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タワーを下りた私達は近くの木陰のベンチへ向かった。
私はおそ松に連れて来られたと言った方が正しい。展望台からベンチまで、上手く足が動かせずおそ松に支えられたままだったからだ。
私をベンチに座らせたおそ松は「待ってろ」と残し、どこかへ行った。
パンプスの先を眺めおそ松を待つ間に体の緊張は薄れつつあったが、代わりに罪悪感が増してきた。
せっかくあのおそ松が入場券を買ってくれたというのに一分も持たず下りてきてしまった。これなら最初から誘いを断った方が良かったかもしれない。
ぎゅっと目を閉じ、また開く。
ともかくここは地上だ。もう大丈夫。
おまじないのようにパンプスのヒールで地面をコツコツと叩くと、人の足元と黄色のラベルのペットボトルが視界に入ってきた。

「ん」
「あ、ありがとう」

ペットボトルを私に手渡し隣に座ったおそ松も、既に飲んでいるらしいコーヒーの缶を持っている。

「…どう?」
「うん、これ好きなやつ」
「そっちじゃなくて…あーいいけどさぁ別に」
「あ、気分の方?そっちももう大丈夫」
「…そ」

蓋を開けて一口流し込む。
おそ松はコーヒーを飲みきり、しばらく無言が続いた。

「……………ご、」
「ごめんねおそ松、すぐ下りてきちゃって」
「は、え?」
「せっかくおそ松が連れて来てくれたのに」
「…いや、そこはいいって……ていうか、まあ、俺も悪かったっつーか……ごめん」
「ううん、私も自分であそこまで弱いとは思ってなかったから」

高低差が大きすぎる場合のみ、私に恐怖心が芽生えるらしい。高所恐怖症、と一応言えるのだろうか。

「おそ松のとこの屋根は平気なのに何でだろうね」
「どれくらいの高さなら大丈夫なわけ、お前」
「境界線は分かんないけど、遊園地のアトラクションは乗れるよ」
「フリーフォールとかジェットコースターとか?スピードある分そっちのが怖そうな気するけど」
「大丈夫。観覧車も平気」
「変な体質だなお前」
「そうかな。多分、遊園地では『楽しい』って気持ちが上回るんだと思うよ」
「へー。そんなもんかね」
「十四松と観覧車乗った時すごく揺らされたけど、全然大丈夫だったし」
「おい」
「ん?」

急に不機嫌そうな声で睨まれた。
もう一口飲もうとしていたペットボトルを、そっと口から離す。

「…あ、そっか人の名前」
「そっちじゃねーから!え!?は!?十四松と!?何で!?」
「それもデートのだよ」

前にデートのリハーサルをしたいから付き合ってほしいと言われて、十四松と一緒に遊園地に行ったことがある。
その時はデートと言うより普通に遊んだだけだったけど、今思えば彼女らしく振る舞わなくて良かったんだろうか。そういえば結局本番は誰とデートに行ったのか、成功したのかも聞いてない。
と、おそ松の空き缶がベコリと形を変えた。

「…十…四松…の野郎…!」

弟にデートの抜け掛けをされたのがよっぽど悔しいらしい。

「よりによって…今日って日にとことん邪魔してくれやがって…!!」
「でもおそ松もデートでしょ?」
「そ、だけど、あいつが先じゃ意味ねぇじゃん!つかお前も何なの!?何で行ったの!?」
「付き合ってって言われたし…」

おそ松の手から変形した缶がカランと落ちた。
音のない風が缶をさらっていきそうになったので慌てて拾いに行く。もう一人でも歩けそうだ。
その間におそ松は両腕で頭を抱え込んで膝に突っ伏していた。
近くのゴミ箱に缶を捨ててベンチに座り直すと、突っ伏したままの腕の隙間からべそをかいたような声が聞こえてきた。

「十四松に…付き合ってってぇ…?」
「うん」
「な……何て……返事……」
「いいよって」
「……ぅぅううう……」
「どうしたのおそ松、お腹痛い?」

背中を擦りながら聞くと、「胸が痛い」と返ってきた。

「じゃ……じゃあどうして……今日、俺と…デート……」
「おそ松の頼みだから」
「俺のぉ…頼みだから…?…!」

がばりと顔を上げたおそ松は「じゃあっ」といつになく真剣な顔になっていた。

「お、お…俺が、っつ…付き合って…って言ったら、付き合ってくれんの…?」
「うん。だから今こうしてるんだけど…」
「マ、ジか…っ!ってそうだよね!?今までの流れ見る限り……い、いやちょっと待て!十四松は?お前十四松のことはどうすんの?」
「十四松は…もうないんじゃないかな。あれからそんなことないし」
「自然消滅?」
「そんな感じ」

