黒のアバンドーネ | ナノ


▼ ふわふわ

今日はお休みだった。
特に出掛ける用事もなく、洗濯をして、部屋の片づけをして、ピアノを少し弾いて、ちょっぴり仕事モードになった何気ない一日。それももうすぐ終わる。あとはベッドに潜るだけ。

「こないな、電話」

私が休みの日は仕事を終えた真島さんから「終わったで」と電話がくる。
グランドを出てすぐの公衆電話から掛けてくれて、「今日は何しとった? ゆっくりできたか?」と聞いてくれる。その声色で私も今日は売上良かったのかな、少し疲れてるかな、などと想像しながら言葉を交わして、真島さんと一緒に今日という一日を終える。しかし、もうすぐ夜中の一時になろうかという時間なのにまだ電話はこない。

「何かあったのかな……」

寝る前にココアを飲むと睡眠の質が良くなるらしいで、と教えてくれたのは真島さんだ。だからパジャマに着替えた後、電話の前で体育座りをしてココアを飲んでいた。今日を終える準備は万端なのに電話が鳴らない。
秒針がカチ、カチ、と一秒進むごとに心配が募る。着替えてグランドに様子を見に行こうか。すでに冷めてしまったココアのマグカップをテーブルに置き、立ち上がって固まった膝を伸ばす。

ピンポーン──

突然静まり返った部屋にインターホンの音が響いて心臓も身体も飛び跳ねた。それから二度、三度と繰り返し鳴らされ、それでは足りないのか力任せに玄関のドアを叩いている音もする。

「ミル〜」
「えっ?!」

外で私の名前を呼ぶ声が聞こえた。
それは間違いなく待ち望んでいた真島さんの声で、得体の知れない恐怖に固まっていた私は急いで玄関まで走る。未だドンドンとドアを叩く音と「ミル」と呼ぶ声。鍵を開け、チェーンを外し、ドアを開けた。

「真島さん!」

急にどうしたんですか? 何かあったんですか?
そう聞きたかったのに、私の顔を見るや否や真島さんは深く激しいキスをしてきた。すぐに酔ってしまいそうな程の濃いお酒の味がした。

「んっ、ぅ、くるし」
「なんで、ミルがおる?」
「ここ……、私の家です」
「ミル〜ッ! 会いたかったで」
「ちょ、ま、待って。真島さん、すごい、酔ってる」

ぎゅうっと抱き着いてくる真島さんの足も身体もフラフラだ。相当飲んだらしい。

「と、とりあえず中に入って」
「ん」
「靴脱いでください!」
「ん……、クツな……」

バタバタと乱暴に脱いだ右靴は宙を舞ってひっくり返り、左靴は傘立てのほうに飛んで行った。
先導する私の背中を真島さんが抱えるように密着してくるせいで、電車ごっこみたいな体勢で部屋の中に入った。しかも遠慮なく体重を預けてくるので、私は耐え切れず真島さんに潰されるような形でソファに倒れ込んだ。

「お、重いっ。真島さん、こんなに酔ってどうしたんですか?」
「ミル……、なんでおるん?」
「……私の家です」
「そうか〜……、ん、ミル」

会話が成立しない。そもそも真島さんが酔ったところなんて初めて見た。普段の真島さんからは想像できないくらい……可愛い。
とりあえずお水を飲ませて少し酔いを醒まさないと。なんとか腕の中から抜け出そうともがいてみるが、ますます締め付けられて動けなくなってしまった。

「どこ、行くんや……?」
「お水持ってきます」
「いらん」
「飲まないと明日ツラいですよ」
「行かんで、ええ」
「ちょっとキッチンに行くだけです」
「パジャマ……、ミル……、可愛え」

ダメだ、行けない。
真島さんは私の首に顔を埋めてちゅっちゅと何度も唇を押し当てている。何があったのか気になるけれど、今聞き出すのは無理だろうと諦めた。

「ほんとにっ、お水、飲まなきゃダメ、です」
「イヤや」

プイッ、と顔を背ける仕草は駄々をこねる子供みたいだ。こんな一面があるなんて知らなかった。

「ミル、好きや」
「私も真島さんが好きです」
「パジャマ……、可愛えな……」

接客業をしていると、営業用の顔が張り付いて取れなくなる。特に真島さんは支配人だから、その威厳を保つのに厳しい表情のことが多い。あまり感情を出さない真島さんがこうして甘えてくれるのはすごく嬉しい。

「ミルも、可愛え」
「真島さん……」
「好きや」
「私も好きです」
「どこにも、行かんでくれな」
「行きません」
「消えて、無くならんでな」
「消えません。大丈夫」

真島さんも心のどこかにたくさんの不安を溜め込んでいるんだ。きっと簡単にはそれを見せてくれないだろうから、二人きりの時にはいっぱい甘やかしてあげたい。
私の身体にしがみつくようにしている真島さんの背中を擦って頭を撫でると、アルコールのせいでいつもの鋭い目線がただでさえとろんとしているのに、ますますとろけそうになっている。

「今日はもう寝ましょう」
「ん……、どこ行くんや……」
「一緒にベッド、行きましょう」
「ん」

二人で身体を起こして、フラフラしながらまた電車ごっこで寝室まで移動して、そのままベッドに二人で潜った。結ばれた真島さんの髪が窮屈そうに見えてヘアゴムを外してあげた。癖の付いた髪を指で軽く梳かすと真島さんは気持ちよさそうに目を閉じた。

「真島さん、ずっとね、待ってたんです」
「俺も……、待ってた……」
「おやすみのキス、する?」
「ん、する」

半分眠っているような声で返事をした真島さん。いい夢を見られますように。
重なる唇を何度も優しく啄むようにしていたらすごく気持ちよくなってきて、いつの間にか私も眠りの中に落ちていった。





朝が来たようだ。
頬にかかる息がくすぐったい。ゆっくり目蓋を持ち上げるとすぐ傍に真島さんがいて、穏やかな表情で私の頭を撫でていた。

「起こしてもうたな」
「んん、真島さん……。身体、大丈夫……ですか?」
「ああ。ちぃとばかし頭が痛いくらいや。すまんかったなぁ、エラい酔うてたやろ?」
「何があったんですか?」
「客に吹っ掛けられたんや。『飲み比べせぇ!』言われて。付いとったホステスが酒に強い男が好きみたいなこと言うて調子に乗ったんやろな。もちろん俺が勝ったで!」
「さすが……、私の支配人……」

まだ微睡の中にいる私に真島さんが目を細めて微笑んでいるのが見える。

「フッ、まだ寝ぼけとるんか?」
「……そう、です」
「なぁミル、おはようのキス、するか?」

それ、寝る前に私が言ったセリフだな。
あんなに酔ってたのに覚えてたんだ。どこまで覚えてるんだろ。
頭とか撫でちゃったのにな。恥ずかしいな。

「そないに可愛え顔されたら、俺もう我慢できへんねんけど」

きっとキスしたらまた気持ちよくなっちゃうから、そしたら二人でまた眠ればいい。そしてキリのいいところで今日を始めて、キリのいいところで今日を終えればいい。真島さんがいれば、それでいい。

「うん……、する」

私は半分眠っている声で返事をした。


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