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「#エロ」のBL小説を読む
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「おはよう、杏里ちゃん」
「…ん…おはよ、一松く…………一松くん!?」

朝、資料ノートの前に突っ伏して寝ていた私は、いるはずのない一松くんの姿に飛び起きた。
なぜならここは私の住んでるアパートの部屋だから。
いつ入ってきたんだろう…!

「あ、あれ?私、鍵閉めてなかった…?」
「鍵?ああ…うん、閉まってなかったよ」
「閉め忘れて寝ちゃってたんだ…!」

なんて無用心な!
レポートの締切が迫ってるからって、無理して徹夜は良くないなぁ…!
反省しきりの私の隣で、一松くんは何だか物珍しそうに机の上に転がっている花の飾りのついたシャーペンを見ていた。
かと思うとそれで私の髪をくるくると上手くまとめて挿し、満足そうにしている。
手で触ってみた感じ、かんざしみたいになってる…

「可愛い」
「う…い、一松くん、今来たの?」
「うん。勝手に入ってごめん。杏里ちゃんに何かあったらと思ったら心配になって」
「ううん!ごめんね、心配かけて。一人暮らしだから気をつけなきゃいけないのに…」
「まあ何もさせやしないけどねそこらの奴には」

ほっぺたに手を添えられてじっと見つめられる。

「うう…あの、一松くん、私顔が今…あんまり…」

恥ずかしくなって、一松くんの視線を手で遮った。
寝起きでノーメイクだから余計に恥ずかしいよ…!変な跡とか付いてないかな…!?

「何で?ずっと見てたい」
「…うう…」
「杏里ちゃんが嫌なら、やめるけど」

しょうがなく、って顔で一松くんの手が離れてちょっとほっとした。
一松くんのことが好きかもしれないって気づいてから、こういうスキンシップをされると本当に心臓に悪いよ…!

「いいけどね、これからいつでもできるし…」
「か、顔洗ってくるね!」

どぎまぎしながら洗面所に一人で向かう。
一松くんは初めて会った時からずっと積極的だし距離も近い。
『杏里ちゃんしか見てない』って言われたこともあったっけ。
す…好きなのかな、一松くんって、私のこと……
でもはっきり好きって言われてはないんだよね。どういう意味かは置いておいて、好かれてるとは思うけど…私と同じ好きだって、思っていいのかな。
考えてみれば不思議だ。
普通ならこういう距離感の人は苦手なはずなのに、一松くんはなぜか最初からすんなり受け入れてしまってる。私も嫌じゃないし。
一松くんは人たらしなのかもしれない。
単にそうなだけで、私のことは特別好きじゃなかったりして。
だったら悲しいな……
顔を洗って戻ってくると、一松くんは私のベッドへ顔を伏せていた。

「…杏里ちゃんの匂いがする…」
「一松くん?眠い?」
「…ううん」

顔を上げた一松くんは「今日は大松山に行こう」と、とあるご利益があることで有名な山の名前を挙げた。
もちろんこの山も六子山の一つ。

「分かった。待ってね、着替えて朝ご飯を」
「朝ご飯ならあるよ」

一松くんは風呂敷から、細い紐でくくられた大きな葉の包みを取り出した。

「いなり寿司。俺が作ったやつだけど…」
「一松くんが?わぁ、食べていいの?」
「うん。杏里ちゃんに食べさせるために作ったから」
「えっ、嬉しい!ありがとう!」

ごそごそと包みを解いた中には、きっちりと二列に詰めて並べられたいなり寿司。
一松くん、几帳面なんだなぁ。
それに葉っぱに包むって雰囲気ある…!

「どうぞ」
「やったー。いただきまーす」

一松くんが勧めてくれたので、ありがたくいただくことにした。
一口頬張ると優しい甘みが広がる。
おいしい、と思った瞬間、周りの風景がふわりと紫がかってぼけた気がした。
まばたきをするとすぐ元に戻ったけど、今のは何だったんだろう…

「おいしい?」
「うん、おいしいよ!」

一松くんが期待の目で聞いてきて、その感覚はすぐに忘れてしまった。

「ほんとはもっと早く食べてもらいたかったけど、きつねうどんがうますぎて忘れてた」
「えへへ、そうなの?一松くん料理得意なんだ」
「得意ってわけじゃないけど…食べてもらった方が早く慣れるから」
「?そうなんだ。おいしいよ」
「そう。良かった」
「ふふふ、一松くんおすすめの油揚げ使ってたり?」
「まあね。…そんなに気に入った?」
「うん、私はこれ好き」
「…へへ」

