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午後のニュースで隣街に巨大クレーターが出来たらしいと知った。

濡れた髪を拭きながらバイトに向かう準備をしている最中。つけっぱなしのテレビから緊急速報が流れてきたかと思えば、普通の街並みの中に突然、地面を大きく抉る窪みが現れていた。
酷い有り様だった。街全体が跡形もなくなっている。
瓦礫と言うより塵と化した街。
少し煙の立ち込める巨大クレーターを取り囲むマスコミと、それを抑える警官や消防隊。空にはヘリコプターが何機も見える。
そんな光景を背に、深刻な顔付きのレポーターが口早に状況を伝える。

いわく、巨大エネルギーの膨張による爆発が原因と見られ。
怪我人や死亡者は確認できておらず。
多発している行方不明事件との関連性があるかを含め、調べが進められている。

さっきシャワーを浴びている時に感じた大きな震動と衝撃音はそれだったか。地震かと思ってテレビをつけたら、こんな事態になっているなんて。
呆けかけたが我に返り、慌ててバイト先のカフェに連絡を取った。
出ない。
祈るように何度か試してみたものの、一度も繋がりはしなかった。
店長やバイト仲間もあの街にいたはずだ。街と一緒に消えてしまったのか。
しばらく座り込んだままぼうっとテレビを眺めるだけの時間が過ぎる。流れてくる映像は、一瞬で空虚になった私の中身そのもののようだった。


クレーター事件により仕事を失った私は、自宅近くの居酒屋で働き始めた。
この仕事は生活のためにやむなく適当に応募した。
他のカフェには何となく応募する気になれなかった。店への裏切りのような気がして。
それほど私にとってあのカフェは特別な場所だったのだ。

昔から理想のお洒落なカフェで働きたいと思っていた。
親元を離れ、こだわり抜いてやっと見つけた場所。
店の雰囲気もメニューも訪れるお客さんも、全部が自分の思い描いていた通りの場所だった。
すぐに丁寧な履歴書を書き、面接で熱意を伝えた時の店長の温かな笑顔が嬉しかった。
採用された日は本当に幸せだったし、店にとって自慢の店員になれるよう尽くした。
やがてカフェでの働きぶりが認められ、正社員になる話も出ていた矢先の事件。
生き甲斐を失い未だ立ち直れていない私は、居酒屋の仕事を淡々と処理するだけのつまらない日々を送っていた。
唯一救いだったのは店長やバイト仲間が生きていたという情報。
街の人間全員の生存を伝えるニュースが事件から間もなく発表された時には心底安堵した。
彼らは光と衝撃波に襲われたことは覚えているものの、生存の理由については全く分からないと言う。気付けば爆発前にいたと思われる場所に立っていたそうだ。

直接の原因であるエネルギーの実態については現在も調査が続けられているが、それよりも市民の関心はもっと現実的なこと、街の復興にある。
今日の居酒屋もその話題で持ちきりだ。
無事だったものの、私と同じく働き口を失った人々は大勢いる。
就職先がなかなか決まらずに国から支給された臨時手当を使い、ここに飲みに来ている人も少なくない。
私がここにすぐ採用されたのは運が良かったのだろう。
鬱憤を晴らすように飲んでいる人達から注文が飛んで来ないかと店を見渡していると、すぐ横のカウンター席から袖をくいくいと引かれる。

「ね、電話番号だけでも」
「すみません。仕事中なので」

来るたび何かと私にちょっかいを出してくるこの常連もそういった人の一人なんだろう。
同情はするが、誘いに乗る理由にはならない。

「じゃこの後ヒマ?」
「人に会う予定があります」

嘘ではない。カフェでのバイト仲間だった女の子と久しぶりに会う約束をしている。
口を尖らせて酒に戻った常連を尻目にさっさと厨房へ戻り、料理を運ぶ。
本当ならこんな酒と煙草の臭いにまみれる油染みた場所ではなく、お洒落な照明の下で薫り立つコーヒーを提供しているはずだった。
職なしの私を拾ってくれたここの店長には何の不満も恨みもないけれど、どうしても比べてしまう。
上がる時間になり私服に着替えて店に出ると、さっきの常連が「そんな顔じゃ彼氏も逃げてくよー」と煽るように言ってくる。