おそ松の必死そうだった顔が少し緩み、大きな息を吐いた。

「んだよそういうことかよ…十四松の奴帰ったら問い詰める…」
「もうそろそろ帰る?」

休憩とお喋りをしているうちに夕方になっていたようだ。太陽が夕焼けになりかけている。
しかしおそ松は「いや」とすぐに否定した。

「観覧車乗る」
「今から?」
「そーだよ!十四松だけに綺麗な思い出作らせねぇから!」
「ああ、観覧車からの景色綺麗だったよ」
「んぐぐぐぐ…!」

歯噛みしていたかと思うと、私の手を引いて歩き出した。
赤塚タワー周辺に遊園地はない。一番近い遊園地に行こうと思えば電車で移動しなければならない。
というわけでその一番近い遊園地に着いたのは、空の三分の一が星空に変わった頃だった。
当然のようにおそ松が二人分の入場料を支払い、派手な光と機械音のしているアトラクションを抜けて、高台に佇む観覧車の前へやってきた。
夜の観覧車は昼間より静かで高く見える。そう言ったら「そうかもな」と返された。
人もまばらですぐに案内されたゴンドラの中へ、二人向かい合って座る。
私は外側に座ったので、正面にはやけにきちんと着席しているおそ松と観覧車の骨組みが映っている。
しばらく経って眺めに飽きてきたので、反対側に移らせてもらおうと声をかけた。

「そっち行ってもいい?」
「へ?…あ、ああ…」

おそ松の隣に座り直せば、思った通り夕焼けと夜の混ざりあった空が窓一面に映し出される。

「綺麗」
「…おう」
「下りるまでずっとこの景色だといいな」
「…また来ようぜ」
「いいの?」
「うん」
「珍しいね」
「…だって、もう…付き合ってくれた、わけだし」
「そっか。いつでもいいけど…」

それにしても、今日のおそ松は彼氏として完璧と言っていいと思う。おかげで私も楽しい一日を過ごせた。
ゴンドラがゆっくりと頂上に着く。夕焼けがビルの光の地平線へひっそり消えようとしている。

「あ」
「あ?何、怖い?」
「ううん。二人きりだね」

二人きりは早いとか言っていたが、今の状況はおそ松的にいいんだろうか。
隣を見るとまた睨まれた。

「お前分かって言ってんだろうな?」
「二人きり…じゃないの?」
「いやそーだけどさぁ…ここはさすがに…」
「ここでもデートって感じで楽しいと思うよ。十四松の時も」
「っだから他の男の名前出すなって!バカ!」

さっきはいいと言っていたのに、二人きりの場所ではだめなようだ。デートは本当に難しい。
私にはまだ早かったのではないか…と思っていると、そろそろと手を握られた。
私ではなく正面を向いたままのおそ松の手は熱くて汗ばんでいる。どうも緊張しているようだ。
もしかしておそ松は観覧車が苦手なのではないだろうか。
私がデートで観覧車に乗ったなどと言ったから、急きょ予定に組み込んだのでは…
だとすると申し訳ないことをした。せめて今は私がおそ松の支えにならなくては。
手を握り返して距離を詰めると、いっそう体を固くされた気がした。
それからずっと手を握られたまま、特に何をするわけでもなくゴンドラが地上に近付いていく。
下りる間際のおそ松は盛大なため息をついて顔を両手で覆い、「結局何も…」と呟いた。

「おそ松大丈夫?」
「大丈夫なわけあるか…ん、ほら」

ゴンドラから先に下りたおそ松が手を差し出してくれる。
今度は間違えない。素早く手を取った。

「ありがとう」
「…じゃ、帰るか」
「そうだね」
「…はぁ」

何やら落ち込んでいるが私としてはとてもいい彼氏っぷりだったと思う。

赤塚台に戻ってきた頃にはすっかり夜だった。
家まで送ってくれると言うので実家の方へ帰る。明日は朝から店の手伝いなのだ。
「ただいま」と店に入ると、おそ松以外の兄弟が全員カウンターに揃って飲んでいた。

