来てしまった。
木と石の囲いが立ち並んで普段から暗い神社前の道は、大通りと同じように提灯が吊られていても何となく薄暗い雰囲気が残っている。
陽が傾いてから鳴き始めたひぐらしの声がなんか寂しい感じ。
ここにも色んな店が出てるけど、ほとんどが子供向けのゲームの店ばっかりだ。境内にもあるっぽい。
どんなもんかと鳥居のとこから中を覗こうとしたら、前見てない子供が二人はしゃぎながら出てきて危うくぶつかるとこだった。

「っ…と」

間一髪避けた。
水ふうせんをそれぞれ片手に持った男の子と女の子は、俺に目もくれず笑い合いながら走っていく。

「…なんっだよ…」

は?まさかデート?小学生っぽかったけど?
あの歳で女の子と二人で祭り来てんの?
けしからなさすぎる。お兄ちゃん君たちの将来が心配だよ。心配すぎてなんか泣きそう。
もー帰ろっかな…とりあえずビール買ってから。
みじめな気持ちでまた歩きだしたものの、結局ビールの売店は見つかんなくて、あっても売り切れとかで、駅前の浴衣カップルでごった返すコンビニで買った。
すごすごと来た道を戻る。
はあーあ、わざわざ祭りに来た意味って何なんだろうな。
浴衣着てるだけで普段の俺じゃん。行動が。
いつの間にか軽くなっている缶片手に、またふらふらと神社前の陰気な道へ入ってしまった。
日も沈んだからか人通りが少なくていっそう暗い。ひぐらしももう鳴いてない。
まだ屋台はやってるけど寂しい道だなマジで…あー思い出したじゃんさっきの。
ったく、近頃の子供はませちゃって。
俺ですらトト子ちゃんと遊ぶ時いつもあいつらと一緒だったし。子供の頃そんないい思い出なんか一つも…

いや、あった。

鳥居の前で思わず立ち止まった。
なぜか唐突に思い出した。
あの子のこと。
酔いを冷ますような風に神社の木々がざわざわとうごめく。一つの大きな黒い生き物みたいに。
そう、あれも夏祭りで、こんな夕闇の中で、神社の前で。
夜を背負う鳥居を見上げた。



中学の夏休みだった。
今年こそトト子ちゃんと過ごせると期待していたものの、あっけなくフラれ、兄弟でしぶしぶ祭りに繰り出した。
そこで偶然クラスメートの女の子に会った。
小山杏里。
トト子ちゃんとは反対に大人しくて友達も少ない、地味な子だった。
席替えでたまたま隣の席になって、話してみると意外にいい子で、俺の話にほっぺたを赤くして笑ってくれた。それが可愛くて何となく気になっていた子。
その時も、一緒に来るはずの友達に用事ができたみたいで一人で来た、って恥ずかしそうに笑ってたっけ。
当時のあいつらにしては珍しく何かを察して、わざと俺をおいてけぼりにした。それで俺は小山さんと一緒にいることになった。
そう、あの時はまだ名前で呼べなかったんだった。心の中では練習してたけど、結局一回も名前で呼べたことはなかった。
小山さんと何を話したか、緊張してあまり記憶にない。
初めて見る浴衣姿の小山さんがすごく大人びて見えて、俺が何か言うたびに笑ってくれたのは覚えてる。
正直このままうまく行けば付き合えんじゃねえのって思った。
ずっと自然に手を繋ぐタイミングをうかがってて、よし、今だって思った時に小山さんがよろめいた。
見ると鼻緒がゆるんだ下駄。
白木の台によく映える、赤地に白と金の花模様が入った鼻緒だった。
どうしようって小山さんが困った顔をするから、いいとこ見せたくて俺が直してあげるって言ったんだよな。
近くの神社の石段に小山さんを座らせて、俺はその隣に何でもない風を装って座った。
ぼんやりした提灯の光の下、いじってみたけどどうやっても元通りにできない。小山さん待たせてるしだんだん焦ってくるし。
小山さんはもういいよって言ったけど、意地でも直してあげたかった俺は鼻緒の代わりになる物を探してくるって言って、小山さんをそこに待たせて商店街に向かった。
帰ってきたら、小山さんはいなかった。
たぶん俺が遅くて待てなかったんだろうと思った。肝心な時にかっこいいとこを見せれなかった俺は相当落ち込んで帰った。
夏休み明け、学校で謝ろうと思っていた。これで小山さんと仲良くできなくなるのはどうしても嫌だった。
できればまた仲良く喋ったりして、それで今度はちゃんと俺から誘って二人でどっか行けたりして、なんて。
でも新学期、小山さんはいなかった。
学校を休んだんじゃない。
そんな子はいないことになっていた。
クラスメートや先生に聞いても「誰?」としか返ってこず、兄弟やトト子ちゃんに問い詰めても「違うクラスの子の顔なんか知らない」で終わった。
俺の妄想だったのか。祭りに浮かれて変な夢を見てたのか。
そんなわけない。
小山さんは確かにいて、俺の隣の席で落書き一つない教科書を見せてくれたし、俺が買ってあげた白い綿あめを食べておいしいって笑ってくれた。
最後に見たのは神社の石段で、提灯の淡い光の中に裸足になった足をさらして、ここで待ってるねって小さく手を振ってくれた姿だ。



あの日小山さんが座っていた場所を見下ろす。
冷たい色の石段は、誰も座らせたことのないような顔して遠くの祭囃子を聞いている。今ちょうど神輿が通ってるんだろう。
そこに腰かけてビールを一口飲んだ。
今はうまいとは思えなかった。

「兄ちゃん、射的やらないかい」

石段の脇、ボロボロの『まとや』ののれんの下から、黄色い歯を見せてやけににんまりした顔のジジイがこっちをのぞいている。

「いーよ、金ないし」
「いいもん揃ってんだけどなぁ」
「どうせパチもんばっかじゃねえの」
「客来なくてヒマなんだよ。な?おっちゃんを助けると思って」
「わーかった、見るだけね」

よっこらしょ、と立ち上がる。
酔いが回ったせいか周りがぼやぼやとふやけて見えた。

「ほらどうよ兄ちゃん。なかなかいいもんあるだろ?」

年季の入った台に肘をついて、三段ある棚に置かれた景品をざっと眺める。
もうあらかた取られたのか数はそんなに多くなかった。

「あー、俺の腕を披露するほどじゃないね」
「ちぇっ、今の若いもんは贅沢だねぇ」
「いやせめて現金とか……」

ふと、上段の一番端にある物が目についた。
屋台のライトから少し外れた暗がりに斜めに立てかけてあるそれを見て、自分は間違ってなかったと思った。

「…やっぱやる。いくら?」
「五発で百円」

安い。
ポケットを探る。
コンビニのお釣りが五十円と十円玉五枚。それと引き換えに受け取った鉄砲に、コルクの弾を詰めて軽く狙いを定める。
パン、と音を出した一発目は全然外れて、屋台の柱に当たって落ちた。
二発目は上段の土台。コルク弾のくせに立派に弾痕が残った。
三発目。すぐ隣の『歯』とだけ書かれたちゃちなプラモデルの箱に当たった。揺れただけで落ちはしなかった。
今時珍しいキセルを片手に白い煙を吐くジジイが面白そうに見てくる。

「惜しいねぇ」
「るせぇ」

四発目。
コツは掴んだ。もうちょい腕を伸ばしてぶれさせずに。
かすった。パタ、と音がして後ろの緋色の垂れ幕だけが揺れる。

「今のおまけしてよ」
「ダメだね。ちゃんと落とさないと」
「チッ。ケチ」
「自分で落としてみろよ、兄ちゃん」

ジジイの野次を聞き流しながら最後の弾を込める。
癖も大体飲み込めた。銃口を一度まっすぐ向けてから、少し左上にずらし定める。
そうしておいて、呼吸を整えて引き金を引いた。
乾いた音と共に飛び出たコルク弾は狙い通り右下のいい位置に当たり、くるりとお辞儀するように前に倒れる。
ココン、と地面に落ちたそれを、煙を吐ききったジジイが拾い上げた。

「はいおめでとさん」

鈍いオレンジのライトの下、受け取って見たそれはあの時と何も変わってなかった。
見間違うはずもない。
どうにかこうにか直そうとしてずいぶん長い間にらめっこしていた、あの子の下駄。
鼻緒がゆるんだままの。
屋台を離れ神社の石段へ戻り、母さんから持たされた白地に青い波模様の入った手拭いを取り出した。
歯でぷつりと切り込みを入れて左右に引くと、布は簡単に半分に裂けた。ゆるんだ鼻緒を外し、手拭いを代わりに取り付ける。
あの後帰ってから父さんに直し方を聞いたっけ。手拭いを使うなんてあの時は思い付かなかった。
目の前に掲げた下駄は白と青の鼻緒が薄光りしている。
一気に地味になってしまった。こんなのでもあの子は喜んでくれただろうか。

「……今さらなぁ」

はぁ、とうなだれた首筋に夜風が通り抜けていく。

「おそ松くん?何やってんの?」

は、と顔を上げた先にトト子ちゃんがいた。ピンクの浴衣が超似合ってる。

「トト子ちゃんこそ!何やってんのこんなとこで?」
「お神輿見てたんだけどぉ、カップル多くてムカつくからいっぱい買い食いしてた!」
「さっすがトト子ちゃん!それでも可愛いよぉ!」
「えへへっ!おそ松くんはお神輿見なかったの?こんなとこでお酒ばっか飲んじゃって、なーんかいつもと変わんないねー」
「え?あー、いや…」

答えに詰まったのは、手に持っていたのがビール缶だけなことに気付いたからだった。
うろうろと目だけで辺りを探ってもあの下駄が見当たらない。ついでに『まとや』もいない。
え?今持ってたじゃん俺。酔って一瞬の内に見た夢とか、んな情けないオチやめてよ。

「どうしたの?」
「え、あは、いや何でもない」

とりあえずぬるくなっているビールは飲み干してしまった。
どうやらこれは本物だ。

「そうだ!おそ松くんにいいこと教えたげる」
「えーなになに?」
「ふふーん」

トト子ちゃんが得意げに笑いながら近付いてきた。
それからないしょ話をするみたいに口の横に手を添える。

「さっき、小山さん見かけたよ」
「………は…?」
「覚えてないの?中学一緒だったじゃない。私は同じクラスじゃなかったけど、お父さんの仕事の都合とかで途中で転校したんだっけ。まあ地味な子だったよねー。でもおそ松くん、小山さんのこと好きだったってカラ松くんたちが…」

思わずトト子ちゃんに詰め寄ってしまっていた。

「どこ!?どこで見たの!」
「え、あっちの綿あめ屋さんの前……おそ松くん?」

トト子ちゃんの指した方へ走り出す。
酔ってたのが嘘みたいに足はしっかり地面を蹴れていた。
裏通りにけたたましく鳴っていた下駄の音はいつしか大通りの喧騒にまぎれ、人波をかき分けたどり着いた先に『わたあめ』の文字。
店先には親子とカップルだけ。

「…は…っ、…はぁ……っ」

あーくそ、胸がいてぇ。浴衣走りにくっ。
でもまだ遠くには行ってないはず…


「おそ松くん?」


初めて聞く懐かしい声が後ろで聞こえた。
息を整える間も惜しくて反射的に振り返る。
ふわふわの綿あめを片手に持つ姿はあの頃よりももっとずっと大人っぽくて。

「……小山…さん」
「覚えててくれたんだ。久しぶり」

控えめに、恥ずかしそうに笑う顔には面影が残っていた。
本物か?
あの時みたいに目を離したら消えちゃうんじゃないかって、人波を背にした小山さんをじっと見つめた。
小山さんはちょっとだけ、首筋まで赤くなって目をきょろきょろさせた。
か、かわいい。

「お…おそ松くん、大人になったね」

俺の持っている空のビール缶を見つけた小山さんがはにかみながら言う。

「小山さんも……、……えっと、こっちに帰ってきたん、だ?」
「うん。お父さんがまたこっちの会社に戻るの。私も就職はこっちでするつもり」
「あ、そうなんだ…」
「おそ松くん、一人?」
「ああ、うんそう、あいつらに置いてかれちゃって…」
「…ふふ、あの時と同じだね」

綿あめで顔を隠すようにしてくすくす笑っている。
小山さんだ。間違いなく。

「…よ、良かったら…一緒に回らない?」

大人になっても俺が言えるのは中学生の時と同じセリフで、あの時以上に緊張している。
ビール缶が汗でぬるりと滑りかけたのを掴みなおし、手をこっそり背中に回して拭いた。

「いいよ」

同じ返事がもらえたことにまた緊張する。
じゃあ、と適当に歩き出した方向へ小山さんは付いてきてくれた。
…やべぇ。何話していいか全然分かんねえ。
ちらりと横目で見た小山さんは、夜の蒸し暑さのせいか、はたまた祭りの熱気がそうさせるのか、何て言うかすごくしっとりしてて色っぽい。
母さんの風呂上がりとは全っ然違う。いや何で母さんだよ。比較対象が悲しすぎる。

「おそ松くん」
「はっ、はい!?」
「ふふ、何で敬語なの?」
「いや、何か、だって」
「綿あめ、食べる?」
「え、いいの?」
「あの時はおそ松くんが買ってくれたから、お返し」
「…そっか、じゃあ」

一口ちぎってもらった綿あめは甘くてすぐにふわっと溶けた。
小山さんもこういう味がする気がする。何となく。

「…小山さんは、彼氏とか、いんの?」

考える間もなく口に出してた。

「…ううん、いないよ。…おそ松くんこそ、いないの?」
「俺?俺なんかもう、ぜーんぜん」
「…そっか」

何なのその笑顔。めっちゃ期待しちゃうんだけど!ねえ!

「…あ…あー、その、じゃあ俺たち、恋人いない同士…だね」
「そうだね…」
「……」
「……」

浴衣の袖がひらりと俺の腕をかすめる。
これは、言うしか。もう言うしかない。
覚悟を決めて思い切り吸った息は、小山さんがよろめいて俺に掴まったおかげでまた空中に帰っていった。

「ご、ごめんね…!」
「っえ!?いや全然!?だ、大丈夫?」
「うん……あ、鼻緒が」

小山さんの目線をたどる。
白木の台と、白地に青い線が入った鼻緒の下駄。その片方がゆるんでいる。

「どうしよう…」
「あー…さっき適当に結んじゃったから…」
「え?」
「いやいや、こっちの話…とりあえずあそこまで行こ。手貸すよ」

俺より細い指をした小山さんの手はしっとりと俺の手になじんだ。小山さんのきめ細やかな肌のせいか俺の手汗のせいか…この際どーでもいい。
小山さんはゆるんだ鼻緒の下駄を何とか突っ掛けたまま、ゆっくり俺の隣を歩いた。
屋台通りを横にそれ、白っぽい街灯の照らすコインパーキングのブロックに小山さんを座らせる。

「ほんとにごめんね。前もこんなことあったよね…」
「いーっていーって!俺こそあん時はごめん、直してあげらんなくて…」
「ううん、嬉しかったよ」
「でも今度は任せてー。俺直し方知ってっからさ」

胸元から手拭いを取り出す。
それは半分裂かれたままで、鼻緒の代わりにするには持ってこいだった。

「あ、そっか。手拭い使えば良かったんだね」
「そ。これ代わりに通せばいいんだよ」
「おそ松くん、頭いい」
「へへ、だろ〜?」
「うん。おそ松くんのおかげで、まだお祭り楽しめるね」

鼻緒のゆるんだ下駄を小山さんの足からそっと抜き取った。
下駄のかかとには、何かが当たったような痕が付いていた。

「…ありがとう、おそ松くん」