「…大きなお世話です」

知ってて嫌みを言っているのかと勘繰ってしまうような口調に、余計に眉間にしわが寄る。
彼氏なんていた試しがない。あのカフェでの時間が私の全てで、プライベートに目を向ける暇などなかった。
鞄を抱えてごった返す店を出たところでほうとため息をつく。
やっと解放された。
赤提灯の立ち並ぶ通りを足早に抜け、彼女との待ち合わせ場所へ急ぐ。
久しぶりに会った彼女は元気そうだった。
既に報道されている通り爆発の瞬間からクレーターの中で気が付くまでの記憶はなく、これを機に実家に帰ると言う。

「例の行方不明事件も結局まだ解決してないでしょ?親が危ないってうるさくて」
「そう…寂しくなるな」
「店長、店復活させる気満々だったよ。元通りになったら遊びに行くから」
「何年かかるか分かんないけどね。人の住める環境に戻すのが最優先だろうし、カフェは後回しだと思う」
「そうだねぇ…あんたあの店好きだったもんね」
「…うん」
「でもあれだけ派手に爆発して、全員命があっただけでもラッキーだったじゃない。あたしもだけど」
「そうだね。そこは本当、良かった」
「生きてたらまた運命の店が見つかるって。ね」

変わらないさっぱりした彼女の態度に、私も少し元気をもらった。
別れ際、「これあげる」と何かの欠片を渡された。
ガラスに似た材質のそれは、私の手の上で街灯に反射しきらりと光った。

「気が付いた時に側に落ちてたの。もしかしたら店の照明の破片かもって思って、拾ってきた。あんたが持ってた方がいい気がする」
「ありがとう。…本当に何もかもなくなっちゃったんだね。何か実感した」
「元気出して。生きてる限りいいことが絶対巡ってくるから」
「うん。そっちも元気で」

駅灯りの方へ消えていく彼女の後ろ姿を見送り、私も家路についた。



調査が終わり、やっと復興のための重機が入り始めた隣街は、関係者以外の立ち入りを未だ禁じられている。
私は変わらず居酒屋で働いていた。
当時の脱け殻のようなショック状態からは何とか持ち直していたものの、たまの休日にふとカフェまでの通勤経路を辿ってみたりしていた。
自分でも未練がましいと思うけれど、こうやって店までの道をたどり、あるはずのものがないという光景を目の当たりにすることで、心のバランスを取っているのかもしれなかった。
今日も赤く染まり行く空の下、街の外れへ来た。
上向きの矢印と共に街の名が書かれた看板の前で足を止める。
十数メートル向こうは防音のバリケードで囲われ、頑丈な金網の扉から見える道路はぶっつり途絶えている。
その先の広大な荒れ地に点在している重機は、濡れたようなオレンジの光を静かに反射していた。
砂の匂いの風が体にぶつかっていく。
もしあのカフェが戻ってくるとしても、果たしていつ頃になるだろうか。
ポケットの中の欠片を指先で撫でた。
形あるものはいつかなくなってしまう。
理屈では知っていたが、感情が追い付いていない。
後方を行き交う人達は、私のように改めて荒れ地の街を眺めることはもうしなくなっている。
既に彼らには当然の風景になってしまっているんだろう。
そう思ってしまい、寂しさと孤独感が募る。
これ以上惨めな気持ちになる前に帰ろうときびすを返した時だった。

「見つけたダス」

知らない男の声が少し上から降ってきた。
反射的に顔を上げると、夕焼け雲を背にロボットのような装備をした人がいた。
足から青い光のエネルギーが放たれ、頭と肩、鉄球になっている左手には凶暴な刺がしつらえられている。
彼の顔周りには透明なカバーがあり、私を見据える目の前には赤い光が一つ点滅していた。
この突拍子もない出来事に思わず立ちすくんでしまう。
叫び声が耳に届き、逃げ惑う人の姿がぼんやりと視界に入った。
男は他の人には構わず地上に降り、私の行く手を阻む。その目つきが、私にとって良い人間ではないことを物語っている。

「それを大人しく渡すダス」
「……はい…?」

それ、とは。
鉄球ではない方の片手を差し出す男は、何かの確信を持って私に話しかけているらしい。
が、私には思い当たるものが全くなかった。

「何のことですか」
「君が隠し持っているそれダス」
「…お金、ですか?でもそんなに…」
「お金じゃないダス!いいからよこすダス!」

しびれを切らしたらしい男が、左手を勢いよく振り上げた。

「っ…!」

殴られる、と体が固まる。
しかし鉄球は地面に振り下ろされた。
聞いたことのない、アスファルトの砕ける音。ひび割れた部分から一瞬にして地面が割れていく。
鉄球を中心に円形に砕けていくアスファルトは、私の足先でその侵食を止めた。
まるでクレーターだ。
…まさか、街を消したのは。

