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犬神山へ行ってから数日も経たないうちに、一松くんは大学へふらりと現れた。
連絡先を聞きそびれてしまってたのでほっとしたのと同時に、ちゃんと約束を守ってくれる人なんだって信頼感も上がった。
そんな一松くんはお昼の過ぎた食堂でまたきつねうどんを頼み、幸せそうに食べている。

「…うまい」
「良かったね。そんなにきつねうどん好きなんだ?」
「うん。気に入った。あの人は天才だね」

一松くんはカウンターにいる食堂のスタッフさんを振り返った。

「こんな食べ物を思いつくなんて」
「きつねうどんは昔からある料理だから、あの人が考えたんじゃないよ」
「えっ……いつから?」
「え、いつだろう…少なくとも私が生まれる前からあるはずだけど…」
「………」
「一松くん?」
「…もっと下界に下りとけば良かった」
「ふふふ」

一松くんは決まり悪そうにするけど、私には何だか可愛く見える。
変なところで物を知らなかったり、一松くんが浮世離れしてるって思うのはこれが初めてじゃないし。
私が微笑ましく思ってるのがバレたのか、一松くんは気をそらすように「んん」と喉を鳴らした。

「まあそれはいいとして…次は八八山に行こうと思って。誘いに来た」
「八八山かぁ、ここから近いね」

六子山の一つ、八八山。
四季折々の山の変化がきれいなことで知られていて、その風景を写真に収めようとする登山客の絶えない山だ。
ハイキングには持ってこいの楽しい場所で、民間伝承があるとは思わなかったけど…

「八八山にはどんな話があるの?」

すると、一松くんは意外なことを言った。

「恋仲の男女であの山に登ると別れるって話、聞いたことない?」
「えっ、そんなジンクスと関係あるの?」

確かに、八八山にカップルで行くと別れる、なんて噂がないわけじゃない。
遠足気分で行けると言っても坂道と階段の多い山道だ。それなりの準備もせず軽い気持ちで行くカップルもいて、そういう人たちが疲れてケンカしやすいって言われている。
でもこのジンクスを民間伝承って呼ぶには弱いと思ってたな。
一松くんは「それが関係あるんだよね」とにやりと笑った。

「綺麗な山だけど。あんなの見せかけだから」



一松くんと一緒に来た八八山は、犬神山とは全く違う雰囲気だった。
山のふもとには可愛いお土産物屋さんや甘味処が立ち並び、女の子たちがお喋りしながら品物を見ている。
例のジンクスはあまり気にされていないようで、カップルの姿もちらほら見える。

「わぁ、ここ来たの久しぶり!」

前来た時とはお店のラインナップが違うな、なんて考えていたら、一松くんに袖をきゅっと掴まれた。

「…誰と来たの」
「友達とだよ。紅葉がきれいな時にね」
「男?」
「ううん、女の子」
「そう。…まあどっちにしろ『ジンクス』があるからね…」
「そうそう、そのジンクスが八八山の民間伝承にどう関係があるの?」

散策コースに入りながら一松くんにせがむ。大学では詳しく教えてもらえず、一人で調べてもそれらしい話はやっぱり出てこなかったので、今日は一松くんの話を楽しみにして来た。
一松くんは前と同じ下駄で山道をさくさく歩いていく。犬神山と違って整備された道だから、私も比較的歩きやすい。

「まず、この山が何で八八山って呼ばれてるか」
「私も不思議に思ってた。八八山ってちょっと他には聞かない名前だよね」
「八八は何を表してると思う?」
「えっ、と…色んな景色が見れるってことで、『八十八景』から取った…かな?」

答えてみたものの自信はない。
六子山の名前の由来はもちろんそれぞれ調べてみたけれど、八八山に関しては諸説あって、どれもジンクスには関係のなさそうな由来ばかりだったから。
でも一松くんは「さすが杏里ちゃん」と目を細めた。

「何かの数ってのは合ってる」
「えっ、やった!」
「正解は化け狸の子分の数、『八百八』から」
「化け狸…?の子分?」
「ここは元々たくさんの狸が住み着いてる山なんだよ」
「へえ…!」

この山に狸がいるなんて知らなかったな。
そうかぁ、たくさん狸がいたから八百八で八八山…『たくさん』って意味で八って言葉が使われたりするもんね。

「その狸共の親分の化け狸が見栄っ張りでね…だからこんなに春夏秋冬派手な山になってんの。地元の人間もたまに手入れに来てくれたりするみたいだけど」
「そうなんだ。昔からきれいな山だったんだね」
「まあね。その努力は認める」

