▼ 04:ごめんね、私、もう待たない
私は上司のことが好きだ。
2年前に本社からやってきた真島さん。
最初は雰囲気が怖くて近寄りがたい人だったのに、少年のような彼の笑顔を見てしまったら、一瞬で心を奪われた。
その真島さんが退職するまであと3日。
仕事中、ジャケットのポケットに入れていたスマホが震えた。
席を立ち、トイレの個室に入ってスマホを見るとLINEの通知。
『忙しいか? パソコンのデータのことで聞きたいんやけど』
いいですよ、と返信して彼の席に向かう。
真島さんと仲良くなったのは、同僚と残業帰りに食事に行ったのがきっかけだった。
会社のメールでは誘えないからとそれぞれお互いにLINEを交換してグループも作った。LINEをやっていなかった真島さんに同僚が登録させてから、色々LINEのことを聞かれるようになって会話も増えた。
真島さんが来て1年くらいが経った頃、二人で食事に行くようになった。
友達でも、恋人でもなく、他人でもない。あくまでも上司と部下の関係。
仕事の話や同僚のグチなんかがほとんどだった。
「相変わらず機械に弱いんですね」
「お前が詳し過ぎんねん」
「ちょっとお借りしていいですか?」
「ああ、頼むわ」
真島さんのパソコンを覗き込んで操作する。
その間、真島さんは大量の書類をチェックして、必要のないものはシュレッダーにかけている。
背が高くてスラリとした身体にスーツが良く似合う。
足を組んで書類を見ている姿は本当にカッコいいし、近くにいると香水なのかいい匂いがして、この人に出会って『魅惑』の意味を知った。
「できましたよ」
「おう、助かったわ」
「真島さんの机、スッキリしちゃいましたね」
「あと3日でこの会社ともおさらばや」
意見を言っても何も変わろうとしない幹部に嫌気が差して、辞表を提出してしまったらしい。
仕事が抜群にできて、何より部下に信頼されてたのは誰でもない真島さんだったのに。
「じゃあ、仕事戻ります」
「ちょい待ち」
真島さんは指でトントンと机を叩く。
叩いたところを見てみると、『今日、飯どや?』と書かれた紙。
静かに頷くと、「ほな」と真島さんはその紙をシュレッダーにかけた。
*
「やっぱここの肉美味いっすよね!」
「今の半生じゃなかった?」
「半生くらいがちょうどいいんすよ」
自分の席に戻ってすぐ、同僚から「真島さんから聞きました? 今日、焼き肉」と言われ……二人きりの食事を期待した私が馬鹿だった。
ここの焼き肉店から私たち3人はそれぞれの家路に着けるため、仕事終わりの食事にはちょうどいい場所にあった。
「あれ? あの人……」
「知り合い?」
「いや。あの人、真島さんに似てないっすか?」
「どいつや?」
同僚が指差したほうに目をやると、女性と一緒に食事をしている男性。
お酒を飲みながら二人で楽しそうに話をしている。
「全然似とらんやろ! 俺のほうがええ男やで。……あ、お前! わざと目ぇ逸らさせて牛タン食うたやろ!」
「これは俺の牛タンっすから」
「お前のやない! みんなのやろ。ホレ、早よせんと全部コイツに食われてまうで」
「あ……、ありがとうございます」
真島さんが私のお皿に焼けたお肉を乗せてくれた。
さっき、あの二人も同じことをしていていいな、と思っていたところ。
でも、あっちはカップル、私たちは上司と部下。
乗せてもらった牛タンを複雑な気持ちでゆっくり味わう。
「それにしても、真島さんあと3日で辞めちゃうんすね」
「せやでぇ〜。ようやく俺も自由の身や!」
「寂しく、なっちゃいます」
「俺一人おらんようになってもなんも変わらんて。これであのド阿保な幹部らの顔を毎日見ずに済む、はぁ〜、せいせいするわ」
炭で焼かれた肉の煙が換気扇に吸われて昇っていく。
熱でグラスの中の氷がカランと音を立てる。
寂しいですよ、真島さん。
「辞めてからどうするんすか?」
「まぁ、ゆっくり考えるわ。養うやつもおらんしな」
「彼女とかいないんすか?」
「おらんおらん」
「真島さんの好きなタイプの子ってどんな子なんすか?」
ドキン、と心臓が鳴った。
私が聞きたくても聞けなかったことを、同僚はいとも簡単に質問してしまった。
「正直俺もわからんねん。その時好きになった子が好きやからなぁ。強いて言うなら、嘘つかん一生懸命な子やな」
「へぇ〜、真島さんモテそうなのに彼女いないって意外っすね。告白とかされないんすか?」
「う〜ん、されたとしても好きやない子やったら困るやろ。せやから俺は、好きな子には自分から告白することにしとるんや」
……そっか。
二人でLINEすることもあったし、食事することもあった。
もし私が真島さんの好きな女性だったら、いくらでも告白するタイミングはあったよね。
どんなに待っても、真島さんから告白されることはもうないんだ。
勝手に好きになって、勝手に失恋して、私は何やってるんだろう。
私たちは上司と部下。