×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



小さい頃、お母さんと出かけた帰りに天気雨にあった。
それを見たのは初めてで、晴れているのに雨が降っている現象が珍しくてお母さんに尋ねた。

「これは狐の嫁入りって言うの」
「よめいりってなに?」
「結婚のこと。狐さんがお嫁に行く時にこういう天気にするんだよ」
「ふうん。きつねがあめふらすの?」
「そう。狐は不思議な力を持ってるからね」

幼い私は、結婚する日にこんな天気にしなくたっていいのにな、と思った。
せっかくきれいなおめかしをするのに、何で雨を降らせて服を汚れやすくしちゃうんだろう?それに歩きにくいと思う。
そう言ったら、お母さんはそれもそうね、でも狐にも理由があるのよって笑ったっけ。
遠い昔の話。
大人になった私は狐の嫁入りがただの自然現象だと知っている。
でもこのやり取りがきっかけで、民間伝承へ興味を持つようになった。今は大学で民俗学を学んでいる。
幼い私にたくさんお話を聞かせてくれて、たった一人で私を育ててくれたお母さんは、もういない。
代わりに大学で学んだことを墓前で報告するのが私の習慣になっている。



今日も山裾にある墓地へ参り、花を供え、レポートのためにフィールドワークをすることを話した。
正直、ちょっと行き詰まってる。
不思議な伝説や逸話の残る場所の調査、というのがレポートのテーマだけど、まだ調査場所を見つけられていない。
有名な場所ならこの街にもいくつかあって、そこを調べると言う人は多い。他の人と調査場所がかぶっても点はもらえるはず。
でも平凡なレポートしか書けない自信のある私は、他の人と同じテーマじゃ確実にギリギリの成績しか取れない。
せめてあんまり人に知られてないような伝承を見つけられたらインパクトを残せるんじゃないかな。
そんな都合のいい場所が近くにあったらなぁ…ないよね…
奇跡のようなことを願いながら墓地を出る。
午後の日差しはゆるく傾いて、墓地前の人一人いない下り坂には木々の影だけが揺れていた。
舗装のされていない道を転ばないよう下っていると、ふと気になる物を見つけた。

「…何だろ、あれ…」

坂道の右脇、生い茂る草や枝に紛れて何かの顔みたいな物が目に入った。
微妙な角度からしかそれは見えなくて、今まで何度もこの道を通った私でも注意しなければ気づかない場所にある。
観察するために少し近づいてみた。
重なり合う枝をかき分けて見えたそれは、石で彫られた狐だった。
台の上に後ろ足を曲げて座った姿勢の狐は、体のところどころが欠けている上に苔むしている。
一番ひどいのは背中側だ。背中からお尻にかけて不自然にえぐられていて、尻尾もない。
元々何かを背負っていたのが大きく欠けてしまった。そんな感じがする。

「かわいそうに…」

でもどうしてこんなところに狐の石像が?
周りを見ても神社や祠らしきものはない。
見たとこ稲荷神社にある狐の石像っぽいけどなぁ…でも口には何もくわえてない。
ともかく、苔だけでも取ってあげようかな。せっかくこうして見つけたんだし、ちょうどお墓の掃除をするために持ってきた道具もある。

「よし、きれいにしてあげるからね」

しばらく無心で掃除をして、狐はすっかり元の石の面があらわになった。
欠けた部分は痛ましいけど、目を細めてすましている狐らしい表情もはっきり分かる。

「ふふ、イケメンさんだ」

偶然出会った石像をこんなにきれいにできたことに満足して、耳と耳の間を撫でる。

「じゃあね。また様子見に来るからね」

ついでにこの像や山について調べれば、レポートの題材になる何かが出てきたりして。
ちゃっかりそんなことを思いながら山を下りた。


その翌日。
昨日の石像について調べようと学内の図書館へ向かっていると、途中の学部棟の陰から顔を出して様子をうかがっている人がいるのに気づいた。
少しぼさぼさした黒髪の男の子…遠目だけど、たぶん同い年ぐらい。
私がちらりと視線を送ったのに気づいて、すぐ姿を引っ込めた。
でもまた顔だけを出して、手に持った何かを確認している。
そして今度は私の方をじっと見てきた。視線を感じる。
何だろう…
知らない子だしどうしたらいいか分からなくて通りすぎようとすると、その子は棟の陰から出てきて私に近づいてきた。

