×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -



パンケーキの伝票を持ってレジに向かおうとすると、おそ松に取り上げられた。

「俺払うから」
「えっ…!?」
「何でここで一番感情豊かなんだよ!俺だって奢る時ぐらいあるからね!?」
「う、ん…そうだよね。じゃあ、ごちそうさま…」
「はいはい」

おそ松が私の分も支払ってくれると言う。
いよいよ珍しいことになってきた。本気中の本気だ。
だけど思い返してみればトト子ちゃんのためなら惜しげなくお金を使っているようだし、本命の子にはこれが普通か。
あからさまに驚いたことに少し申し訳なくなりながら、おそ松の後から店を出た。

「で、どーするこっから」
「えーと」

会計をしてもらっている間、スマホで見ていたおすすめデートスポットのページには公園が多く載っていた。
ここから一番近い公園は赤塚台公園だ。
そこに行こうと言うと「ん」と手を差し出される。

「ああ、えっと、いくらだった?」
「違ぇよバカ!」
「あ、そっか」

差し出された手を握ると、おそ松は不機嫌そうな顔のまま歩き出す。一応デートだから、不本意ながらも繋いでいるといった感じだろうか。
店から赤塚台公園まではすぐだった。
小川、ボートに乗れる池、桜並木や茶店もある広い公園内は、たくさんの人がいるものの窮屈さを全く感じさせない解放感がある。
コンクリートで舗装された池沿いの散歩道を、おそ松と喋りながらしばらく歩いた。
池に鴨がいるよ、とか、あの子の風船が飛ばされてる、とかいつもの他愛もない会話だけれど不思議と楽しい。場所が場所だからか。
ぐるりと池を半周するとボート乗り場に着き、ちょうどいいので乗ることにした。
おそ松がオールを握り、凪いだ水面をボートがゆっくり滑っていく。
遠ざかる子供の歓声と、すぐ側の静かな水音。
一人ではなかなかボートに乗らないからいい気分転換になる。
いや、今はデート中だった。気分転換じゃなくデートに集中しなくては。
やがて、林の小路から木が枝を垂らしている木陰の方へボートが入っていき、おそ松はそこで手を止めた。

「疲れた。きゅーけい」
「うん。ありがとう」

少し身を乗り出して池の中を覗いてみる。綺麗な水だ。

「落ちんなよ」
「大丈夫。ボート漕ぐの上手いね」
「ふっ、俺って何でもできちゃうからぁ」
「うん、すごいよ。今の台詞カラ松みたいだね」
「お前何でそういう余計な一言付け加えるの?」
「ごめん」
「…あと、デート中に他の奴の名前出すな」
「弟でも?」
「弟でも!」

どうやらパンケーキの店で十四松の名前を出したのも良くなかったらしい。
他の人の名前を出してはいけないなら何を話せばいいのか。
ふと、座席についているおそ松の手が目に留まった。

「ねえおそ松、ちょっと手見せて」
「ん?」

私に手のひらを向けるおそ松の手を取り、ひっくり返して手の甲を見つめる。

「な、何」
「意外と綺麗」
「え?そ、そう?」
「うん、変にたるみやしわがなくて。指の形も綺麗だし。男の人って感じで骨張ってるね」

ニート生活を謳歌していても、ボートを操れるぐらいには力強い手だ。
前屈みになりおそ松の手を興味深く観察していると、今度は私の手を取られた。

「お前が柔らかすぎなんじゃね?」
「そうかな」
「あ、何お前、ここ傷あんじゃん」
「メニュー表入れ替える時に切っちゃって」
「うっわ、紙で切るってすげー痛いやつ」
「うん、痛かった」
「今は?」
「今は特に」
「ふーん…」

気付けば顔の距離が近くなっていた。
おそ松は手ではなく私を見ている。私も見返した。
枝から落ちたらしい葉がおそ松の肩に乗ったので払おうとしたら、手が掴まれたままで動けない。
おそ松のおでこが私のおでこに当たり、手が離される代わりに両肩を引き寄せられる。

「……杏里」
「ん?」
「…目、閉じろよ」

言われるがままに閉じ、何だろうと思っていると、おそ松の後方から激しい水音と雄叫びが聞こえてきたので思わず目を開いてしまった。

「ちょっ、急に開けんなって…!」
「……おそ松、十四松がいる」
「は?」

振り返って元気よく泳ぐ十四松を確認したおそ松が頭を抱えた。
溺れた人でなくて良かったと私は胸を撫で下ろした。

「…何でまた…」
「あ、ごめん。他の人の名前出しちゃった」
「そっちじゃねーから!もういいわそれ!」
「あ、そう?十四松楽しそうだね。よく来るのかなここ」
「知らねーよ!十四松!!」

バタフライをしていた十四松は私達に気付き、方向転換をして向かってきた。鴨の親子がびっくりしている。
ボートの隣で泳ぎを止めたびしょ濡れの十四松は、ぷかぷか浮かんだまま私達を見上げて「わーい」と嬉しそうに笑った。

「おそ松にーさんと杏里ちゃん!ぐーぜんだね!」
「ほんとだね」
「十四松、お前泳ぐならもうちょい場所考えろよ…見ろ、リア充たちがドン引きしてるから」
「うん!だからここにした!」
「いつもなら褒めてやれるのに今はただ憎い…」
「おそ松にーさんと杏里ちゃんもドン引き?」