「さあ」
「…い、やです!」

一つの可能性が私を反発させた。
返事をすると同時に横へ駆け出す。
男の制止する声を背中で聞きながら、暗く細い路地へ逃げ込んだ。
久しぶりに激しく動かした足はすぐに痛んできた。ぶつかった空き缶が壁に当たって耳障りな音が響く。
このまま大通りへ続く道を辿って人混みの中へ紛れれば、と走りながら考えたが甘かったようだ。
ジェット音はすぐに追い付き、私の頭上を飛び越えた。
さっきの男が立ちはだかり、私に大きく黒い影を落とす。

「無駄ダス」

息を切らしながら後ろへとって返した私の、近くの壁が砕け散った。

「きゃ…っ!」

男が建物に一撃を喰らわせたらしい。
衝撃波で、壁の破片と共に地面へ倒れ込んだ。擦りむいた腕がじんじんと痛む。
しかしそれよりも、あの街を、あの店を消したかもしれない男への怒りが上回った。
立ち上がらない私の前に男が近付いてくる。

「あまり手荒なことはしたくないダス。大人しくそれをよこせば何もしないダス」
「何のことですか?私はあなたに渡すような物は何も持ってません」
「誤魔化しても無駄ダスよ。言うことを聞かないなら研究所に…」
「おい!その人を離せ!」

別の男の声が路地の先から聞こえてきた。
逆光で良く見えないが、その人も浮いているようだ。この男と同じ、何かの力を操る人なのか。
そういえば聞いたことがある。
消えた街、アーカツカシティには街を守るヒーローがいたとか…

「邪魔をするなダス!」
「問答無用!カリスマスペシャルッ!」

決着は面白いほど一瞬でついた。
必殺技らしきパワーによって呆気なく吹っ飛ばされたロボ男は、「覚えてろダス!」と捨て台詞を残して空へ去っていった。
助かったのか。
男の消えた方をぼんやり見つめる。一体何だったんだろう。

「危なかったねぇ。大丈夫?」

背後からかけられた声に振り返れば、アメリカンコミックのヒーローのような出で立ちの眼鏡を掛けた男が立っていた。

「は、はい。ありがとう…」

ございましたと続けるつもりが、その人の表情がみるみるうちに驚きになり、両腕を握り締めて天を仰いだ。
何かしたかと不安になる。

「あの…」
「…っっしゃああぁぁぁぁ!!女の子じゃん!!」
「えっ…そうですが…」
「初めてだよ女の子助けられたの!ずっとおっさんばっかでさぁ!」
「あ、そうなんですか…」
「いやー今日はツイてんなぁ〜。しかも…」
「しかも?」
「あーいや、何でもない。へへ、立てる?お姫様抱っことかしちゃう?」

軟派なヒーローもいたものだ。
だが助けられたのには変わりない。
お姫様抱っこは丁重にお断りを入れて自力で立ち上がった。

「助けていただいてありがとうございました」
「いいっていいって!俺ヒーローだし」
「アーカツカシティの?」
「そうそう!え、俺のこと知ってんの…?」
「いえ、噂だけ。お会いしたのは初めてです」
「んー、そっかぁ。ま、そうだよなぁ…」

どことなく寂しそうに言った彼は、私の擦り傷に気付き「ケガしてんじゃん」と腕を取った。

「さっきこけた時に…」
「わ、痛そー。ばんそうこうとか持ってねーしな俺…」

現実離れした赤いヒーロースーツに庶民的な絆創膏は似つかわしくない。
それを半ば真剣に探す様子がおかしくて、少し笑いが込み上げてきた。
口周りの筋肉がぎこちなく動くのを感じる。カフェがなくなってから、自然な笑いが溢れる時が極端に減っていたと気付いた。

「…」

そんな私をじっと見つめる相手の視線に「何か?」と問いかければ、「いや別に?」とはぐらかされる。

「ただやっぱ、笑ってた方が可愛いと思って」
「へ」

ふに、と頬が軽くつまんで持ち上げられる。
私と違い無邪気に笑うその人を羨ましいと思った。

「…頑張ります」
「頑張るのはいいけどほどほどにねー。君が笑えなくなっちゃうと悲しむ人もいるから」
「たまにヒーローっぽいことも言うんですね」
「だろ〜?だって俺カリスマ…え、たまにって何?」

思わず出てしまった私の本音に、途中で気付いたらしい彼のツッコミにまた笑った。
今度は自然に笑えた。

「ん、やっぱそっちの方がいいよ」

夕陽を背に優しい笑みを浮かべるその人は、街を守るにふさわしいヒーローの顔をしていた。