いろんな人の部屋 | ナノ


▼ 2/14 八神探偵事務所にて

八神探偵事務所に杉浦と東が駆け込んできたのは夕方のことだった。
息を切らした杉浦は事務所の奥にある八神のデスクの下へ、東は窓際のソファの後ろにへたり込むように隠れた。

「どうした? なんかあったのか?」
「シーッ! お願いだから喋らないで!」

突然事務所に血相を変えてやってきた二人に対して海藤の「どうした?」という質問は真っ当だったが、杉浦が必死に唇の前で人差し指を力強く立てているので、何かを察した八神は眺めていた依頼ボードの前から東が隠れているソファへと移動して依頼書類を、それに続くように海藤は反対側のソファで週刊誌をパラパラと捲る。
数分後、ドタバタと階段を駆け上がる何人もの足音と「いないわ」と言った声が聞こえてきた。どうやら全員女のようで、その内の一人が事務所の中に図々しく入ってくると室内をぐるりと見渡す。

「あ、何かご依頼ですか? ここ、探偵事務所なんですけど」
「あの、ここに杉浦さんって人来ませんでした?」
「杉浦? ……ここには誰も来てませんねぇ。ちなみにその人物はどんな格好でした?」

八神の質問に女性は捲し立てるように杉浦の服装や特徴を伝える。

「その杉浦という人物に何かされたんですか? 捜索のご依頼でしたら詳しくお話を伺います。もちろん依頼料が発生しますけど」
「いえ、来てないならいいんです。……行こ」

気づけば十人近くの女性が事務所の入口から中を伺っていて、「おかしいなぁ」「ここしかないのに」などとブツブツ言いながら去って行った。
足音が聞こえなくなり、事務所がいつもの雰囲気に戻った頃、「もう行った?」と杉浦がデスクの下からそっと顔を出す。海藤の「もういねえよ」の返事に大きく息を吐いた二人が陰から姿を現した。

「あの女たちは誰なんだ? 杉浦のこと捜してたみたいだけど」
「僕は全く知らない女性だね」
「じゃあ、なんであんな血眼になってんだ?」
「海藤さん、今日が何の日か知ってる?」

八神と海藤は同時にポケットからスマホを取り出して日付を確認した。
二月一四日、月曜日。「なんかあったっけ?」と首を傾げる八神に対し、海藤は「まさか……」と声を漏らして杉浦を見た。

「そう。そのまさかだよ」
「え? 海藤さん、まさかって何?」
「イケメンをバレンタインデーに狙う女たちだ!」
「はぁ?! チョコ渡すために杉浦は追いかけ回されてたっていうのか?」
「さすが八神探偵事務所だね。ご名答」

以前、八神は「ストーカーみたいな女がいて困ってるんだよね」と酒の席で杉浦から聞いたことがあった。顔が整っているから言い寄って来る女がいるんだろうくらいに思っていたのだがこれほどまでとは。

「だけど、別に東は杉浦ほどイケメンじゃねえだろ」
「あ、兄貴ッ! 俺だって……それなりには……」
「ああ、たしかに東のことは誰も捜してなかったか」
「うるせぇなっ! 俺ぁコイツに巻き込まれたんだよ! ったく、無駄に体力使わせやがって」

海藤の隣に座った東は荒くなった呼吸を整えながら杉浦を睨む。
煙草を買いにコンビニに向かって歩いている途中、女性から追われている杉浦と出くわし、訳も分からぬままこの逃走劇に巻き込まれたらしい。

「すげえ顔していきなり『逃げろ』って言われたら素直に逃げるだろうが!」
「ごめんごめん。でも一人じゃ心細かったから東さんがいてくれて助かったよ」
「何が助かっただよ! はぁー、喉カラッカラだぜ」

そんなことが本当にあるんだなと八神と海藤が口を揃えて言う。全く冗談じゃないよと杉浦がため息をつく。それはこっちのセリフだと東が怒る。
すっかり気が緩んだところにトントンと誰かが事務室のドアをノックした。まさか女が戻って来たのか。一気に場が凍りつき、全員顔を見合わせた。

「あの……、失礼します」

その声は全員聞き覚えのある声だった。
やってきたのは杉浦を追っていた女たちではなく、テンダーで働いているみょうじなまえだった。マスターがバイトで雇った女の子で、テンダーの常連客である八神たちとはすでに顔なじみだった。

「なまえちゃんだったのかぁ! 驚かせやがって」
「何かあったんですか?」
「いや、何もないよ。それよりなまえちゃんのほうこそどうしたの?」
「今日私お休みなんです。せっかくのバレンタインデーだし、八神さんたちにはいつもお世話になっているからチョコレートを渡そうと思って」