昔から、狸がたくさん住めるぐらい実のなる植物が豊富にある山だったのかもしれない。それはきっと人間の目も楽しませたことだと思う。
だから見栄っ張りの狸が山をきれいにしてる、なんて民間伝承ができた…とか?
うん、面白い話だ。
今歩いている、きちんと手入れのされた石灯籠と石畳の道の横にも、艶やかな緑の葉に交じって小さな白い花が咲いている。これもいずれは実をつけるのかな。
ハイキングらしい団体とすれ違いながらそんな想像をふくらませていると、「で、その化け狸なんだけど」と一松くんが話を続ける。

「名前の通り変化の術が得意で、山に来る人間をよくからかってる」
「ふんふん」
「特にはしゃぎ回って自分の山を荒らす奴…浮かれた男女には多いね。そいつらには罰を下す」
「ええ…どんな風に?」
「美人に化けて男をたぶらかす」
「…あ、それがさっきの、カップルが別れるってジンクスに?」
「そういうこと。まあ…実のところ仲睦まじい奴らが気に食わないだけなんだけど。自分に火の粉がかからないように相手を破滅させる術に長けてるからね、あいつは」
「あはは、カップルがうらやましいのかな」
「それもあるかもね」

なるほど、ということは。一松くんの話を聞きつつ、頭の中でレポートのための整理を始める。
まず最初に、狸のたくさんいる景観のきれいな山、というところから狸に関する民間伝承が作られて。
同時に、目に余る登山客に注意を促すためにも化け狸の存在がより必要とされてきた、ってとこかな。
そうして八八山に化け狸とその子分たちという民間伝承が根付いた…
よし、流れとしてはこんな感じで構成しよう。
山中の色んな植物の写真は資料として撮っておいて、後は一松くんの話を裏付ける、この山の狸の生息に関する資料があれば何とかまとめられそう。
って思った矢先に『タヌキ注意』の看板が道の脇にひっそりと立っていて、ここぞとばかりに写真を撮った。
でも前来た時にこんなのあったかな?最近出来たのかも。

「ありがとう一松くん、レポートにまとめられそうな気がしてきたよ!」
「それは良かった。…杏里ちゃん、疲れてない?」
「ううん、大丈夫。それにしても一松くんってほんとにすごいね。ここの化け狸の話なんてどこで知ったの?」
「えー…と、確か家にそういう本があって…」
「何ていう本?レポート書く時に参考資料として載せたいんだけど…大学の本屋に売ってるかな」
「……今ちょっと思い出せないから探しておく」
「ありがとう!お願いします」

その本があればフィールドワークにわざわざ一松くんを付き合わせる必要もないんだけど。
でも一松くんと喋りながら調査したいし、別にいいよねこのままで…なんて。
ハイキング姿のカップルが仲良く写真を撮っている姿を横目に、いよいよ頂上へと繋がる階段を上がる。
あのカップルの前に化け狸は現れるのかなぁ。

「…あ、私たちの前には出てきてくれるかな、化け狸」

一応、私たちも男女の二人組だし。付き合ってはないけど…

「そりゃ無いね。俺化かしても意味ないから」

そ、即答だった。
だよね、私たちカップルじゃないんだから………何で私ちょっと残念に思ってるんだろう。
一松くんが思わせぶりなこと言ったりしたりするから、私無意識のうちに勘違いしてた…?恥ずかしい!

「でももう俺達の前に出てきてるんじゃない。さっきすれ違った一行とか」
「か、かもね…あはは」

少し落ち込んだのと恥ずかしいのとで力のない返事をしてしまった。
「やっぱり疲れてない?」なんて気を遣ってくれる一松くんの優しさが何となく心に刺さる…

「杏里ちゃん、着いたよ」

階段を上りきると、そこは犬神山とうって変わって人で賑わう明るく広い場所。
頂上をぐるりと囲む柵の側のベンチで、写真を撮ったりお弁当を広げている人たち。小高い丘の上に設けられた見晴台でも入れ替わりで写真が撮られている。
ここにもお供え物を持ってきたけど、お社みたいなのは見当たらないなぁ…

「杏里ちゃん、こっち」

一松くんに手招きされてついていく。
見晴台の裏手に回り、斜面を少し下るとその先に御神木があった。
せっかくの御神木なのに、見晴台へ気を取られてしまっているせいか誰も気づいてないみたい。
古びたしめ縄を巻かれた木は、大きな根っこがいくつも地面から盛り上がって出ている。その根と根の間には可愛らしい小さなお地蔵様が一尊置かれていた。
一松くんはその前にコーヒー豆の袋を置いた。私が置いたのは紅茶のインスタント。
山の主こと化け狸はティータイムが好きみたい。