「!」

近づかれたこと以上に、その子のファッションにびっくりする。
濃い紫から黒へのグラデーションがとってもきれいな着物。その上から裾に炎のような模様が入った黒の羽織りを着ていて、歩く度にひらひらとたなびいている。
よく見ると眠そうなのに眼光が鋭いのと、目尻に赤い差し色が入っているのも印象的だ。
変わったファッションだけど様になってるなぁ…!
そう思ったのは私だけではないみたいで、彼は周りの学生の視線を一気に集めていた。
それに構う素振りも見せず、その子はとうとう私の前に立ちはだかる。
ずっと無表情だからちょっと威圧感が…

「ねえ」
「は、はい!」

低い声で話しかけられた。
緊張する。

「これ…君のだよね」
「え?」

予想外にも、差し出されたのは私の学生証だった。
慌てて鞄を探る。昨日まで入っていたはずの学生証はどこにもなかった。

「…そう、みたいです…」
「拾ったから」
「あ、ありがとうございます!」

そっか、さっき見てたのはこれか。
学生証の持ち主を探してくれてたんだ。写真付きだもんね。
事務室に届けた方が早いと思うけど…いいか、ちゃんと返ってきたんだし。

「すみませんわざわざ…!どこに落ちてたんですか?」
「山」
「あ…そんなところに?」

昨日掃除中に鞄から出ちゃったのかもしれない。
でもよく見つけてくれたなぁこの子、めったに人も来ない場所なのに…

「本当にありがとうございました!助かりました」
「うん」
「…それじゃ、」
「待って」

立ち去ろうとすると呼び止められる。

「な、何でしょう?」
「時間ある?これから」
「はい、大丈夫ですけど…」
「良かった」

あ、初めてちょっと笑った。

「じゃあ…この辺に茶屋でもあればいいんだけど」
「茶屋…?えっと、カフェはないですけど食堂なら…」
「じゃそこ行こう。どっち?」
「こっちです」

私が先に立って歩き出すと、彼は無言で後に付いてきた。
…食堂の場所を知らないってことはここの学生じゃないんだろうな。
でも私に何の用だろう。悪い人じゃない…よね、きっと。
周りの注目を集めながら人のまばらになっている食堂に入る。
お昼はもう食べたし自販機でジュースでも買おうと思っていると、男の子は食堂のメニューをじっと見ていた。

「何か食べますか?」
「…これ何?」

指さしたのはきつねうどんの文字。

「えっと、うどんに油揚げが乗ってるものですね」
「!油揚げ…」
「はい」
「狐の肉とかは?」
「入ってないです」
「これ食べたい…」
「注文はあそこからできますよ」

教えてあげると、嬉しそうにカウンターへ向かっていった。
きつねうどんを知らないって、見た目だけじゃなく中身もちょっと変わった子だ。
もしかしたら庶民の生活を知らないセレブな人だったり…?
学生証を拾ったついでにお忍びで遊びに来てみました、みたいな?
うん、そう考えると納得できるかも。あ、でもセレブがあんな山に行くとかあるのかな…?
先にジュースを買って席についていると、男の子はやがてお椀の乗ったトレーを手に戻ってきて私の向かいに座った。

「おいしそう」
「そうですね」
「…食べていい?」
「どうぞ」

割り箸をパチンと割り、男の子はまず油揚げを一口かじった。
とたんに目を細めて幸せそうな和んだ笑顔になる。
たぶん油揚げ大好きなんだろうな。ふふ、さっきまでの無表情とのギャップが可愛い。
ジュースを飲みながら男の子の食事を眺める。
あっという間にお椀を空にした彼は満足そうに手を合わせた。

「…おいしかった」
「良かったですね」
「こんな食べ物が下界に出来てたなんて」

ぼそっと呟いた言葉。やっぱり浮世離れした子だ。

「あの、それで…私に何かご用でした?」

まだ食べたそうに空のお椀を見ている男の子に問いかけると、「うん…」と顔を上げて見つめられる。
何だろう、このちょっと熱のこもったような…

「杏里ちゃんに会いたくて」
「えっ」

何で名前を…!?って一瞬焦った。学生証を見たんだよね!
で、でも急に名前呼びなんて…!
内心緊張が止まらない私をよそに、男の子は平然と「どんな子かと思って見に来た」と続ける。

