▼ 05:ロマンティックブルーナイト
地下の階段を転ばないようにゆっくりと降りて一呼吸を置いてから重い扉を開ける。
少し緊張気味にカウンターのスツールに座り、ゆったりとしたジャズが流れている。
そして今日も変わらず皺ひとつないシャツ、黒いベストに蝶ネクタイが似合っている人物がこちらを見る。
「今日はえらい遅かったやないか、飲み物何にするんや?」
「今日はちょっと用事があってそれから来たんで遅かったんですよ。今日は何がオススメなんですか?」
そう話すと真島さんはなんや、男か?とイヒヒと笑いながら今日はええ苺があるからそれ使ったやつやったら作れるでと言っている。じゃあ、それでと話をして真島さんは苺を取り出している。
私はいつもこのカウンターから見る景色が好きだ。
どんな風に作られていくのか?
どんな風にできあがるのか?
コニャックとスパークリングワインのボトルを置いて黒い手袋がそっと外される。
その様子を見ながらこの人が手袋を外すのはどんな時なんだろうとふと思う。
例えば今のように作業をするとき、寝るとき、お風呂に入るとき。
そして、女性と夜を共にするとき。
そんな彼にとっての“特別”な瞬間に出会える女性はさぞかし幸せだろうなぁと思っている内に目の前には綺麗なカクテルが完成されてすっと差し出される。
「苺のシャーベットにスパークリングワインを入れてみたやつや。」
美味すぎて腰抜かしたらあかんでと言われながら出来上がったカクテルを口に。
大丈夫ですよと言われながら口に含むと苺の甘い香り、お酒の香り、シナモン、柚子の香りが広がってやっぱりこの人はすごいなぁと改めて思う。
「どや、上手いか?」
「…おいしいです。」
せやろと言いながらゆっくりしてきやと話して真島さんは他の人のオーダーを受けながら楽しそうに会話をしている。
私はそんな様子をグラス越しから覗き見る。
真島吾朗。
このバーのオーナーさん。
…といっても人は真島さんだけで他に雇っている訳ではない。
1人でさばける量のテーブルとカウンターでこのこじんまりとした雰囲気が私は好きだ。
そして今、忙しなく作業している真島さんのことも。
とは言ったものの私の今の関係は店員とお客。
ただそれだけ。
このお店に来る人の中で真島さん目当ての人もいて中には積極的にアプローチしている人もいる。しかし真島さんは慣れているのかそんな誘いには乗らずのらりくらりと躱している。おそらく本命の人がいるか彼女がいるのかもしれない。私はそんな事ができずただお酒を飲み、話して帰るだけといった所。そして好きな人がいるのか、彼女がいるのかさえも分からない。
「そういえば、この前、韓来で真島さん見たんですけどいました?」
「この前?兄弟とおったんやったら俺やな。」
いや、違いますよ。3人くらいでいましたよと話すと真島さんはじゃあ、ちゃう男やなぁと言っている。
「なんか、似とる人間は世界で3人くらいおるらしいで。」
「ほんとですか?」
本当にそうならその中の1人と付き合いたいものだとそんな非現実的なことを思うのはさっきまで飲んでいたお酒が回ってきているのかもしれない。頬の熱さを感じながらぼんやりと作業をしている真島さんを見る。
「なまえチャン、お替りはええんか?」
思わず声を掛けられて肩がびくんとなって驚いていると真島さんはなんや、ゴロちゃんに見とれとったんか?と笑っている。そうですよと言えればいいけどそう言えないのが私という人間。違いますよと言って何にしようか真島さんの後ろに並べられたボトルを見ながら考える。
「さっぱりしてて綺麗なのがいいですね。できますか?」
結局、いつもたくさんあるボトルに圧倒されて私のオーダーはこんな感じ。真島さんはお安い御用やと言ってボトルを選んで並べている。
そしてあっという間に私の前に。
「わぁ、めちゃくちゃ綺麗なんですけど。名前とかあるんですか?」
「ブルーラグーンや!」
ブルーラグーン。
その言葉を飲み込みながら何か飲むのがもったいないなぁと思いながらもそっと口に運ぶ。
さっぱりとした口当たり、まさに爽やかな味。
そっとグラス越しから真島さんを垣間見る。
綺麗な青、そして真島さんの姿。
やっぱり今日も変わらずいつもの店員とお客。
まだまだこの関係は変わらない。
そう、何も始まっていないのだから。