お題 | ナノ


▼ 仕事帰りの花火大会

定時に仕事を終えて会社を出てみれば、浴衣姿の女の子たちがわらわらと通りを歩いていた。履き慣れない下駄に「指が痛い」と文句を言いながらも下駄特有の軽やかな音があちこちから聞こえる。
生きることに精一杯で頭でっかちな私は、劇場前広場で何かのイベントがあるのかな、くらいにしか思っていなかった。

「今晩、何食べよう……」

スーパーに入って一通り品定めしたが、どうもしっくりこない。結局ぐるっと店内を一回りしただけで何も買わずに店を出た。
家に帰ってから何かを作るのも億劫で、スーパーから近い所にある定食屋に入った。月に数回来ていて生姜焼き定食を頼めば間違いないので、お母さん(店主が女性で、ある程度顔なじみになったのでそう呼んでいる)にメニューも見ずに席についてすぐそれを頼んだ。
食事が運ばれ、生姜焼きとご飯を頬張っている最中にドン、と腹の底に響く音が聞こえてきて、ようやく今日が夏祭りであることを知る。

「花火、始まったわよ」
「じゃあ、今日がお祭りの最終日なんですね」

いつからこんな無関心になっちゃったんだろう。
昔はたしかに胸がときめいていた。いつから始まるのかそわそわして、ちゃんと花火が綺麗に見える場所も確保して。
けど、そのときめきやそわそわは真っ暗な中、火を点けるおじさんが見えるような距離で、首を思いきり曲げて見上げた夜空に大輪の花が咲いたから。
こんなネオンだらけの神室町で、遠くに打ち上がる花火を見てもあの時のような興奮はない。

「見に行かないの?」
「……明日、仕事早出なんです」

すっかり仕事人間になってしまった。だから一緒に花火を見ていた人もいなくなった。それでも少し前までは帰り道に見える花火に綺麗だな、くらいの感想はあったはずなのに。

「忙しいのねぇ」
「お母さんは、見ないんですか?」
「本当は見たいんだけどね。これを見終わった人たちがお腹空かせて来るから準備しなきゃならないの」
「お母さんも忙しいですね」
「家に帰りがてら、私の代わりに見てちょうだいよ。どんな花火だったか教えてくれる?」

少しは仕事の力も抜かないと、と一言添えられて。
そう言われると見ないわけにはいかない。妙な使命感が生まれて、私は急いで生姜焼き定食を平らげた。





どうせ見るなら少しでもネオンの少ない場所がいい。
そう思ったものの神室町にそんなところがあるのかと定食屋を出てすぐに足が止まる。
劇場前広場やミレニアムタワーら辺はネオンのこともそうだし、かなり混雑していてそれに一旦巻き込まれると脱出するのに相当時間がかかる。かと言って路地に入ればガラの悪い人たちが待っている。

「あ、西公園……」

あそこならあまりネオンも多くないし、何かあったらタクシーに乗ればなんとかなりそうだ。ちょうど今、私は七福通りにいるのでここからそんなに遠くない。ホテル街のほうに向かって歩き、途中右に曲がって西公園を目指せばいい。
場所さえ決まれば私の行動は早い。空を見上げて立ち止まっている人を他所に横断歩道の信号待ちをしていると、その先に夜でも目立つ蛇柄ジャケットを着た人物が私に気づいて手を振った。

「みょうじちゃん!」
「真島さん」

車が来ないのをいいことに、赤信号にも関わらず駆け寄って来て「奇遇やなぁ」と私の肩をバシバシ叩く。

「信号無視です」
「ニューヨークじゃ信号無視は当たり前やねん」
「ニューヨークに行ったことあるんですか?」
「ない」

イヒヒ、と屈託のない笑顔を見せる真島さん。
真島さんとは合コンで知り合ったわけでも、オシャレなバーで運命的な出会いをしたわけでもなく、仕事に疲れて帰宅中に歩きながら缶ビールを呷っていたら「ええ飲みっぷりやなぁ!」と声を掛けられたことがきっかけだ。

「なんや、これからホテルか?」
「ち、違います!」
「照れんでもええんやで」
「私に彼氏がいないこと、知ってるじゃないですか」
「あ、やっぱりまだなんか」
「やっぱりってなんですかっ!」

真島さんがヤクザであることはジャケットから見える刺青ですぐにわかった。とんでもない人に絡まれてしまったとしばらくは焦っていたが、何度か "遭遇" して会話をしているうちに、何ら普通の人と変わらない感覚になり、むしろ会社にいる人よりいい人なんじゃないかと思うまでになった。それくらい真島さんは私の話を親身になって聞いてくれる。