一松くんが嬉しそうに笑う。私まで嬉しくなっちゃう。
私も一松くんの好きな物作ってあげたらこんな風に喜んでくれるかなぁ、なんて思った。
あ、でも食堂のきつねうどん以上に喜んでくれる物作れるかな。
油揚げ使った料理、ちょっと研究してみようかな…



大松山は正面に川が流れている山で、川に沿って『大松大明神』と書かれた赤いのぼりが並んでいた。
石橋の渡り口には黒い屋根付きの真っ赤な大きい鳥居。渡った先の山の入り口にはまた大きな石の鳥居と、立派な石灯籠が二つ。
鳥居の奥には、背の高い木々に挟まれて、石灯籠と石段がずっと上へ続いているのが見えた。
近くには広い駐車場もあって、遠くからも参拝客が来ているみたい。
こういうの荘厳って言うのかな。相当ご利益のある神社だって雰囲気がする。
ぼーっと眺めていると、「杏里ちゃん、ここ来たことある?」と尋ねられた。

「ううん。初めて」

ここの神社のご利益は私が受けてもしょうがないものだしね。
一松くんは私の返事に「本当?」と念を押した。

「うん、どうして?」
「あっちに着いてから説明する。…一応俺の側、離れないでね」
「分かった…」

言いながら手を繋がれた。いつもよりしっかり握られてドキドキしてしまう。
でも…何だろう、心霊スポットだって言われてる犬神山の時より何か警戒してるみたい。
言われた通り拝殿まで一松くんから離れないように来たけれど、特に何も起こらなかった。
有名な神社だけあって参拝客は今日もいっぱい。拝殿だけじゃなく、社務所や絵馬掛所も賑わっている。
ただ観光地として有名な八八山と違って、ここには一人で来ている人が多い印象だ。
グループで来ている人たちもはしゃぐわけでもなく、真剣な顔でお参りしている。

「杏里ちゃん、ここにはお参りしなくていいからね」

けど一松くんがそんなことを言うのでちょっとびっくりした。

「えっ、ここでお祈りしても無駄ってこと?」
「無駄ではないけど、ここで祈願するのは危険すぎる」
「え…?」
「もし杏里ちゃんが成功したいなら俺が叶えてあげるし」
「あはは、ありがとう。でも私、芸能界に入る気はないからなぁ」

そう、ここは芸能の神様が祀られている神社だ。
参拝客のほとんどは芸能人の卵、もしくは若手。
今芸能界で活躍しているトップアイドルの橋本にゃーちゃんも、ここでご利益を授かってから一気に有名になったって噂だ。
芸能活動する気のない私にとっては無縁の場所だけど、レポートの題材になるなら話は別。
資料には事欠かなさそうな場所だから、たぶん他の学生も調査に来てるだろうなぁ。

「でもここで祈願するのは危険だなんて話、聞いたことなかったよ」
「ああ…まあ、俺らからするとって話なんだけど」
「俺らって?」
「この神社の由来というか、正体を知ってる奴って意味」
「ここに祀られてるのって芸能の神様なんじゃ…」
「神ねぇ…」

一松くんはにやりと笑って、拝殿から離れた一本の大きな松の木の方へ案内してくれた。
ご神木のその松は石の柵で囲われしめ縄が巻かれている。ここにも参拝客は次々と来て、お賽銭を積んだり拝んだりしていた。
そんな人たちを遠巻きに眺めながら、一松くんは「知らないって可哀想」と呟いている。

「ここにいるのは芸能の神なんかじゃないよ。同類が山の神として扱われることはあるけど、あいつそんな器じゃないし」
「ふふ…あいつって、一松くんって時々友達みたいな言い方するよね」
「……」

一松くんは気まずそうに「それよりこの松、何て呼ばれてるか知ってる?」と話をそらした。

「山の名前の由来にもなってる、大松じゃないのかな?」
「いつからかそう呼ばれるようになったみたいだね。昔は天狗松って呼ばれてたんだよ」
「天狗…!じゃあここにいるのは天狗なんだ!」

