時の扉を君とひらく | ナノ


▼ 男の葛藤

「おい水瀬っ、大丈夫か?!」

水瀬は「本当に酔ったかも」と小さな声で呟いて、眠そうに瞼を何度も開いたり閉じたりさせていたが、とうとう閉じたまま動かなくなった。
遅くまで働いて疲れていたのか、それとも空きっ腹に入れたアルコールが悪かったのか、元々酒に弱いのか。理由はどうであれ、状況として非常にまずい。

「お客様、いかがなさいましたか?」
「いや、別に大したことじゃねぇよ。連れが酔っちまって」
「お帰りの際、タクシーを手配いたしましょうか?」
「あ、ああ……、そうだな。もう呼んでもらって構わねえ。会計も頼む」

このまま水瀬の酔いが醒めるまで店に居座るわけにはいかない。会計を席で済ませたが起きる気配は一切ない。タクシーが来るまでの間、これからどうしたもんかといろんな選択肢が頭の中をグルグル回る。

(泥酔してる水瀬を一人にはできねぇよな。けど、家に帰すっつったってどこに住んでんのかなんて聞いてねぇし……。俺の家に、いや、駄目だ。掃除してねぇ。今の俺の部屋は見せらんねぇ。状況が状況だ、仕方ねぇ。ここはラ、ラブホ、か? いや、いやいや、さすがに再会したばっかなのにラブホは無しだろ! それに時間ももう遅せぇからどこも満室だろうし……って、何を考えてんだ俺は。冷静になれ! ……お、シャルルはどうだ? んー、けど、水瀬をあの埃っぽいバックルームで寝かせんのは可哀想か。遅くまで働いて疲れてんのにシャルルのソファってのも──)

「お客様」
「ひっ」
「タクシーが到着しました」
「そ、そうか。手間取らせたな」

急に声を掛けられ変な声が出た。それを誤魔化すようにひとつ咳払いをしてから水瀬の身体を支えて立ち上がらせる。

「帰るぞ。歩けるか?」
「んー……」

わかっているのかいないのか。一応返事のような声を出して水瀬は俺の腰辺りに手を回して身体を預けてきた。千鳥足で歩く水瀬の身体は想像以上に軽い。

(コイツ、ちゃんと飯食ってんのか?)

店の外に待機していたタクシーに少し苦労しながら水瀬を乗せ、俺も乗り込んで行き先を告げる。

「どちらまで?」
「……ホテルニューデボラまで頼む」

ラブホには連れて行けない。でも、金のかからない俺の部屋やシャルルに連れて行くのは男として癪だ。だったらコイツの身体がちゃんと休まる部屋で、客室数もそれなりにあって、飛び込みの客も受け入れられるまともなホテルなら……、とそこを選択した。
相変らず水瀬は寝ている。俺の肩を枕代わりにして。

(気持ちよさそうな顔しやがって。こっちの身にもなれってんだ)

さっきから花のような甘い香りと柔らかな肌の感触に心臓がバクバクと音を立てている。本当のことを言うならもっと前から。俺のことをカッコいいだの、色気があるだの……、そんなのおまえも一緒じゃねぇかと言ってやりたい。
俺に比べれば水瀬は高校の時からあまり変わっていない。けど、ちゃんと大人になっていて、その頃には感じなかったそういう女っぽさみたいなものを感じてしまったから俺は飲みに誘った。
再会した瞬間から、俺の調子は狂いっぱなしだ。

タクシーが減速し、ホテルに横付けして停止した。代金を支払い水瀬の身体を支えながら中へ。

「お客様、大変申し訳ございません。ただいまツインルームが満席でございまして、ダブルルームでしたらご宿泊いただけますが」
「なっ……、そ、そうか。じゃあ、それでいい」

先にカウンターで手続きしていた出張中らしきサラリーマンが俺のほうをチラチラ見てくる。「何見てんだ!」と言わんばかりに目を吊り上げて睨むと、サラリーマンはおずおずと視線を外した。
そりゃ、水瀬の腰を抱いて宿泊手続きしている様子を傍から見れば、酔い潰れた女をホテルに連れ込む男だ。きっとこれからお楽しみなんだろうと思われたに違いない。部屋を別々にすることもできたが、水瀬が吐いたり倒れたりすることを考えるとやはり一緒のほうがいい。あくまで介抱するためだ。やましい気持ちなんてこれっぽっちも──

