×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



『一松』と名乗ったその子は、幼い頃から民間伝承や不思議な話が好きだった私よりよっぽどその手の話に詳しかった。
初対面だというのに一松くんの話に聞き入ってしまって、大学を出たのは夜に近い頃。
家まで送ってくれた帰り道では、一松くんが自分のことを少しだけ話してくれた。
実は怪しい人かもって警戒する気持ちが全くないわけじゃなかったけど、一松くんはずっと療養生活を送っていて、つい最近まで外の世界とあまり関わりがなかったって聞いて納得した。
私の学生証もたまたま散歩に出た時に見つけて、最初は何なのか分からなかったんだそうで「今は紙じゃないんだね」って言ってた。
その後ですぐ、ずっと引き込もって本ばかり読んでたせいで知識が偏ってる、って弁解してたのがちょっと可愛かったっけ。
浮世離れした印象を受けたのは間違ってなかったみたいだなぁ。
陰陽道とかそういうのもかじったりしてるみたい。すごいなぁ、私も一学生として見習わなきゃ。
一松くんとはレポートのことでまた会う約束をしてその日は別れた。



そして今、霊場と名高い犬神山にいる。

犬神山は、この町にある通称“六子山”と呼ばれる六つの山の一つ。
なぜ六子山なんて呼ばれているかというと、それぞれの距離は離れているにも関わらず、六つとも山の形状が驚くほどよく似ているからだそう。
ただ単なる普通の山もあれば、犬神山のように有名な伝承が残る山もある。
そういう有名どころは調べる人が多いだろうから、レポートの題材にはちょっと…と思っていたけれど、一松くんの話では六つの山全てに伝承があるみたい。
というわけで、一日ずつ六つの山を調査することになった。
六子山全部の話をまとめれば、他の人と違ったレポートが書ける…!
そう思ってわくわくしながら一つ目の調査場所、犬神山に来たのだった。

犬神山の周りには、昼間だというのに私たちしかいなかった。
あまり人の手が加えられていない、鬱蒼とした木々の中に石階段が上に伸びているだけの参道。
入り口の鳥居には黒ずんだ紅白のしめ縄が掛かっていて、その真ん中には錆びた大きい鈴が、人の手の届かない位置に垂れ下がっていた。
その鳥居の佇まいに、この山の不気味さがもう現れているようでぞくりとする。
不安を煽るのはそれだけじゃない。
ここに連れてきてくれた一松くんの体調があんまり良くなさそうだ。
犬神山の前に着いた時から顔色が悪く、体が少し震えている。

「一松くん大丈夫…?別の日にする?」
「い、いや…大丈夫」

そう言いながら袖で汗を拭っている。
今日は汗をかくような暑さじゃなく、むしろ私は山の空気に当てられてちょっと肌寒いくらい。
私はここに来るのは初めてだけど、噂では本物の場所だって聞くし…一松くんが霊感に強いなら止めた方がいいのかも。

「一松くん、無理することないからね。レポートは別の場所でも大丈夫だから」
「…ここにも来なきゃ、意味ないから」

しんどそうなのにその言葉には強い意志がある。

「…分かった。でもしんどくなったらやめようね。一松くんも病み上がりなんでしょ?」
「ん…そこは平気。ありがと」

目を少し細めて唇の端を微かに上げるだけのその薄い笑みにはどことなく色気があって、こんな時になんだけど見とれてしまう。
目尻に赤い色が入っているせいか、それとも具合が悪くて気だるさが増してるせいか、今の一松くんは不思議な雰囲気が強いような…

「…杏里ちゃん?」
「あ、うん!大丈夫、行こっか」

私まで何か不思議な気持ちになっちゃった。場所のせいもあるよね、きっと。
今日は自分のレポートのために付き合ってもらってるんだから私がしっかりしなきゃ。
そう思いながら一松くんの後について鳥居をくぐった時だった。
山の上から風が吹き下りてきたかと思うと、頭上の鈴が一瞬ガラガラと音を立てた。