「そ、そうなんですか…?」
「色々考えてたけど…会えて良かった。やっぱり杏里ちゃんにする」
「…!」

手を伸ばされ、紙コップを持った指が絡め取られた。
好物らしい油揚げを食べたせいか、和らいだ雰囲気のまま微笑まれるとすごくドキドキする…!
こ、これってどういう状況なの…!?
それにやっぱり私にするってどういう意味?遊び相手ってこと…?ナンパ?ナンパなの…!?
話が急すぎて余計に混乱してしまう。

「え、えっと…あの…」
「おーい、杏里ちゃん」

食堂の入り口から呼ばれる声がして振り向くと、授業が一緒の男友達がいた。

「あ、ごめんお邪魔だった?」
「う、ううん!大丈夫」
「…」

男友達が近づいてきても彼の手は離されず、むしろ握る力が強くなった。
あと若干、男友達を睨んでるような…!

「明日の四限休みって聞いた?」
「え、そうなの?」
「急に休みになったって。見かけたから教えてあげようと思ってさ」
「そうなんだ、ありがとう!知らなかったよー」
「そっか、良かった。じゃ来週の授業で」
「うん、お疲れ」

男友達が去っていくのを無言で見送った男の子は、また二人きりになるなり「誰?」と口を開いた。

「友達です。一緒の講義を受けてて…」
「講義?……ふーん……」
「あの、そろそろ手を…」
「…嫌?」
「い、嫌ではないですが…」
「講義ってことは何か勉強してるってことだよね。杏里ちゃん何勉強してんの」

手は結局離さないつもりみたいだ…
仕方ないのでそのままにして、今大学で学んでいることを話した。
妖怪やお化けを例に上げて話すと男の子が興味を示す。

「へえ…そういうの興味あるんだ、杏里ちゃん」
「はい。きっかけは、母が話してくれた狐の嫁入りなんですけど」
「え」

少し見開かれた目。聞いたことなかったかな?

「ああ、天気雨のことを狐の嫁入りって言うんですよ」
「ああ…そっちね。確かに、そう言われることもあるね」
「えっ、狐の嫁入りに他の意味もあるんですか?」
「いや、本当に狐の嫁入りのことかと」
「あはは…あくまで民間伝承ですからね」

私は笑ったけれど、男の子は何か考え込んでいる。

「遠くに嫁ぐ時はやってたけど最近はどうだろ…」
「……えっ、嫁入りする時に雨を降らせることを…ですか?」
「うん。昔からの伝統ではあるけど、最近はほら、色々あるから。タクシーとかっていうやつ?」
「えっと、それはつまり…嫁入りの時に人間に姿を見られないようにするために、タクシーを使うんですか?狐が?」
「そう。わざわざ雨降らせなくても人の道具を借りれば早いから。妖力落ちてきてる奴にはそっちの方が簡単だし、今はその方が人の中に紛れやすい」
「面白いです、その話…!現代の狐はタクシーを使うんですね!」

わくわくしながら聞き入ってしまった。初対面でこんな話に乗ってきてくれるなんてやっぱり優しい人だとも思った。
それに、嫁入りで雨を降らせる行為は狐の世界では伝統、かぁ…
一体どこでそんな話を知ったんだろう。資料があるなら見せてほしい…!

「あの、民間伝承に詳しいんですか?」
「詳しいっていうか…まあ、多少は」
「…実は、私今困ってて…」

これも何かの縁と、レポートの題材で悩んでいることを話す。

「それで、できればあまり知られてない場所を調査したかったんですけど、なかなかなくて。何かこの近くにあったりしませんか?」

教えてもらえればラッキー、ぐらいの軽い気持ちで聞いてみると、意外にも「あるよ」という返事。

「ほんとですか!?」
「うん…興味ある?案内してあげる」
「わぁ…!ぜひお願いしたいです!ありがとうございます!」
「…こちらこそ」

男の子はにやりと笑った。
その目を細めた顔が何かに似てると思ったけど、何だったかは思い出せなかった。