「ほんならどこ行くねん。みょうじちゃんち、こっちやないやろ?」
「……花火見ようと思って」
「花火ぃ? こっからでも見えるやろ」
「せっかく見るならネオンが少ない所がいいかなと思って。西公園とか」
「一人でか? わんさかカップルがイチャついとる中で? ヒッヒッヒッ! みょうじちゃんごっついのう」
「ホント……、本っ当に意地悪ですね真島さんっ!」
「ちぃとからかっただけやろがぁ。そうカリカリすんなや」

一人でむくれていると、そんなら、と真島さんが私の手を握る。

「ええとこ知っとんねん」
「え? あ、あのっ」
「早よ行かんと終わってまうで」

ぐいぐい真島さんに手を引かれ、辿り着いた先は吉田バッティングセンターだった。

「ちょうどな、あのビルとビルの隙間からええ具合に見えんねん。西公園やと隠れて見えへんと思うわ」
「そうなんですか」
「ほれ、そこの階段座っとき」
「真島さんは?」
「酒がないと花火見物も盛り上がらんやろ。そこのコンビニで買うてくるわ。ビールでええか?」

私は無言で頷き、バッティングセンターの入口に続く外階段に腰を下ろす。真島さんは斜め向かいのMストアから缶ビールを二本買ってきて、缶の口を開きながら私の隣に座った。

「真島さんも、見るんですか?」
「せや。みょうじちゃん一人で見てもオモロないやろ。さ、乾杯や」

目の前に出された缶ビールを反射的に受け取ると、真島さんは「カンパーイ!」と缶をぶつけてゴクゴクと喉を鳴らしながらビールを飲んだ。
真島さんが言ったとおり、ビルとビルの間から打ち上がった花火がしっかり見える。空は少しネオンで明るいが、それに負けない色鮮やかな光を放つ花火はとても美しい。

「久しぶりにこないなモン見るわぁ。みょうじちゃんは毎年見とるんか?」
「いえ。私もこうしてちゃんと見るのは久しぶりです」
「そうなんか。ま、たまには余計なこと考えんと、ボケェっと過ごすのもええんとちゃうか」

いつもみょうじちゃんは真面目で忙しそうやからのう、と付け加えられて危うく涙腺が崩壊するところだった。込み上げる感情をビールを呷って誤魔化す。

「お、ええなぁ! みょうじちゃんのその飲みっぷり」
「そうですか?」
「俺は好きやで」

花火の炸裂音に加えてバッティングセンターの中からボールを打ち込む音も聞こえる。
大きな音で聞こえにくいはずなのに、はっきりと真島さんの声もその言葉も私の耳に届いてしまった。

「お、そろそろクライマックスやないか? 西公園まで行っとったら間に合わんかったかもしれん。見れて良かったなぁ」
「はい」

次から次へと花火が打ち上がり、咲いて、散っていく音がする。
私は、花火を見る真島さんの横顔を見ていた。

「キレイやなぁ」
「そうですね」
「今日、みょうじちゃんに会えてめっちゃラッキーやったわ。会わんかったら花火なんぞ見んでその辺のチンピラ殴っとったわ」
「それは物騒過ぎます」
「みょうじちゃんもラッキーやったやろ?」

んー……。少し考え込んだら「ここは素直に『はい』言うとこやろ」と肘で二の腕辺りを小突かれた。
違うんです、真島さん。そうじゃなくて。

「私もラッキーじゃなくて、めっちゃラッキー、でした」

あのまま西公園に行っていたら、私はカップルに囲まれて、一人まともに見えもしない花火を見ながら明日の仕事のことを考えていたかもしれない。

「そ、そりゃ、良かったわ」
「あ……、終わっちゃう」

特大のしだれ柳とスターマインが夜空を染め、その余韻を残しながら静かに黒の中へと消えていった。

「終わったな」
「あっという間でしたね。……あ、あの、一緒に見ていただいてありがとうござい──」
「また見ような」
「えっ?」
「ここは俺とみょうじちゃんの特等席や。来年はもっとド派手にやってもらいたいのう」

驚いた表情のまま動けずにいる私に真島さんがニカッと少年のように笑う。

「花火見て興奮してもうた。みょうじちゃん、まだ時間あるか? 酔い覚ましにバッセンで一汗かいていかへん?」

缶ビール一本で真島さんも私も酔うわけないじゃない。
明日の早出のことなんて頭の中から消えた。私は残っていたビールを喉に流し込み、真島さんとバッティングセンターへの階段を上る。

明日、私は定食屋のお母さんに「最高の花火だった」と伝えるだろう。


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