「きゃ…!!」

驚いて少し足がよろめいたところを一松くんが支えてくれる。

「大丈夫?」
「う、うん。ごめん、びっくりして…」

ちょっとやそっとの風じゃ動いてなかった鈴なのに、どうしてこのタイミングで…や、やっぱり本物の場所なのかも…!
心臓がドキドキしてる。
レポートのためなんて理由で足を踏み入れちゃだめだったんじゃ…
恐る恐る鳥居を見上げる私に、一松くんが「怖い?」と聞く。

「正直、ちょっとだけ…」
「あれ、紅白の縄でしょ。本来は良い時に鳴らす鈴だからあんまり気にしなくていいよ」
「そうなんだ」

一松くんにそう説明されると何となくほっとする。

「怖いなら手繋ぐ?」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
「……そう」

…どうして残念そうなんだろう…

ひんやりとした冷気で満ちる坂道を一松くんは下駄で進んでいく。
山登りに慣れてない私に合わせてくれてるからゆっくりだけど、一松くん一人だったらもっと早いんだろうなってぐらいにしっかりした足取りだ。
でも最近まで体が良くなかったんだから、いざとなったら一松くんを連れて早く下りなきゃ。

「犬神山の由来は知ってる?」
「うん、えっと…昔、禁じられている犬神憑依の呪術をある山伏がやったんだよね。でも犬神の力が強すぎて、山伏は制御できずにこの山に籠って死んじゃって、犬神の怨念はまだここに残ってるっていう…」

犬神山は特に有名だから、その由来は一般人でも知っている。
一松くんは「まあそんな感じ」と頷いた。

「ほんとに、まだ怨念が残ってるのかなぁ…」

怖々と周りを見渡す。
頂上にその犬神を祀った祠があるって聞くけど、何か起きたらどうしよう。

「…怨念は、ないと思うよ」

一松くんがぼそりと呟く。

「えっ、一松くんそういうの分かるの?」
「あー…まあ、悪い感じはしないから…」
「でも一松くん、ここに来てからしんどそうだったし」
「ちょっと楽になったから大丈夫。移動したからだな…」

言う通り、空を見上げる一松くんの顔色はさっきより良くなっている。
山の中を歩くのが気分転換になったんだろうな。

「それより、怨念とかは人間側が恐れてるからそう言われるようになっただけだと思う」
「山伏が死んだって話だもんね」
「死なせるつもりはなかったんだよ。ただ体力についていける人間がいないんだよね」
「体力についていく?」
「元々は犬だから人と一緒に遊びたがるんだけど、じゃれ方が激しいから」
「…なるほど」

一松くんって面白い解釈をするなぁ。
犬神の方は遊びたいって思ってるのか。それに人が耐えきれないだけなんだ。

「それに怨念が強かったら今でも人や獣に憑くはずでしょ」
「確かに…犬神山の由来はすっごく有名だけど、誰かが憑かれたって話は聞いたことないかも。犬神筋の家も街にはないし」
「そういうこと」
「じゃあ、たまに犬神山の木が雷が落ちたみたいに激しく切り裂かれてる、なんて噂も聞くけど…」
「ここの木はよく伸びるから、実際よく雷に打たれてる。犬神が遊んで折ってる時もあるけど」
「…ふふ、そう思うと可愛いかも」
「いや…別に可愛くは…」

そんなことを話しているうちに頂上に着いた。
六子山はどれもそんなに高くない山だ。ちゃんと道なりに行けば頂上まで遠足気分で行ける。
そんな軽い運動も手伝って、頂上に着いた時は何だか清々しかった。
そもそもこの山は犬神の話よりもはるか昔から神聖な霊場で、お参りすれば心身を清められる場所。
そんな場所に犬神の怨念がいつまでも残ってるわけないよね。もし犬神がいるなら、きっともう良い神様になってこの山を元気に駆け回ってるだけだ。
一緒に遊ぼうって言われたらちょっと困っちゃうかもしれないけど…

