ポニテとテクノと私 | ナノ


▼ 12:新たな旅立ち

自分の声でパチッと目が開いた。
口から出たのはあの女の名前。
それが夢の中の出来事だと気づくまでにそう時間はかからなかった。

「俺は、一体……」

リアルすぎる夢。本当に夢だったのか?
すぐ傍にあった肌の感触も、温度も、声も、香りも覚えている。
柊という女の名前、彼女が病室のベッドで最期を迎えたこともはっきりと。
しかし、今目に映っているのは見慣れた殺風景な部屋だ。

(そや。すべてが片付いて、疲れ果ててフラフラで……。部屋に帰ってすぐブッ倒れたんやった)

ギシギシ痛んでダルい身体を起こし、窓を開けた。
もう俺を監視している奴らはいない。
俺は一人堂島組に殴り込み、嶋野の親父から認められ、ようやくキャバレーグランドの支配人から東城会の極道に戻れる。

「このくそダサい格好も、もう終いや」

まずはこのうざったい髪を切らなければ。
煙草を一本吹かし、俺は部屋を出た。





蒼天堀は晴れていた。
どんなに快晴でもここでの生活は地獄だった。しかし悪いことばかりだったかと問われればそんなことはない。
地獄の中にホッと一息つけるような場所があり、一生懸命働く仲間がいて。なんやかんやで支え合いながら生きていた。
そう思うと、もう来ることは無い蒼天堀を無意味にぶらぶら歩いて、知らず知らずのうちにその景色を感慨深く眺めていた。

(あ、煙草買わなあかん。一番近いのはMストアか)

さっき吸った一本が最後だった。
煙草を買ったら髪を切りに行こう。
招福町西のMストアに向かうと店の前に井戸塚がいた。

「真島さん! どうも!」
「おう。元気にやっとるか?」
「はい、なんとか。それよりいよいよ僕のショルダーフォンの出番ですか? 今なら充電バッチリ! すぐにかけられますよ」
「アホ抜かせ。そないなもん無くてもスマホが……っ?!」

当たり前のようにその言葉が口からするりと出た。
俺はまだ夢と現実を混同しているんだろうか。

「スマホ? 何ですかそれ?」
「い、いや……、何でもあらへん。またの機会に使わせてもらうわ」

俺は急いで煙草を買い、Mストアを出た。
ポケットに煙草を入れると指先に硬い物が触れた。初めはポケベルだと思っていたがいつもポケベルは内ポケットに入れてある。
人気のない狭い路地に入り、それを取り出した。

「……嘘やろ」

この世に存在するはずがない。あるわけがない。
それは夢の中で見た柊のスマホだった。

「なんで、どうなっとる?! 夢とちゃうんか!」

大きな画面に指が触れ、現れた写真。
そこには柊と俺、そして未来の俺がいた。
柊に三人で写真を撮りたいとお願いされ、一枚だけ撮った写真。

「柊!」

なぜ俺のポケットにこれがある?
俺はどこから柊の世界に行った?
柊、どこや? どこにおるんや?

蒼天堀の端から端まで走り回り、柊の名前を呼びながら隈無く探したが、柊に似た女すら見つけられなかった。
うろ覚えの路地裏の穴もどこにも無く、気づけば高く昇っていた太陽は沈み、俺はスマホを握り締めたまま毘沙門橋の上で息を荒げて立ち尽くしていた。

「こんなに、輝いとったんやなぁ」

煙草に火を点け、辺りを見回すとそこから見える "GRAND" の文字。
何度も目にしているはずなのに、支配人から解放された今、それは目が眩むほどの光を放ち、蒼天堀No.1キャバレーの名に相応しくギラギラと輝いていた。

「……フゥ」

ド派手なボディコンを着て歩いている女たち、万札を振ってタクシーを止めているサラリーマン。
ここは何も変わっていない。しかし手の中にはこの時代にないはずのスマホがある。

「どないなっとんねん」

短くなったタバコを地面に捨て、靴底で火を踏み消した。

「ポイ捨てはダメですよ」
「あぁ?」
「お仕事、サボっちゃったんですか? 支配人」

横から女に声をかけられた。
もう支配人じゃないと声のした方を見てみれば──。

「ゴロちゃん」

そこには優しく微笑み、聴き慣れた声で俺の名前を呼ぶ女が立っていた。

「柊!」

咄嗟に彼女の手を掴み、引き寄せて俺の腕の中に閉じ込めた。
初めて出会った時、彼女がそうしたように本物かどうか確かめたくて、髪や頬や唇に何度も触れた。

「私、いますか?」
「ちゃんとおる。今、ちゃんとここにおるで……柊!」

たくさんの人が行き来している中、俺は柊に深く口付けた。
身体の柔らかさも温度も、声も香りも全部同じ。
紛れもなく腕の中にいるのは柊だ。
どうして、なんてことは聞かなくてもわかっている。
あのじいさんが柊を救ってくれたんだ。

「ずっと暗いトンネルの中を歩いてたの。そしたらゴロちゃんの声がして、声のする方に歩いていたらいつの間にかここに」
「前のこと、何も覚えてないんか?」
「ゴロちゃんのことしか覚えてない。どうしてトンネルの中を歩いてたのかもわからないの」
「ほな、未来の俺は?」
「未来のゴロちゃん?」

そう、未来の俺──。ん?
俺、どんな奴やった? 顔は? 姿は? 話した内容は?
思い出そうとすればするほど霞んでぼやけて見えなくなる。

「そや、これ見れば」

抱き締めていた腕を解き、柊の目の前にそれを差し出すがそこには何もない。
たしか三人で写っていた何かが……それは、なんや?
俺は、何を握っていた?

「ゴロちゃん?」
「未来の俺は……、いや、未来の俺がどうなるか、柊、隣で見ててくれるか?」
「はい」

そうして俺は、柊を愛していること以外、夢のような不思議な出来事を何も思い出せなくなった。
でも、それでいい。これからのことなんて、わからないほうが生きていく楽しみがある。

「あの……、コンビニ行きませんか? 喉が渇いてしまって」
「せやな。俺も小腹空いたわ。それにしても懐かしいのう。柊と付き合うようなったきっかけがコンビニやったからなぁ」
「オーナーの奥さんと大学生の女の子にイジめられてるところをゴロちゃんが助けてくれて」
「まったくあのオバはん、しつこくて面倒やったなぁ」

これから新たに始まる人生。
二人でしっかりこの世界を生き抜いてやる。
俺はポニーテールからテクノカットへ。そして隣には柊。

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