思わず木の上を見上げる。
天狗松…これも授業で聞いたことあるかも。
確か、天狗が住んでるって伝説のある松の木のことをそう言うんじゃなかったっけ。大きくて立派な枝振りだから、昔の人は神霊が宿ってると考えたって聞いたような…
この松の木にも天狗がいるって思われてたんだ。ぼーっと見上げているとそんな気がしてくる。

「杏里ちゃん?」
「あ、ううん。立派な木だし、すごい天狗が住んでそうだなって」
「あんまり褒めないでやって。調子乗るから」
「調子に乗りやすい天狗なの?」
「たくさんの人に調子に乗せられて、それで今こうなってるわけだし」

一松くんはぐるりと周りの人たちを見渡した。

「歌舞伎の人たちがここに神様を祀ったのが最初だって、由緒書きにはあったけど…」
「そもそもは昔、山に来た遊女の子に天狗が一目惚れして、その子がもっと売れたいって言うのを叶えてあげたのが始まりだね。それがいつからか『芸能の神』って勘違いされるようになってる」
「天狗の一目惚れから始まったんだ。なんか可愛いね」
「しょうもないことに神通力使っちゃって…まあ本人がいいならいいけど」
「でもその一目惚れした子だけじゃなくて、他の人の願いも今まで聞き入れてくれてるなんて、すごいし真面目な天狗だって思うけどな」
「その代わりに見返りを求められるとしても?」
「えっ、見返り?」

それは初耳だ。
有名になった代わりにお布施がいるとかかな…
そう言うと、「金で解決するならまだいい方」と返された。

「不思議とみんな気付いてないみたいだけど、ここ来て成功してるのって女だけなんだよね」
「そうなの?男のモデルさんでもここにお参りして売れたって、テレビで言ってたような…」
「それはそいつに実力があっただけ。ここの天狗が力を与えるのは女だけだよ。男で成功してる奴はほとんどいないはず」
「ほ、ほんとに…!?」
「本物の芸能の神なら男女で差を付けたりしないよねえ…」

一松くんは薄く笑って、絵馬掛所のとりわけ目立つように飾られた一つの絵馬を見た。
数年前、無名時代に訪れたという橋本にゃーちゃんの絵馬だ。
ご利益が本物である証として別格に扱われてるみたい。

「今のお気に入りがあの子でしょ。猫娘みたいな」
「うん、にゃーちゃんは今すっごく売れてるよね…天狗さんのお気に入りなの?」
「みたい。ただし恋愛沙汰起こしたら一気に落ちるよ」
「えっ、それは…お気に入りの子に彼氏出来るのがだめってこと?」
「そう。ここに来て成功を願うってことは、それと引き換えに天狗の嫁になる契約を交わすってことだから」
「えええ…!」

ここで祈願するのは危険ってそういう意味なの…!?

「最初の遊女の祈り方がそもそもまずかったんだよ。有名になれたらこの身を一生捧げますとか言っちゃったんだから。自分に願い事をするってことはそういうもんだって未だに思ってる」
「な、なるほど…」
「それを裏切って他に男作るなら相応の仕打ちをしないとね…ってのが天狗の言い分」
「…そう言えばちょっと前によく出てたアイドルグループの子、熱愛報道からぱったり見なくなったっけ…」

その子もグループで参拝したってバラエティ番組で話してたなぁ。
にゃーちゃんも大丈夫かな…この間熱愛疑惑が出てたような…!

「人の願いを叶えるいい神様じゃないからね。己の欲しか無いただの妖怪だよ…どいつもこいつも」

一松くんがどこか自嘲するように言う。
かと思えば真剣な顔で肩を掴まれた。

「だから、ここに祈願するのは絶対駄目」
「わ、分かった…!」
「もし杏里ちゃんが天下獲りたいなら俺が協力する。見返りいらないし、国傾かせる程度なら任せて」
「そういうのは望んでないから大丈夫だよ!」

うん、自惚れじゃなく、一松くんにすごく好かれてるよね私…!どういう意味かは置いといて!

