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▼ 11月23日

グレーのビジネススーツ。
ジャケットを脱いで、ブラウスの袖を肘まで捲る。足を開いて腰を落としたせいで、膝丈のタイトスカートは太腿辺りまでずり上がっているが気にしない。
黒いヒールで地面に足を踏ん張り、バットを振った。

ブンッ――

いつもどおりの空を切る音、20球連続空振り。
仕事のストレスが溜まると、休みの日に吉田バッティングセンターに来てそれを発散する。残念ながら空振り記録を更新中だが、バットを振るだけでも気持ちがスッと軽くなる気がする。
ただ、ストレス発散のために来ているのに、ストレスになることがひとつある。それは……

「みょうじちゃん!」

眼帯をした男。髪型も変だし、素肌にジャケットを羽織るセンス、パイソン柄は派手で好きじゃない。
質の悪いヤクザにいつから目を付けられていたのかはわからない。私がここに来るといつもいて、堂々と私のバッティングケージに入って来ては「肩が入り過ぎとる!」とか「腰をもっと落とさんかい!」とか、求めてないのに本格的なアドバイスをしてくる。
もちろんプライベートについても色々聞かれて、あまりにしつこいから勢いで苗字だけ教えたら「みょうじちゃん」と呼ばれるようになった。聞いてもいないのに「俺、真島っちゅうねん。真島吾朗!」と自分の名前を教えてきたり……馴れ馴れしい。

「スーツ姿もなかなかええでぇ〜。仕事帰りなんやろ? 会社で嫌なことでもあったんか?」
「……関係ないです」

今日もこの人は当たり前のように私の元にやってきて、300円を機械の投入口に入れる。

「ちょっ、」
「あと20球や。このゴロちゃんがみょうじちゃんの話、聞いたるで。バッティングとゴロちゃんお悩み相談室でストレス発散、一石二鳥や!」
「別に聞いてもらうことなんてないです」
「あ〜っ、よそ見せんと! 1球ムダにしてもうたやんか。あと19球や、すぐ終わってまうで!」

どうしてこの人は赤の他人の私にこんなにも付きまとうのか。
軽くて、口が悪くて、ふざけたことばかり言って、本当に腹が立つ!

ブンッ――

「ナイス空振り」
「す、少し黙っててもらえません?!」
「おぉ〜怖っ。……でもみょうじちゃん、今、自分がどないな顔しとるかわかるか?」
「わかるわけっ、ないじゃないですか」

再び盛大に空振りしながらそう言う。

「みょうじちゃん、泣きそうな顔しとるで」

そんなことないです。
いつもの私ならそう言っていた。でも言えない。
なぜならそれを言った瞬間に、この人が言ったとおり私は泣いてしまう。だからあえて返事をせずにバットを振り続ける。
一定のリズムで球数は減っていき、残りはあと10球。

「なぁ、ストレス発散しに来たんとちゃうんか? いつまでも心に溜めとったらここに来た意味ないで。ちゃんと言葉にして俺に聞かせろや」

ボールは容赦なく私に向かって次々に飛んでくる。
話す気はなかった。でも、バットを振るたびに、気持ちを閉じ込めていたガラスを自ら叩き割ってしまう。気持ちは言葉となってどんどん流れ出してしまう。

「彼氏と、別れたんですっ」
「ほぅ」

「相手は上司でっ、3つ年上の」
「なんで別れたん?」

「子供ができたって! 別な彼女に」
「なっ、二股掛けられとったんか」

「彼女、私と同じ部署の子なんですよっ」
「なんやて?!」

「そして上司はっ、社長の息子」
「っ……」

「今日、社長室に呼ばれてっ」
「……どないなったんや」

「私がいると息子の業務にっ、支障が出るって」
「なんや、それ……」

「だから、会社クビになったんです、今日っ」
「…………」

「そして彼女は、今日寿退社だって! みんなから祝福されてっ」

空を切るバットは、ボールの代わりに私の言葉を空高く打ち上げていく。見えないけれど、きっとそうだ。
バットを一振りするたびに涙が溢れて、何もかもが歪んで見える。
そして、最後の1球。

「おもいっきりバット振って、アイツらブン殴ったれっ!!!」

ボールは見えない。
聞こえてきたのはいつものおちゃらけた声ではなく、本気で怒っている声。
私はありったけの力を込めてバットを振った。

「お前らなんか、消えて無くなれぇぇぇっ!!!」

ブンッ――

バットは空を切った。
空振り記録更新。そうだ、私の人生も同じ、空振りばっかり。

「みょうじちゃん」

名前を呼ばれ、素直に私は振り向いた。
嫌いなはずなのに。こんな泣き顔、見られたくないのに。

「俺は許さんで」
「っ……」
「そいつら最悪や! 最低のド阿保や!」
「ま、」
「俺が後悔させたるわ!」
「ま、じま、さん」

手から離れたバットが床に転がる。
私は初めて、軽くて、口が悪くて、ふざけたことばかり言っていた男の名前を呼んだ。
一歩一歩、ゆらゆら吸い寄せられるように真島さんに近づいて、ボロボロ泣きながら彼の腰に手を回す。派手なジャケットから覗いていた肌に額を当てると、それはすごく温かかった。

「みょうじちゃんをこないに傷つけたヤツら、絶対に許さんで」
「どう、して……ど、して……」

どうして真島さんが怒ってるの?
どうして真島さんは優しいの?
どうして真島さんは私の為に?
どうして、どうして……。

「何も気にせんでええ。気ぃ済むまで泣け」

大きな手が私の頭を一撫でした。
ずびずびと鼻を鳴らし、涙は真島さんの肌やジャケットを汚していく。なんと情けない姿なんだろう。
でも、私にとって真島さんが唯一の味方なんだ。
ズタズタになった心をわかってくれるのは真島さんしかいないんだ。
真島さんが……

「いてくれて、よか、った」

涙が止まるまで、大きな手は休むことなく私の頭を撫で続けていた。


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