Story from music | ナノ


▼ 薔薇とタンポポ

ふと鏡を見て思う。これは本当に私なんだろうか。
薄化粧とはいえない化粧、特にこの濃い緋色の口紅は似合っていないと自分でもわかる。
前に付き合っていた男から『女らしさも色気も何もない』と言われた。要に女としての魅力が全くないとダメ出しされた。
その男に惚れていた私は自分なりに努力していたつもりだったが、男にとってはその努力が足りなかったらしい。
捨てられた私はその悔しさから女で勝負するキャバ嬢になった。
胸を強調するようなドレスを着て、甘い香水を肌に擦り込んで、豪華なネイルやアクセサリーで身を飾って。
髪を耳に掛けて、うなじをみせて、太腿に手を置いて「また来てね」と耳元で囁けば大抵の男はリピートする。
神室町の中でも人気のある大きなお店で、私はそれなりに固定の客もついて売上を伸ばしたが、客がつけばつくほど私は私を失っていく気がした。

「げんじちゃん、大丈夫? 具合悪いの?」
「あ……、ママ。すみません」

お手洗いから出てこない私を心配して、お店のママが様子を見に来てくれた。

「お客様のお見送りできる?」
「大丈夫です。すぐ行きます」

開けっ放しにしていたポーチを閉めて、もう一度鏡に向き合う。
今、私はみょうじなまえじゃない。げんじなのだ。

お手洗いを出ると、ちょうど団体客が店から出るところだった。
真島組のヤクザたち。このお店が気に入っているようで、時々何人かでやってくる。
私はまだ接客させてもらえない。というのも金をたっぷり使ってくれるので、売上を上げたい先輩のキャバ嬢たちが蠅のように集るのだ。また、組長である真島吾朗がそこそこ男前なので色目を使っている先輩もいる。

「真島さん、いつもありがとうございます」
「ママさん今日もええ酒飲ましてもろたわ」
「吾朗ちゃん絶対また来てね〜!」

ご機嫌なのか、真島は先輩のキャバ嬢たちの黄色い声に目尻を下げて陽気に手を振っている。

「お」

真島は私の所まで来ると足を止め、私の顔をじっと見た。
嫌だなと思いつつ「ありがとうございました」と可愛らしく微笑んでみせると、私の耳に唇を寄せて誰にも聞こえないような小さな声を出した。

「次はワシの相手、してくれや」

横から真島に気のある先輩の鋭い視線がグサグサと刺さった。





いつもより早い時間に目が覚めてしまった。
二度寝しようとベッドに潜ってみたがダメだった。喉の渇きもあって諦めてベッドを抜け出し冷蔵庫を開ける。

「あ……、お茶……」

愛飲しているお茶を切らしてしまった。昨日お店を出る前までは買いに行かなきゃと覚えていたのに、外に出て三歩、すっかり忘れてしまった。鳥頭なのだろうか。
いつも寝起きに飲んでいるお茶が無いのは落ち着かず、ある程度外に出て恥ずかしくない格好をしてコンビニに向かった。
仕事に向かうサラリーマンやOLの姿がある。仕事柄、いつもは彼らが出勤した後に目を覚ます為それはあまり見慣れない光景で、キョロキョロしながら歩いていたせいか前から来ているサラリーマンに気づかず肩がぶつかってしまった。

「どこ見て歩いてんだ?! ちゃんと前見て歩け、ガキが!」
「っ! す、すいません……」

男はチッと舌打ちをして私を一睨みすると足早にその場を去って行った。
店の常連客だった。店では『今日もげんじちゃんはいい匂いがする』と鼻の下を伸ばし、終始デレデレしている男だった。
げんじの姿でしか会ったことが無いから、今の私に気づかないのも仕方ないと思った。けれど『ガキ』というのはさすがに傷ついた。
やはりメイクをして着飾らないと、私は女としての存在価値がないのか。
なまえではなく、げんじとして生きろと言われた気がした。

コンビニに着いた私は早々とお茶を買い、止めていたタバコも衝動的に買って公園で一服することにした。帰り道にある公園には幸い誰もおらず、ベンチに座り早速タバコを吹かすと脳がグラグラと揺れた。
朝日に照らされた安いタバコの煙をぼんやり眺めていると、聞き慣れた声に突然名前を呼ばれた。

「げんじちゃんやないか」

声を掛けてきたのは真島吾朗だった。
こんな早い時間にヤクザが何をしているのかと思ったが、真島もたまたま早く目が覚めて、たまたま私を見つけたらしい。

「早起きは三文の徳っちゅうのはホンマやったなぁ」
「どうしてですか?」
「そらげんじちゃんに会えたからに決まっとるやないかぁ!」

嬉しそうに真島は私の隣に座りタバコを取り出したので、職業病なのか私はそれに火をつけた。

「よく私だって気づきましたね」
「普通気づくやろ、雰囲気とか仕草とか。わからんほうがアホやな」
「っ……」
「ま、ちょおおぼこくなった気ぃはするけどなぁ」

どちらか言うたら今のげんじちゃんのほうがワシは好きやで。
その言葉に一気に凍っていた心が溶けていくのを感じた。

「あ、せやけど今は素なんやからげんじちゃんちゃうな。ホンマはなんていう名前なん?」

一瞬教えることを躊躇った。あくまで私と真島は客と店員で友達ではない。でも、夜にしか生きられないげんじであることに疲れ切っていた私は誰かに本当の名前を知って欲しかった。
すっかり短くなったタバコを最後に一息吸って、私は真島に名前を教えた。

「ほぅ、なまえちゃん言うんか。げんじちゃんもええけど、なんやなまえちゃんのほうが可愛えし、しっくりくるで」

ああ、きっと私はこの人のことを好きになるな。
そう思った瞬間に止めを刺された。

「そういやなまえちゃん、あの口紅全然似合うてへんで。自分でわかっとるやろ?」

私は静かに頷いて、まだタバコ一本しか取り出していない箱を惜しむことなくゴミ箱に捨てた。
私の行動に真島は満足そうな表情を浮かべていた。口紅だけでなく、タバコも似合っていないことをきっと知っていたから。

「なぁ、今日も仕事か? 時間あるならワシとデートせぇへん?」
「真島さんと?」
「せや。ワシがなまえちゃんらしい口紅選んだる」
「私らしい口紅? 真島さんは私のことよく見てるんですね」

からかうつもりで笑いながらそう言ったのに、真島は紫煙を空に向かってフゥ、と吐き出し、タバコを地面に捨てて靴底でぐりぐりと火を消すと、真剣な表情で私を見つめた。

「当り前や。気に入った女ジーッと見てまうのは男の性やろが」
「えっ?!」
「ほな、そろそろ行くで」

真島は私の手を取って歩き出した。
跳ねるような高鳴る鼓動、熱くなっていく繋がれた手。
もう、私はげんじではなく、なまえだった。




---イメージ曲:Rouge of Love


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