タイミングが悪すぎるバレンタインの話題。妙な空気が流れて「今、まずかったですか?」と不安そうななまえに八神が「全然大丈夫」と席を譲って座らせた。

「東さんや杉浦さんにもお渡ししたかったのでちょうど良かったです」
「本当は来る予定じゃなかったんだけどね」
「えっ?」
「あ、その、気にしなくていいっすよ」

ぼそりと呟かれた杉浦の言葉を東がフォローする。首を傾げながらもなまえは手にしていた紙袋からラッピングされた箱を取り出して一人ずつ渡していく。

「八神さん、どうぞ。いつもありがとうございます」
「ありがたくいただくよ」
「はい、海藤さん。また飲みに来てくださいね」
「おうよ!」
「杉浦さんにはどうやって渡そうか八神さんに聞こうと思ってたんです」
「そうなんだ。なまえさんからのチョコレートなら安心して受け取れるよ。ありがと」
「東さん、これ。本当はシャルルでお渡ししようと思ってたんですけど」
「ありがとうございます。……こんな高そうなチョコ、俺なんかが貰っていいんすか?」
「もちろんです。甘いものは苦手じゃないですか?」
「普段はあんま食わないっすけど、これはブランデーのつまみにちょうど良さそうなんで」
「良かったです」

全員に渡し終えたなまえは「これを渡しに来ただけなので」と席を立ち、次の出勤日を伝えて事務所を後にした。
男たちは渡された箱を眺め、別の男が持つ箱にも目をやる。

「包み紙も大きさもみんな同じ。ま、常連さんへの挨拶義理チョコってとこか。なんか腹減ってきたからさっそく食わねえか?」

海藤の提案に満場一致でベリベリ大きな音を立てながら包み紙を剥ぎ、箱の蓋を開ける。やっぱり中身も同じだなぁと確認し合うがそれに参加しない男が一人。

「東、どうした?」
「いや、なんでもないっす」

蓋を開けたまま固まっていた東がパタッと勢いよく蓋を閉めた。

「なんで蓋閉めたの?」
「お、俺は別に腹減ってねえから食うのをやめただけだ」
「でもさっきは海藤さんと一緒になまえちゃんのチョコ楽しみだって言ってたよな?」
「そそ、それはっ! 海藤の兄貴に話を合わせただけで……」
「へぇ〜、なんか怪しいね。中身、本当に僕たちと一緒?」
「ばっ、杉浦! 一緒に決まってんだろうが!」
「東ィ、蓋開けろ」
「勘弁してください兄貴!」
「オープン!!!」

三人に囲まれた東は渋々箱の蓋を開けた。が、中に入っているチョコレートは他の三人と同じもので何の違いもなかった。

「なんだよ、一緒じゃねえか!」
「だから一緒だって言ったじゃないっすか!」
「……チョコじゃないんじゃない?」
「んなっ! ……何を、いきなり」
「なぁ東、蓋見せてくれる?」
「そ、それは」
「八神探偵事務所ナメてもらっちゃ困るよ?」
「ぐっ。だあぁぁっ、もうっ、どうにでもなれってんだ!」

腹をくくった東が蓋の裏面を見せるように勢いよくそれをテーブルに置いた。

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東さん
いつもありがとうございます。
お店ではなかなかゆっくり話ができないので、
よければ今度、一緒にご飯行きませんか?
お返事待ってます。
なまえ
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蓋の裏には可愛らしい文字のお誘い文句。メッセージアプリのIDも添えて。
外面は同じ。チョコレートも同じ。しかし、東に渡されたチョコレートが本命チョコであることは一目瞭然だった。

「あぁ?! どうなってんだこりゃ!」
「海藤さん、落ち着いて」
「なるほどね。なまえさん、もっと東さんと話したそうにしてたもんね」
「テンダーでも東と話してる時、なまえちゃん嬉しそうだったもんな」
「なまえさんは……いつも笑ってんだろ」
「おまえもまんざらじゃねえだろ。それくらいわかるって」
「で? もちろん今すぐ連絡するんだよな? 東」
「はぁぁぁっ?!」

わざわざバレンタインデーになまえが休みを取ったのは東に直接チョコレートを渡すためで、本当はシャルルで告白するつもりだったのではないかと推測する八神と海藤。すぐさま連絡するよう東にスマホを出させる。

「き、気が早ぇって!」
「馬鹿! 何のためになまえちゃんが休み取ってくれたと思ってんだ!」
「そうだよ。テンダーだって本当は今日忙しいはずだけど、マスターが休みくれたってことは東となまえちゃんの仲を察してのことだと思うぞ」
「いいなぁ、東さん。たくさんの知らない女性から追いかけられるより100%羨ましいよ」
「杉浦、それちょっと自慢してねえか?」

それから東は男三人にあーだこーだダメ出しされながら、なまえにメッセージを一通送るのである。

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なまえさん
チョコレートありがとうございました。
すぐに食おうと思ったんですが、一人で食うにはもったいなくて。
ブランデーの美味い店があります。
もし今夜予定が無ければ、一緒にどうですか?

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