「あ、いらっしゃい」
「お帰りぃ〜…」

ふて腐れたようなトーンで迎えてくれた五人の中、十四松の隣へおそ松が交ざっていく。

「ちょーど良かった十四松ゥ…てめーに聞きたいことがある」
「えっ何でそんな怖い顔なのー!?ぼくあの時おそ松にーさんに呼ばれて行ったんだけど!?」
「そういうこっちゃねぇェ…」
「杏里ちゃん、十四松から聞いたよ。上手くいったみたいだね…デェェェト……」
「うん…みんなどうしてそんなテンション低いの?」
「兄弟の成功を喜ぶような人間がこの場にいると思う…?」

一松がどんよりした目を向けてきた。

「いや、でも喜ぶべきなんだよね実際」
「あのおそ松兄さんがとうとうここまで来れたんだから」
「円満にね…」
「フッ…どうだった、おそ松は?上手くやれそうか…?」

カラ松の問いに強く頷く。

「うん、すごくいい彼氏だったよ」
「…杏里…」
「ボェバ」

おそ松に首を絞められていた十四松が床に落ちた。

「高いところが苦手な杏里ちゃんを赤塚タワーに連れてったくせに?」
「私も拒否しなかったし、おそ松は私のこと助けてくれたから」
「へえ〜?」

トド松に見られたおそ松は照れくさそうに鼻の下を擦っている。

「だから、今日は本当に楽しかった。ありがとうおそ松」
「…」
「ねえ無言で照れまくらないで腹立たしいから」
「兄弟のこんなの見るに耐えない…ううっ」

自分で自分の体を抱き締めている一松を、復活した十四松が慰めている。

「そっか…じゃあ本当にもう、問題ないみたいだね」

チョロ松がしみじみと呟いた言葉に「そうだね」と返す。

「だから本番も今日の感じで大丈夫だと思うよ」

続けて私が放った一言に、さっきまでの賑やかさが嘘のように静まり返った。
六人ともが固まり同じ顔でこちらを凝視している眺めが久しぶりすぎて、一瞬軽く怖さを覚えた。
しばらくの後、氷漬けから解かれたトド松が「杏里ちゃん…?」と発する。

「ん…?え?杏里ちゃん?ちょっと待って…えっ本番って何?」
「えっと…デートの」
「えじゃ今日のデートは何だと思ってたの?」
「おそ松のデートのリハーサル…」

それだけ言ってから、これだけでは誤解されると思い慌てて言葉を付け足した。

「おそ松が誰かとデートしたいから、そのリハーサルの相手に私が選ばれたんだよね?前も十四松とそういうことがあったから…そういうことだと思ってたんだけど」
「……」
「……」
「えっと…」

誰も何も言わない。
言い方を間違えただろうかと不安になっていると、穏やかな笑みをたたえたおそ松が私にゆっくり近付いてくる。

「杏里」
「うん」
「お前、デートのリハだと思ってたんだ?」
「うん」
「俺が他の女の子とデートするための?」
「うん」
「今日一日ずっと?」
「うん」
「はは、そっか…はは、そう…」

ゆっくり白目を剥いておそ松が後ろに倒れた。

「お…おそ松?」
「おそ松兄さん!?」
「にーさぁぁん!!」
「これは悲惨…」
「大惨事だ…!」

床に倒れたおそ松はぴくりともせず、ぐったりしたまま十四松の背に抱えられた。

「あの、おそ松…」
「杏里ちゃんごめん、ほんとごめんだけど、今は何も言わないであげて」
「今日のところはもう帰ろう」
「おそ松にーさんしっかり!」

何かとてつもなく悪いことを言ってしまったらしい。
が、誰もそれについて触れないので何が悪かったのか分からない。

「あ、あの…一松…」

最後に店を出ようとする一松を勢いで呼び止める。

「おそ松に悪いことしちゃった?」
「あー…いや、気にしなくていいよ…こっちの問題」
「…おそ松に伝えてくれる?今日は本当に楽しかったって。私もおそ松みたいな彼氏がいたらすごく嬉しいと思うって」

一松はちょっと目を見開いた後、「伝えとく」と言ってくれた。

後日おそ松と再会した時、別段怒ってはいなかったので少しほっとした。
十四松とデートのリハーサルに行ったことについては詳しく聞かれたが、それだけだった。

「てことはお前、十四松と付き合ってたわけでもねーんだな?」
「恋人関係になったことはないよ」
「…ま、今はそれ聞けりゃいいわ…」
「…ところで、おそ松は結局誰とデートに、」
「うるせーバカ!誰がするかバーカ!」

どうやら上手くいかなかったらしい。
おそ松の前で今回のデートの話は禁句だ。これから気を付けよう。