「ルームキーでございます。ごゆっくりどうぞ」
「あ、あぁ」

ルームキーを受け取りエレベーターで8階まで上がる。
エレベーターは二人きりだ。静かすぎる狭い箱の中では心臓の脈打つ音がうるさいくらいに響いて聞こえる。

(な、何緊張してんだ俺は……)

エレベーターが目的の階に到着した。そこから少しばかり歩いたところに宿泊する部屋があり、ルームキーで鍵を開ける。ただでさえガチャ、と開錠された音がやけに生々しくて後ろめたい気持ちになるのに、中に入って目に飛び込んできたデカいベッドがさらにそれに拍車をかけた。

「水瀬、おい水瀬!」

カーッと熱が上がってくる感覚に耐えきれず、ベッドの縁に水瀬を座らせて肩を揺らすと、今まで閉じられていた目が薄っすらと開いた。

「んん……」
「水瀬、起きたか?」
「ん、ひがピくん……」
「あ……、あぁっ?! ひ、ひがピって、な、なんだそれッ!」
「ぅ、ん……、ひがピ……」

完全に酔っている。とろんとした目でふにゃりと笑った水瀬はそのままベッドに倒れ込むように寝てしまった。

(俺のこと『ひがピ』なんて一度も呼んだことねぇじゃねえか!)

少し鼻に抜けたような甘ったるい声、酔って潤んだ目、頬を赤らめた満面の笑み……。あられもなく晒された水瀬の酔態に理性を失いつつある。落ち着くために煙草を吸おうと胸ポケットに手を伸ばしたものの、煙草を嫌がるかもしれないと禁煙ルームにしたことを思い出して舌打ちした。

「俺はもう、あん時の俺じゃねぇんだぞ、水瀬っ」

昔とはいえ、密かに好意を抱いていた女が無防備に寝ていたら、どんな男だって我慢できない。
両手を水瀬の顔の横につき、身体に跨るようにしてその顔を覗き込んだ。

「えっ、泣いてる?」

寝ているはずの水瀬の目の端から涙が流れている。悪い夢でも見ているのか時折苦しそうに小さく呻きながら泣いていた。

「はぁ。ったく、忙しいヤツだな」

水瀬の涙を見て少し冷静になれた。放っておけばそのうち収まるだろうとベッドの横にあるソファに腰掛けて様子を見ていたが、表情があまりに苦しそうで具合が悪くなっているのかと慌てて駆け寄った。

「大丈夫か? どっか苦しいのか?」
「ん、うぅ……、ひがピ……」

はっ、と短く息を吐いて飛び起きた水瀬は泣きながら俺に抱き着いてきた。
具合が悪いわけではなかったと安心した反面、頭が真っ白になり固まってしまった自分に戸惑う。
あの朝もそうだった。少し早めに登校して、クロとミーコに飯をやろうと水瀬と体育館裏に行った時。二匹が動かなくなってしまったのを見て水瀬は泣きながら抱き着いてきた。どうしたらいいのかさっぱりわからず、俺は水瀬が泣き止むまで棒立ちだった。
でも、今はもうわかる。女が泣いている時どうしたらいいかくらい。

「酔っぱらって二匹の夢でも見てたのか?」

水瀬を優しく抱き締めて、子供をあやすように左手で背中をぽんぽんとゆっくり叩きながら、もう片方の手で頭をそっと撫でる。しばらくそれを続けているうちにスースーと規則正しい寝息が聞こえてきた。

「やれやれ……。酔うとめんどくせぇんだな、おまえ」

水瀬の温かな体温と、身体の柔らかい感触が心地いい。
ずっと張り詰めていたものが解れたせいか急激な眠気が襲ってきて、俺は水瀬を抱き締めたままベッドに横になった。

(このまま寝ちまってもいいよな……)

グラサンを外すのも忘れて、俺はそのまま目を閉じた。


prev / next



◆拍手する◆


[ ←back ]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -