ピンクノイズ | ナノ


▼ 01:1/fへようこそ

神室町の泰平通りにバーがオープンした。
パープルのネオンが店名の "1/f(エフぶんのいち)" と "MUSIC BAR" の文字を模っている。

「柏木さん、真島さん、中へどうぞ」

大吾の案内で中に入る。
こじんまりした店だが神室町のギラギラした街並みから一転、バー特有の薄暗い照明がゆったりとした大人の時間を感じさせる。
入ってすぐのところにL字のカウンターがあり、そこにスツールが五つ。カウンターの反対側に革張りの一人掛けソファが対になった席が二席、二人掛けソファが対になった席が一席あるだけ。
店内の奥には間接照明が置かれたスペースがあり、"MUSIC BAR" の看板のとおりそのスペースで生演奏が始まっている。
ステージに一番近い席は事前に大吾から聞いていたのか、一人掛けのソファを移動させて三人席になっていた。

「よう、大吾! 来てくれて嬉しいよ」
「オープンおめでとう。こちらは世話になっている柏木さんと真島さんだ」
「お会いできて光栄です。さぁ、こちらに」

マスターの佐伯亮太に案内され、ソファに腰掛けた。
佐伯は大吾の同級生で、店をオープンさせるのに大吾が資金を援助したとのことだった。

「私が学生の頃、父が闇金に手を出して。困ってたところを大吾の親父さんが助けてくれたんです」
「助けたつもりはない。俺がヤクザの息子という理由で周りが敬遠したり色眼鏡で見てくる中、亮太だけは普通に接してくれた唯一の親友なんだ。当たり前のことをしたまでだ」
「今回も店を出すと伝えたら援助してくれて。ですから少しでも恩返しをと思って、この店を大吾や関係の皆様のご贔屓にしていただきたいと」
「もちろん東城会の人間誰でもというわけにはいかない。まずは信頼の置ける柏木さんと真島さんをお連れしたというわけです」

早い話、この店は東城会の米櫃、ということだ。
東城会は今、資金繰りに苦労している。ひとつでも多くドル箱の数を増やしておきたいんだろう。

「ほーぉ。ちなみにここ、なんで1/fっちゅう名前にしたんや?」
「真島さんは1/fゆらぎってご存知ですか?」

そこから1/fゆらぎについて佐伯の説明が始まったが、長ったらしくて話は右から左へ。端的に言うと人間の生体にリラクゼーション効果をもたらすものらしい。

「あぁ、もうわかったわかった。それより早よ酒飲まさんかい!」
「も、申し訳ありません! つい熱くなってしまって」
「亮太もミュージシャンを目指していた端くれだったから熱くもなるよな。今日は俺の奢りです。好きなものを頼んでくれ。亮太、つまみを頼むよ」

年下の大吾に奢られるのはなんだか癪に障る。それは柏木さんも同じようだったが、勝手に連れてきた手前奢らせて欲しと引かず、俺はウィスキー、柏木さんはバーボンを注文した。
酒やつまみが運ばれて来るまでに内装や客の様子を伺ってしまうのはカタギの頃の職業病だろうか。

「お待たせしました。それではごゆっくり」
「ああ、ありがとう。それじゃ、乾杯!」

大吾の声に合わせてグラスを掲げ、ウィスキーで喉を潤す。

「くーっ、美味いのう! こりゃええ酒やで」
「佐伯という男は随分とやり手のようだな。酒の種類は豊富だが安物は一つもない。つまみも出来合いの物ではなく酒に合うよう創作されている」
「柏木さん、意外と食にうるさいんやなぁ」
「意外とはなんだ。真島こそ酒に詳しそうじゃねぇか」
「まぁな」

深堀りされる前に目の前にあった燻製ラムチョップに齧りついた。
何気なく歌っている女へと目をやる。大きめの白いブラウスに足首まで裾を捲ったデニム、赤いヒールを履いた至って普通の女。

「あの子、プロなんか?」
「いえ。ここで歌っているのはどこにも所属していない、路上ライブをやっているような人たちです」
「ド素人を店で歌わせとるんか?!」
「さっき柏木さんが言ったとおり、亮太はやり手なんだ」

佐伯はミュージシャンの端くれと言っていたが、デビュー一歩手前までいっていたらしい。家庭の事情で売り出す直前にプロの夢を断念したそうだ。
それからはフリーで新人発掘のような仕事をしている。そして上手いこといけばプロダクションにスカウトした人間を売り込んで紹介料をガッポリ、という仕組みだ。

「ほな、どっちかっちゅうとメインは売り込みのほうなんか」
「ええ。バーをオープンさせたのもプロダクションの人間をここに呼ぶため。彼女らは知らないうちに甲乙つけられてるというわけです」
「紹介料はどれ位のものなんだ?」
「人材にもよるが、一人数十万から数百万」
「ほ〜う。ちっさい店やが金掛けとるようやし、それなりに儲けとるらしいのう」
「大きな声じゃ言えないが、ある程度の利益がなければ俺も出資していない」

あの女は将来プロデビューするかもしれない女っちゅうことか。
意味も無く昔の女が脳裏を過ぎり、ぐいっとウィスキーを呷った。

「ただあの女は売れないんじゃねぇのか?」
「たしかにプロを目指している割に地味だな」
「そうか? 地味やけど可愛えほうやないか? 声はええ思う……んんっ?」

女は明るい曲調の愛の歌を歌っていた。
それなのに、泣いている。苦しそうな表情で。

「何があったんや?」
「彼女、感情が昂るとああなるんですよ。ただ、実力もあるし曲も詩も書けるので、ここの主力シンガーとして期待してるんです」

空になったグラスを取りに来た佐伯が内緒話をするように言った。

「あの子、なんて名前や?」
「水原蓮です。彼女は火曜と金曜の夜に来ますよ」

蓮ちゃんは歌い終わると恥ずかしそうに濡れた目を拭うと深くお辞儀をした。
その後二曲ほど歌い、彼女のステージは終了した。

「佐伯ちゃん!」

手招きして佐伯を呼ぶ。

「お呼びですか?」
「蓮ちゃんに声掛けてもええんか?」
「演奏後はお客様に挨拶するよう言っていますのですぐに来ると思います」

佐伯の言葉どおり一旦控え室に下がった蓮ちゃんだったが、すぐに俺たちの席へとやってきた。

「今日はお越しいただいてありがとうございました」
「上手かったで〜! 特に二曲目が良かったわ」
「っ……! 本当ですか?」

蓮ちゃんが驚いたように目を丸くした後、満面の笑みを俺に向けた。
確実に、大きく、ドキンと心臓が鳴った。

「あれ、私のオリジナルなんです。他の曲はカバーなんですけど」
「そ、そうなんか」
「水原蓮です。またよければ歌、聴きに来てください。それでは失礼します」

嬉しそうに別の客の許へ向かう蓮ちゃんを目で追う。
自然とそうしてしまうのも、さっきの胸の高鳴りも。
封印した感情の紐がするりと解ける音がした。

「真島さん、彼女の曲気に入ったんですね」
「ああ。そうみたいやなぁ」


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たった一瞬のまばたきで
真っ暗闇から
目が眩むような世界

このまま僕を連れ去って
このまま君を連れ去って

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