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▼ 噂のあの人

友人が言っていた。

『神室町にはヤバいヤクザがいる』

たぶんヤクザもチンピラもヤンキーもみんなヤバい。そんなのわかってる。それでも神室町には普通にサラリーマンもOLもいるし、学生や主婦や子供もいる。ここと何ら変わらないよ。
友人にそう伝えて私は田舎から出てきた。1Kの小さなアパートで一人暮らし。特に何がしたいとか、どうなりたいとか、そんな理想像は正直ない。でも、人生で一度くらいこんな都会で暮らしてみたかった。それが神室町に来た理由だった。

「あれ……、ここ右じゃなかったっけ?」

都会は便利。少し歩けばすぐにコンビニやらカフェやらが並んでいる。ただ目的地にはなかなか辿り着けない。この入り組んだ複雑な道は私にとって迷路でしかない。
ようやく決まった喫茶店のアルバイトに遅れてしまう。余裕をもってアパートを出たはずなのに。焦れば焦るほど自分がどこにいるのかわからなくなる。

「あの、すいません」

困った顔をして前からやって来たサラリーマンに声を掛けたがスルーされた。仕事中で忙しかったのかも。気を取り直して今度は綺麗なお姉さんに声を掛けてみたがこれまたスルー。来る人来る人に声を掛けるが、誰一人として立ち止まってくれない。

「私、見えてる?」
「見えとるで」
「ひぃ」

おかしな声を上げながら振り返ると、奇抜な服装の男性が立っていた。いつからか背後にいたらしい。

「道迷ったんか?」
「はい。アルプスに行きたいんですけど」
「アルプスぅ? ほんなら道、逆やで」

男性は丁寧に道を教えてくれた。
ここを真っ直ぐ行って二つ目の大きい道を左に。道順を聞いている最中、男性の容姿が改めて目に入る。左目を覆う眼帯、素肌に羽織られたパイソン柄のジャケット、そこから少し見え隠れする刺青。
神室町に来て間もない頃、ドン・キホーテで買い物をしていると聞こえてきたヤンキー二人の会話。『嶋野の狂犬はマジでヤバイ』。嶋野の狂犬は神室町で最強のヤクザ、目を付けられたら最後だと言っていた。その二人が去り際に『まぁ、あのパイソンのド派手なジャケット見たら即逃げようぜ』と話していたのを思い出した。
この人は……嶋野の狂犬だ。

「ネェチャン、話聞いとるか? せっかく道案内しとるっちゅうのに」
「す、すいません」
「あ、ひょっとして俺に見惚れとったんかぁ?」
「違います違います!」
「……そないに全力否定されると傷つくで」
「あ……、す、すいません」
「道、わかったんか?」
「はい、わかりました。ありがとうございました」
「ほな、気ぃつけやぁ」

嶋野の狂犬らしき男性は革手袋をした手を振ってどこかへ行ってしまった。
本物のヤクザを目の前にしてしばらくその場で固まっていたが、彼が教えてくれた通りに道を進むと無事にアルプスが現れて、私は遅刻せずに済んだ。





一難去ってまた一難とはまさにこのこと。
数時間前、道に迷いヤクザに助けてもらった。なんとかやり過ごしたのに今度はチンピラに取り囲まれている。
人が多い道を歩き慣れていないせいなのか、アルプスでの初バイトを終え、疲労で注意力が散漫になっていたせいなのか、すれ違い際に腕がぶつかってしまった。その相手というのが運悪く今私を取り囲んでいるチンピラだ。

「お姉さん、めっちゃ痛いんだけど」
「す、すいません」
「この前、手術したとこの傷開いちゃったかも」
「えぇっ、そりゃひでぇなぁ。いくらかかったんだけ? あの手術」
「20万? いや、30万だったかも」
「お姉さんどうしてくれんの?」
「そんなこと、言われても……」

こんなにも簡単にトラブルに巻き込まれちゃうんだ。
チンピラたちは大きな声を出して脅してみたり、ニヤニヤと仲間内でいやらしい笑みを浮かべてみたり。
こうしている間も周りにいる人たちはあくまでも他人事。巻き込まれないようにと表情を変えずに淡々と歩き続けている。

「だ、誰か、助けてください!」
「ハハッ、助けてくださいだって」
「叫んだって無駄だぜ。叫んで警察来んならみんな叫んでるぜ」

だから神室町は危ないって言ったのに。行かなきゃよかったのに。ふと心の中で友人が言った。
田舎を離れる日、見送りに来てくれた友人は最後まで『神室町は危ないよ、本当に行かなきゃいけないの?』と言っていた。危ないのはどこも一緒、自分が気を付ければ大丈夫。でも今の自分は? ……情けない、悔しい、悲しい、怖い、いろんな感情が混ざり合い、腰が抜け、地面に座り込んで涙を流している。

「せやなぁ。警察は役に立たんからなぁ」

頭上から凍るような冷たさの低い声が降り注いできたかと思うと、すぐにニヤついていたチンピラが聞いたことのない鈍い音を立てて道路に吹っ飛んでいった。

「嶋野の、狂犬っ?! な、なんで?!」
「俺に見つかったんが運の尽きやなぁ。女一人囲んで古臭い文句をたらたらたらたら……目障りやねん! こっち来いや!」

華麗に舞う身体、フワリとなびくジャケット、ギラリと鋭い右目の眼光。仕事前に見た表情とは全く違うが、間違いなく道を教えてくれたあのヤクザだ。
嶋野の狂犬はチンピラたちを私から引き離すと、あっという間に一人で全員を潰してしまった。そして「はぁ〜、つまらんケンカやったわ」とだるそうに呟き、腰を抜かしたままの私の所へやってきてしゃがみ込む。

「ネェチャン、アイツらに何もされんかったか?」
「はい、大丈夫です。あの、ありがとうございました。嶋野の、狂犬さん」
「狂犬さんて。ヒヒッ、初めてそないな呼び方されたわ。俺の名前は真島や、真島吾朗。アンタの名前は? 迷子のネェチャン」
「私のこと、覚えてたんですか?」
「当たり前やんか。アルプス行きたい言うてるのにピンク通りにおる女なんかどこにもおらんで。ほんで、名前は?」
「みょうじです。みょうじなまえ」
「みょうじチャンやな。ほれ、立てるか?」

先に立ち上がった真島さんに手を差し出され、恐る恐る握るとぐいっと腕を引かれた。傍に寄ると微かに彼から漂う血の匂いにぞくりとしたが、私を守るためにしてくれたことだと感謝の気持ちが勝って怖い気持ちはすぐに消えた。

「なんやフラフラやんか。みょうじチャン、家どこや?」
「泰平通り西です」
「……ここ、劇場前通りや。通り過ぎとるで」
「は、はは」
「しゃあないなぁ。俺が家まで送ったるわ」
「え? で、でも」
「俺のことは気にせんでええ。その様子やと家帰るまでにまたおかしな連中に絡まれんで。いや、また道通り過ぎるんとちゃうか? ヒヒヒッ」

神室町にはヤバいヤクザがいる。

「ほなみょうじチャン、行くで」

でも、私はそのヤバいヤクザに二度も助けられた。
そして今、ぐいぐいとヤバいヤクザに手を引かれ、一緒に歩いている。
その名は嶋野の狂犬、真島吾朗。


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