「紅茶やコーヒーも好きなんだねー」
「そうだね。よくお茶たててくれるけど、最近は洋物にも凝ってる」
「流行りに敏感なんだ。…ん?お茶たててくれるって?」
「あ………いや、化かす相手にってこと」
「へえー、お茶を振る舞う時もあるんだね」

イタズラだけじゃなくて親切な時もあるんだ。そこは親しみやすい狸さんって感じで可愛いなぁ。

「これで報告終わり…杏里ちゃん、他に用事ある?」
「ううん、資料も集まったし大丈夫」
「じゃ、帰ろっか」
「そうだね。狸さんばいばい」

斜面を上がって見晴台の横を通り抜ける。

「あ、ついでにふもとのお茶屋さん行ってみない?ちょっとお腹空いちゃった」
「杏里ちゃんが行きたいならいいよ」
「ありがとう」

なんて話しながら来た道を戻りかけた時、後ろからとん、と誰かにぶつかられた。

「あっ、ごめんなさぁい」
「いえ…」

振り返ると、茶色のボブカットの女の子が一人、自撮り棒付きのスマホを持っていた。山ガールって感じの子だ。
自撮りするために後ろに下がって私にぶつかっちゃったみたい。

「お姉さんごめんなさい、ケガとかしてないですか?」
「ううん、大丈夫」
「あ!そうだ〜、お姉さん良かったら一緒に写ってくれませんか?一人で来たんですけどぉ、写真も一人なの寂しくて」
「私は構わないけど…」
「えへっありがとうございまぁす!あっもしかして彼氏さんですかぁ?写真撮ってもらっていいです〜?」

女の子はにこにこしながら私と腕を組んでぎゅっと体をくっつけ、一松くんにスマホを手渡した。
一松くんは何だか不機嫌そうにそれをつまんで受け取って、「何、どうやんの」とスマホを見ている。

「画面の丸いとこ押してくださぁい。今時常識ですよぉ〜」
「チッ、るせぇな…はい撮るよ」

シャッター音がした。無事に撮れたみたい。
たぶんすごく笑顔の女の子と、二人の板挟みになって微妙な笑顔の私が写ってるんだろうな…

「ありがとうございましたぁ。じゃあまたね〜、おねえさん!」

ぱたぱたと見晴台の方へ駆けていくその子を見送る。
一松くんはまだ不機嫌そうだった。

「…くっつきすぎ…」
「一松くん、ああいうタイプの女の子苦手だったりする?」
「あれは女じゃない」
「そこまで…!」

一松くんって、わりと好き嫌いが極端だなぁ…!
前も私の男友達に警戒心持ってた風な態度だったし…

「…まあ、でも、杏里ちゃん気に入ってくれたからいい。いいけど…」

よっぽど苦手なタイプだったらしく何かぶつぶつ言っている。
かと思えばさっさと私の手を握って「帰ろ」と促した。

「う、うん」

一松くんに手を握られる感覚が、何となく当たり前になっている自分に気づきながら山を下りていく。
…一松くんはどういうつもりでこんなことするんだろう。
付き合って、もないのにな。

「わ、私たちのとこにはやっぱり、化け狸出なかったね」

人気のない石段の途中で思わずそんなことを口走ってしまったのは、これ以上勘違いしないように一松くんの本音を確かめたかったからだと思う。
一松くんはちらりと私を見た。

「意味ないからね。俺化かしても」
「…うん、そう言ってたね」
「俺は杏里ちゃんしか見てない」

直球の言葉にぎゅうっと心を掴まれた。
最初からそういう意味で言ってくれてたのかな。じゃあ、これは勘違いじゃなくて…?

「…どうしたの、杏里ちゃん」

まるで私の心を見透かされているみたいに、一松くんが目を細めて笑う。

「な、何でもないよ」
「ふうん……耳ちょっと赤いね」
「ひゃ!」

するりと耳たぶを撫でられる。
一松くんの指先はひんやりしていたのに、離れた瞬間耳がかあっと熱くなった。

「わ…もう!恥ずかしいから…!」
「………くくく」

急に機嫌の良くなった一松くんは聞いたことのないメロディーの鼻唄を歌いながら、必死で熱を冷まそうとする私の手を引いていくのだった。