別に、と首を振った。
十四松が街の水路でも泳いでいることはおそ松から聞いている。

「ふーん、じゃあおそ松にーさんと杏里ちゃんはリア充じゃないんだ」
「何でそうなる!」
「でもなんかいい感じだからやっぱリア充?」
「そうだね」

おそ松の肩の葉っぱをやっと払ってやりながら言うと「そっかー」と納得していた。

「じゃーぼく行くね。あと六周しないと」
「そっか。頑張ってね」
「ボートにぶつかんなよ」
「はぁーい」

綺麗なフォームのバタフライで、十四松は雄叫びと水しぶきを上げながら小さくなっていった。

「体力作り頑張ってるんだね」
「あー、あれ体力作りか…?」
「違うの?」
「十四松の考えることはあんま分かんねぇ」
「おそ松、お兄ちゃんって感じだったね、今」
「ったり前だろ。俺長男だから」
「うん、頼りになるお兄ちゃんだ」

はぁ、とおそ松がため息をついた…と思ったらはっとした顔を上げた。

「忘れてた!赤塚タワー!」

思い出されてしまった。

「杏里!今何時?」
「もうすぐ四時」
「戻るぞ。あそこ何時までだっけ?」
「九時まで」
「まだ余裕あるけど…いや、夜は空けとかないと…」

ぶつぶつ言いながらおそ松が再びオールを握った。
目論見は外れた。何をきっかけに思い出したんだろう。
ボート乗り場に帰ってくるやいなや、おそ松はすたすたと赤塚タワーを目指して歩き始めた。私はその後を付いていく。
赤塚台公園を出てからは十五分ほどで目当ての場所へ到着した。
おそ松が入場券を買ってくれている間、下から展望台を見上げる。
高い。空を飛んでいる鳥より高い。
でも、幼稚園児の子も両親に手を引かれて楽しそうにタワーへ入っていく。
あんな小さな子も入るんだから大丈夫。
それに松野家の二階には上がれているんだから。入る前から決め付けは良くない。

「杏里ー」
「あ、ありがとう」
「おう。さ、行こーぜー」

タワーに入ると、展望台直通エレベーターとグッズ売り場で右と左に通路が分かれていた。おそ松について右通路を進み、途中で入場券をちぎられる。
列に並び、さっきの幼稚園児の子が「何回も来たから全然こわくないよ!」と母親に向かって自慢げに話しているのを聞きながらエレベーターを待った。

「おそ松はここ来たことあるの?」
「や、ない。だって入場料取るんでしょ?たかがエレベーター乗るだけで」

そう、今回はそんなおそ松が私の分の入場料まで払ってくれているのだ。
せめて元が取れるぐらいは展望台にいなければ。
エレベーターが一階に着き、下りてきたお客さんと引き換えに私達が中へ乗り込む。
閉まったドアの上を見ると、1、5、10、15…と50までの数字が並んでいた。展望台は五十階なのか…
タワーの中心にあるエレベーターは、展望台に到着するまでは外の景色が見えないようになっている。
代わりに天井の電飾がピカピカ光って、ドア上の数字が変わるごとに点滅パターンを変えていく。
こんなに長くエレベーターに乗ったことはない。少し頭がふらつくような感覚になったが、その時ちょうど数字が50になった。

「皆様、お待たせいたしました。もうすぐ赤塚タワー展望台に到着いたします。素晴らしい街並みをご堪能ください」

アナウンスが流れ、しばらくして到着の音楽が流れる。
エレベーターが動きをゆっくりと止め、扉が開いた。奥にいた私達は最後にエレベーターを出た。
思っていたより展望台は広かった。
大きな窓は全てガラス張り。窓のすぐ前には望遠鏡もいくつか置いてある。
エレベーターのすぐ横には、赤塚タワーやこの街の歴史が模型やパネルを使って展示されていた。
それをしげしげと眺めていると、「そっちじゃないだろ」とおそ松に突っつかれる。

「せっかくだし窓の側行こうぜ」
「うん」

エレベーターから展望台に下り立ってすぐの感想は、わりと平気、だった。
人もたくさんいて、窓から見える空も綺麗。
大丈夫そうだと望遠鏡の隣のスペースを陣取ったおそ松の横に並び、窓から足元の街を見下ろす。

「うっわ、たけぇなー!街がぜーんぶミニチュアじゃん」
「……」
「あ、あのほとんど見えねーのさっきの公園だよな。十四松の奴まだいんのかな〜」
「……」
「よっと、これどうやって使うんだ…ってええ!?これまで金取んの!?マジかよ…なあ杏里、これ使う?」
「……」
「…杏里?」

私は手すりの棒を掴んだまま、全く動けないでいた。
空を見ただけでは大丈夫だったのに、自分のすぐ下のおもちゃのように小さくなった建物を見た途端、金縛りのようになってしまった。
おそ松に答えなければと思うのに、口が動かない。呼吸の仕方も分からなくなった。
手すりに力のこもった両手が食い込んでいき、自分でははがせない。
室温のせいではない汗がつうっと流れた。暑いのに寒い。そんな感じだ。

「杏里、」

隣でおそ松が手放した望遠鏡の軋む音がする。
手首が掴まれ手すりから引き離そうとされたが、自分じゃない力が働いているようで固まった腕はびくともしなかった。
だけど、おそ松が触れてくれたことで口の呪縛は解けた。

「……お、そ…まつ…」

おそ松の腕が私のお腹に回り、窓から強引に離すように抱き締められた。
視界はおそ松の体で塞がれ、私はようやく手すりから手を離すことができた。

「下りるぞ」

耳元に低い声が届く。
言葉はなく頷いた私を支えながら、おそ松がエレベーターへ向かう。
背中にずっと回されていた手がとても頼もしくて安心して、やっぱりおそ松は長男だとぐるぐるする頭で思った。