「杏里ちゃん、あれ持ってきた?」
「うん、持ってきたよ」

一松くんいわく、山の主に挨拶しなければならない、とのことでお供え物を持ってきている。
今の山の主は犬神らしく、一松くんに言われた通りスーパーで買った魚の切り身を持ってきた。
頂上の閑散とした広場には木で組まれた祠がぽつんとあって、鳥居と同じように小さい紅白の縄と鈴が付けられている。
その祠の祭壇にトレーから出した魚を供えて手を合わせる。
レポートの題材に使わせていただきますって心の中で念じておいた。
どこに入れて持ってたのか一松くんも魚を供えて一緒に手を合わせていた。
それから祠も含めていくつかの写真を撮り、何事もなく山を下っていく。

「人と遊びたいだけなのに、相手がすぐに死んじゃうならちょっとかわいそうだね」

道々そんなことを言うと、一松くんが「そうだね」と相づちを打つ。

「でも人が人じゃなくなればこっちのもんだから」
「その死んじゃった山伏と今は遊べてたらいいね」
「たまに遊んでるよ。…あー、多分」
「ふふふ、だったらいいけど」
「…杏里ちゃんって優しいよね」
「え?そうかな」
「そういうの、俺だけにしてくれたらいいのに」

流し目でちらりと見られて返事に困ってしまう。
一松くんって手繋ぎたがったりとか、何か距離が急に近くなるっていうか!思わせぶりなことするよね…!
そんなこと言われたら変に意識しちゃうよ!
今顔赤くなってないかな…こ、こんなことで照れてると思われるの恥ずかしい…
そんな私に気づいてるのか気づいてないのか、一松くんは「何か心配になる」と言葉を続けた。

「し、心配?何で?」
「他の奴にも魅入られそうで…、!」

一松くんの体がびくりと震えたのと同時に、上の方でカサと葉っぱの擦れるような音がした。

「え?…わ!」

私が見上げたタイミングで、上から何かが落ちてきて側の草むらで止まった。
それは使い込まれてボロボロになっている野球ボールだった。
カラスか何かが落としたのかな…?

「…遊んでって言ってる」
「えっ」
「気に入られたみたい。良かった」

一松くんはまたしんどそうに額ににじむ汗を拭いながら、何となく嬉しがってるように見えた。

「犬神に気に入られたのかな…?」
「魚ありがとうって」
「えっと、じゃあこれ投げればいいかな…えいっ」

上の方へ飛ばすように投げる。
落ちてきたのを拾ってゴミはゴミ箱に…って思っていたのに、確かに葉の重なりあう枝にぶつかったはずのボールは、そのまま落ちて来なかった。

「あれ?枝に引っかかっちゃった…?」
「満足したんじゃない」
「犬神が?」
「うん。…じゃ、帰ろ」

ぼーっと上を見ていた私の手を取って一松くんは歩き始めた。
不思議な体験をした気がする…のに、一松くんに手を握られるとふわっとしてどうでも良くなってしまった。

「あいつ学習したな…」
「…え?何て?」
「ボール遊びだったら人間をすぐ死なせなくて済む」
「あ、ほんとだね。確かに」

今のボールが落ちてきた現象を、犬神に絡めて考えるとそういう解釈になるんだなぁ。
民間伝承ってちょっとした偶然や自然現象が重なって形作られてくこともあるだろうし、科学が発達してない昔はそれこそ妖怪のしわざだって考え方をする人も多かったと思う。
何か今、民間伝承が作られていく過程を見てるようで楽しいかも。

「…えへへ、一松くんがいて良かったな」
「え」
「大学で民俗学を勉強してはいるけど、一松くんといるとそれが生で感じられるっていうか…うん、上手く言えないけど…」
「……俺も杏里ちゃんがいてくれて良かった」
「え、えへへ、そう?」
「そういうのに興味持ってくれてて良かった」

たぶん一松くんは、話が合う友達ができて嬉しいってことを言いたかったんじゃないかと思う。
けど、最後に言った言葉の意味はよく分からなかった。

「だから、杏里ちゃんならすぐ馴染めるよ」