「それにしても、ここに祀られてる神様の正体が天狗だったなんて知らなかったなぁ」
「本人ももう神気取りだから…」
「…あ!よく見たらあの神社の紋、天狗の羽団扇が元になってるのかな?」

本殿の垂れ幕にあった紋に今気づいた。
六角形の中に一枚の葉が描かれたもので、その葉は一見ヤツデのように見える。
でもよく見ると、持ち手の部分と羽の部分の境目がちゃんとある…!分かりやすい資料発見だ!
これぐらいのことなら他の学生も気づいてそうだけど、基本は忘れちゃだめだよね。確実に分かることから積み重ねていかなきゃ。

「さすが杏里ちゃん。あれに気付く?」
「一松くんの天狗の話があったからだよ。天狗松の伝説が分かる資料もあればいいんだけどなぁ…そうだ、一松くんの前言ってた本だけど…」
「ああ…ごめん、忘れてた。代わりに天狗の鼻でも折ってこようか?」
「そ、それは天狗がかわいそうかな…!」

もし本物の天狗の鼻を提出しても、きっと先生の方が困るだろうな…
先に神社のあちこちを撮って回ってから、人波が途絶えた隙に天狗松の裏へ向かった。
一松くんが松の太い根元へ、A4サイズの茶封筒に入れた何かを隠すように置く。いつものお供え物だ。
私からは何でもいいって言われてたからお米とお水をお供えしたけど、一松くんは何を持ってきたんだろう?本みたいだけど…

「一松くん、これは何?」
「…聞かないで」
「中見ちゃいけないもの?」
「杏里ちゃんには見せたくない」
「そういうこと言われると気になっちゃう…」
「……俺が引かれるのは嫌だから」

結局教えてもらえなかった。同じもの供えなくて良かったのかな。

「じゃ、もう帰ろっか」
「うん」

写真資料はいっぱい手に入ったし神社の由来も分かったし、ここの伝説はレポートにまとめやすそうだなぁと考えながら境内を後にした時。
後ろからの急な突風に押されて、ぼーっとしていた私は危うく一松くんにぶつかりそうになった。

「きゃ…!ご、ごめんね一松くん!」
「大丈夫?……!」

支えてくれた一松くんが、私の頭を見て険しい目で空を仰いだ。
鳥に何か落とされたとか…?
怖々頭に手をやると、ふにゃりとした柔らかい触感のものが髪に差されている。ゆっくり抜き取って見た。
あ、花だ!
一輪の小さな紫の花。
今の風で飛んできたのかな。それにしても私の髪にちょうど刺さるなんてすごい偶然!

「すごい、こんなことってあるんだね!可愛い花!」
「……」
「一松くん?」
「…俺の方が先だったし」
「え?」
「俺の方が先に花付けてやったし」

花って今朝のあのシャーペンのことかな…
むすっとした様子で呟いていたかと思うと、「杏里ちゃんは本物の花の方が嬉しいんだ…」としょんぼり顔で言うから慌てて否定する。

「一松くんが付けてくれたのも嬉しかったよ!一松くん髪まとめるの上手いね」
「…ほんとに?」
「ほんと!私かんざしなんて自分でできないもん」
「…いつでもやったげる」
「えへへ、やったー」
「だから、他の奴には触らせないでね」

花を差していた部分の髪をすくように撫でられる。
もしかして今の、鳥にまで焼きもち焼いてくれたとか…?
わー!なんか…すごく嬉しいかも…!
心の底からじわじわと温かいものが込み上げてきて、幸せって思った。
やっぱり、一松くんのこと好きだな私…
一松くんは私の手から花を抜き取って、「帰ろ」と手を繋いでくれた。

「花も簪も何だって全部あげる。…杏里ちゃんがいてくれるなら」



一松くんが送り届けてくれた後、家で一人いなり寿司を食べた。
今朝の残りで、たくさん作ったから食べてと一松くんが置いていってくれたものだ。
一人暮らしって食事もおざなりになりがちだから、これは本当にありがたい。何てったって一松くんが作ってくれたものだし!
おいしくてその日のうちに全部食べてしまった。
私も今度は何か作っていこうかな、油揚げの料理。
それにしても、何かさっきからちょっとぼーっとするかも…今日は何だかぼんやりしてることが多い気がする。
疲れてるからかな、レポートのせいで…
資料の整理しなきゃいけないけど、また今度でいいよね。今日はもう寝ちゃえ。
布団に入って目を閉じると、一松くんのお休みって声が聞こえた気がした。