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▼ 02:まだ夢は醒めない

授業が始まる1時間前――
上靴に履き替えて、真っ直ぐ向かうのは3階にある音楽室。
扉を開けば聞こえる、規則正しいテンポとリズムのスネアドラムの音。

「おはよう真島君」
「よう」

吹奏楽部に入っている人たちは、コンクールに命を懸けていると言っても過言ではないはずだ。
明日がそのコンクール。しかも私たちは高校3年生、これが最後のコンクール。
演奏の評価は金・銀・銅の3つで、正直私たちの部は金賞を取ったことが無い程度のレベルだ。だから最後の大会くらい金賞を取りたいとみんなで頑張っていた。

「みょうじ、いつものやるか?」
「うん。楽器取ってくる」

教室の隅に避けてある机にカバンを置き、3年付き合ったトランペットをケースから取り出した。

「ほな、始めるで。……ワン、ツ、スリー、フォー」

真島君のカウントでロングトーンを始める。
ふと、そういえばいつからこうして真島君と朝練するようになったんだっけ? と考える。
最初はチャラチャラした印象で近寄りがたい印象の真島君だったけど、のめり込んだらとことんやるタイプだと知って、次第にいろいろ話すようになった。
今となってはこうすることが当たり前で、それが明日で最後だと思うと、なんだか急に寂しい気持ちになった。
一通り吹き終えて一息ついていると、いつもならすぐに曲練習に入る真島君が珍しく声を掛けてきた。

「いよいよ明日やな」
「そうだね。あっという間だったね」
「お前、緊張して音外しまくるんちゃうか?」
「真島君すぐそういうこと言うよね! 真島君だって間違えるかもよ」
「俺は緊張せぇへんから絶対間違えんわ。俺のリズムで叩いたる」
「そんなこと言ったら柏木先生にマジ切れされるよ」
「せやな、あいつ冗談通じひんからな」

お互いに幼い子どものような笑い声を上げてから曲練習に入った。
こんな時間も、明日で最後。





授業が終わって2時間後――
コンクール前日ということもあり、柏木先生の合奏指導にも熱が入っていつもより口調が荒い。

「みょうじ! お前いつになったらそこの音を外さずに吹けるんだっ! 明日本番なんだぞ!」
「すいません」

今までたくさんの曲を吹いてきた。
自慢にもならないが、私は一度も音を外さずに吹いたことが無い。
中学生で初めてコンクールに出場した時なんか、緊張で口がかっさかさに乾いて一音も出なかったのを覚えている。
そんな私に神様は試練を与えた。明日吹く曲にソロパートがある。
どうしても音の切り替えがうまくできなくて、未だに吹けたり吹けなかったりしているのだから、柏木先生が怒るのも当然のこと。

「もっと音出さねぇと後ろまで届かんぞ! 真島っ、お前は少し音抑えろっ!」

(チッ)
(あ、真島君怒られた)

柏木先生の熱指導は20:00まで続いた。
すっかり外は暗くなり、ぽっかりと月が浮かんでいる。

「みょうじ」
「ん? 何?」
「一緒に帰らへん?」
「いいよ。楽器磨いたらすぐ行く」
「おぅ、ほんなら玄関で待っとるわ」

急いで楽器を磨き、残っている部員にまた明日と告げて玄関へ向かった。
真島君は玄関先の階段に座っていて、購買で買った焼きそばパンを頬張っているところだった。

「お待たせ。帰ろ」
「俺もうこのパン飽きた。やるわ」
「え……、食べかけのやつ?」
「捨てたら勿体ないやろ」

強引に渡された焼きそばパンを見つめる。
たしかにそこら辺に捨てるわけにもいかず、渋々受け取ってパンを齧りながら並んで歩く。

「今日も音外しとったな」
「うるさいなぁ〜、自分だって注意されてたくせに」
「あれはみんなが音出さへんほうが悪い」
「……明日、外すかな、私」

みんなが今まで一生懸命練習して、上達していることを知っている。
もちろん私も上達しているはず。でも、どうしてもあの一音だけが……。
私のせいで金賞が取れなかったら……。

「そないなこと考えても無駄ちゃう?」
「でも……」
「ここまできたら自分信じるしかないやろ。ま、俺は失敗せぇへんけどな」
「ほんっとに真島君って意地悪だよね!」

真島君にイヒヒと意地悪く笑われて、月が綺麗やなぁと話を逸らされた。

「見てみぃ、月も満月やで! あの月が俺らの金賞を約束してくれとるわ」
「……ちょっと欠けてない?」
「はぁ〜、お前のそういうとこがあかんのや! ここは素直に『そうねぇ』とか言うとこやろ!」
「だって欠けてるじゃん!」

ワイワイと騒がしい帰り道。
こんなのも、明日が終われば、終わるのかな。





コンクール当日――
学校で何度か合奏をして、私たちは会場に入った。
柏木先生のクジ運は最悪で、演奏順は20校中20番目……、即ちコンクールのラストを飾るのが私たちの演奏なのだ。
極限の緊張状態の中、舞台袖で19校目の演奏が終わるのを待っている。

「笑顔でな」

柏木先生が両手の人差し指で口角を上げて部員を励ましている。

「あの強面で言われても説得力ゼロやな」

真島君が背後からそっと呟いてきたが、私は緊張で弱々しく笑うことしかできない。

「緊張し過ぎやで」
「だって、もし失敗したら……」
「みょうじ、俺を見ろ」
「っ……」

自信の無さから床ばかり見ていた私の視線を無理矢理上に向かせた。
目の前には優しく微笑んでいる真島君がいる。

「金賞のことは忘れてええ。俺かてそないなもんずっと前に忘れたわ」
「だ、だけど」
「これが最後なんやで? このメンバーで演奏できる最後の時間なんや。楽しくやらな後悔するで」
「真島君」
「お前ならやれる、大丈夫や。俺は信じとる。せやから、お前も俺を信じてくれ。……正直、めっちゃ緊張してんねん」
「何言ってるの? 真島君は今まで間違ったことないじゃん! 絶対大丈夫だよ!」
「……それ聞いて安心した。ほなな」

真島君は他の部員にバレないようにこっそり私の手をギュッと握り、パーカッションパートの部員たちの元へ戻って行った。
真島君の手は汗で湿っていた。
会場全体に割れるような拍手が起り、演奏していた高校がはけて、いよいよ私たちの番が来た。
それぞれの席に座り、眩しいくらいのスポットライトが当たる。

『20番 龍乃坂高校吹奏楽部 指揮 柏木修』

柏木先生が客席に一礼をして一呼吸置いた後、部員全員の顔を見渡して指揮棒を振り上げた。
大きく吸われた呼吸が、ひとつの音になっていた。

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