浅葱の煌 | ナノ


▼ 16:ないしょごと

夜当番まで時間がある。
源さんに打ち明けられた現実に動揺してざわついている胸を落ち着けるのにちょうどいい。
看護部屋で一人、何をするでもなくへなへなと力無く座り込んでいたが、愛しい人がやってくるまでにそう時間はかからなかった。

「ゆずちゃん、おるやろ? 入るで」

沖田さんの姿が目に入った瞬間に、抑え込んでいた感情と涙が一気に溢れて、彼の名前を呼びながら両腕を伸ばした。

「源さんに声かけられとったやろ? 気になって一番隊に指示出してすぐ来たんやで」

腕を引かれ、両膝をついた沖田さんの胸の中に私の身体が収まる。
伝わる肌の温もりと彼の香りに包まれれば、空になってしまった心が少しずつ満たされるようだ。

「ここに来る途中、源さんに会うて……すべて聞いたんやな」
「はい」
「恨んどるか? ワシらのこと」
「恨むはずありません」
「その言葉聞いて安心したわ。黙っとってホンマに堪忍な」

本当のことを知れば、私が離れて行ってしまうと思っていたらしい。

「源さんのこと、許してもろて……おおきに」

頭を撫でられ、顔を上げればすぐに吸われる唇。
受け入れがたい現実だった。それでもこうして発している甘い熱に淀んだ感情は徐々に溶かされて無くなった。

「元気、出たか?」
「……とても」
「そら良かった」

そろそろ仕事に戻らんと、と最後にチュッと音を立てて口を吸われた。
私のことを心配して仕事を抜けて来てくれた沖田さんに改めて感謝した。

「せや、もう少ししたらゆずちゃんの会いたい人が来るで」
「会いたい人? 沖田さんじゃなくてですか?」
「……くぅ〜っ! なんでそない可愛えことさらっと言ってしまうん?」
「んっ、沖田さん、お、お仕事っ」
「ゆずちゃんが帰してくれんのが悪い」

会いたい人って誰だろう……?
そんな考えは唇に降りてきた柔らかい感触と熱にすぐ奪われてしまった。





昼九つ頃(午後12時)、会いたい人がやってきた。

「ゆず〜!」
「ゆずさん、大丈夫ですか?」

それはみやとふみで、顔を見た途端に三人一緒に泣いた。
しばらく会っていなかったわけでもないのにとてつもなく懐かしい気分になるのは、今まで朝昼晩共に過ごしてきた時間が大切なものだったからだろう。
聞けば斎藤さんが長屋に出向いて二人に声をかけてくれたそうだ。沖田さんが行かなかったのはイワ婆のことがあるからだろう。

早速お互いの近況を報告し合った。
私からは局長たちに沖田さんとの関係を伝え、七日間寺田屋から屯所に通い、いつも通りに奉公することができれば認めてもらえること。
二人からはもちろんイワさんとのことを聞いた。

「あれからまったくイワさんと話をしてないの?」
「当り前! ゆずを家から追い出したんやで? あんな冷酷ババアと口利く必要あらへん!」
「今は朝も起こしに来ないですし、夜遅くまで起きてても私たちのことは無視してますからね」

二人がイワさんに反抗したせいで目の敵にされたのだろう。
局長が言っていた『かなり荒れてるみてぇだから』というのはきっとこのことだ。

「あまり好き勝手生活してると二人も追い出されちゃうかもしれないよ?」
「ま、その時はその時でなんとかなるんちゃう? まずはゆずが無事にその七日間を過ごせるように応援するわ」
「そうです。私たちにできることがあれば何でもしますから」
「ふみちゃん、みやちゃん……」

また涙が溢れそうになった時、ふみが何かを思い出したように風呂敷包みを解いて、一冊の書物を私に差し出した。

「これは?」
「これからの沖田さんとゆずさんに必要だと思って持ってきました」

書物を受け取り、表紙に書かれた題を読む。

「春……本っ?!」
「恋の睦言四十八手です」
「ちょ、ちょっと! シーッ! これって男性向けのものでしょ?」
「何言うとるん! 男も女も読んどるよ」
「ゆずさん、はっきり聞きますが……初めてなんですよね?」
「そ、そう、です」
「ならば! 沖田さんの心を鷲掴みにするには初夜が肝心なんです!」

ふみの熱弁とみやのにぎやかしが始まった。
まぐわいの知識があるのとないのとでは相手の喜び方が違う、と。

「初夜はおしとやかに受け身でいいかもしれませんが、それ以降は女性も積極的にならなければそのうち飽きられてしまいます」
「……そういうもの?」
「せやねぇ、沖田は狂犬って言われとるくらいやから、普通のまぐわいじゃ物足りなさそうやもんねぇ。色々 "技" 知っとったほうが喜ぶんちゃう?」
「わ、技?!」
「いくつか読んだ恋物語で、男は本命の女性とは別の女性を作るんです。本命の女性では得られない刺激や癒しを求めるために。ですから沖田さんに目移りさせないためにはゆずさんが沖田さんを飽きさせない努力をしないと!」

沖田さんとそういうところまで行っていないけれど、どんどん先に進んで行く二人の話。
でも、たしかに今は好きだと言ってくれている沖田さんでも、もっと素敵な人が現れたら……。
そう思うと差し出された本を受け取らずにはいられなかった。

「寺田屋で時間があると思いますから、じっくり読んでください」
「う、うん」
「ほなら、私たちは戻るわ。夜当番でまたね」

私の顔を見て安心したのか、笑顔で部屋を出て行く二人を見送る。

「飽きられないように、か」

とにかく今は頑張るしかない。それしかない。
畳の上に寝転がり、ギュッと目を閉じた。

それから私と沖田さんは言われた通りに寺田屋から屯所に通い、仕事を滞らせることなく課せられた七日間を終えるのである──。

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