黒のアバンドーネ | ナノ


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すっかりグランド色に染まった男たちは、金と欲を剥き出しにして酒を呷り、女を漁っている。時間なんてものは忘れているから、次から次へと入るオーダーにボーイたちは大忙しで、それは支配人の真島も同じである。

「お客様、お楽しみいただいておりますでしょうか?」

ここぞとばかりに真島は各テーブルを回り、常連客にはその客の好みであろう酒を勧めたり、新しく入ったホステスの紹介をする。新規客には名刺を配って「今後ともご贔屓に」と営業用の笑みを浮かべる。

(予想通りしんどいのう……。まぁ、その分売り上げはええやろうから踏ん張りどころや)

今日は多くの企業がボーナス日を迎えている。客はいつも以上に羽振りが良く、グランドはありがたくその恩恵を受けている。
酒に酔った勢いで財布の紐が緩んでいるのだろうが、もうひとつ、店内に流れるBGMがより夜の雰囲気を盛り上げている。

(ミルちゃん、やっぱり可愛えなぁ)

挨拶回りが一段落し、真島は事務所へと戻る。その途中ステージに目をやると恋人の美流がステージ上で輝いていた。白い指がピアノの鍵盤の上でしなやかに動き、美しい音を奏でている。曲の旋律に身を任せて身体を揺らしている美流の姿に真島の口元がわずかに綻んだ。
支配人と専属ピアニストという関係上、グランドの中で男と女を匂わせるような行動をするわけにはいかない。ホステスたちの間で少しでも色恋の噂が立てば、波紋のように広がっていくことを知っている。その辺は真島も美流も慎重に行動していた。
しかし、真島の中で美流への独占欲が高まる瞬間がある。

「いやぁ、あのピアニストの子、そそるなぁ!」
「美流ちゃん言うんですよ」
「そうなんだぁ。俺、ああいう子タイプ」
「えぇ〜、私はぁ?」
「もちろんタイプだよ♪」

近くの席から聞こえてきた客とホステスの会話に真島はグッと拳を握る。

(ミルは俺の女や、ボケ)

テーブルを回っていると耳に入ってくる美流の評判。大抵が可愛いだの、付き合いたいだの、抱きたいだの、そういった類のことばかり。そのたびに真島がタキシードの下に隠している背中の般若が疼いた。


演奏が終わり、あちこちから歓声と拍手が湧いた。バンドメンバーが立ち上がりお辞儀をする。真島が店の上方からその様子を眺めているとステージ上の美流と目が合った。

(ミルちゃん)
(真島さん)

真島は表情を柔らかくしてそっと頷くと、美流もはにかみながらそれに応えるように頷きステージを去って行った。
いつもならこのまま事務室に戻るところだが、真島の足は控え室へと向かっていた。

「いやぁ〜、今日の演奏も最高やったで!」
「ありがとうございます! 支配人」

演奏を終えたバンドメンバーが嬉しそうに頭を下げる。真島は労いの声をかけつつ真っ直ぐ美流の許へ。

「ミルちゃん、体調悪くなっとらんか?」
「はい。大丈夫です」
「今日もミルちゃんのピアノ、ええ音しとったで」

真島がハイタッチをするように右手を軽く上げると、美流は恥ずかしそうに真島の手のひらに自らの手を合わせた。

「安心したわ」
「……良かったです」
「ほな、あと少しや。頼んだで!」

はい、と大きな声が控え室に響き、真島は部屋を後にした。





「なぁミルちゃん」
「なんですか?」
「キスしてええか?」
「だ、ダメです! ここ事務室ですよ? 誰か来たら……」
「せやな。せやけど。俺の気持ちが収まらんねん! どないしたらええ?」
「そんなこと、言われても……」
「お、ええこと思いついたわ。グランドの中では俺とミルちゃんのキスはハイタッチっちゅうのはどうや?」
「それは、ど、どういうことですか?」
「キスする代わりにハイタッチすんねん。ここでのハイタッチは俺とミルちゃんにとってはキスや。誰にもバレへんしええやろ?」

右手の手のひらを眺めながら真島は美流と付き合い始めた頃の会話を思い出していた。
どうしても卑猥な視線を送る男たちに我慢ができず、なんとか気持ちを落ち着けるために美流と触れ合える方法を考えた結果がこれだった。
二人で会うには場所が限られているし、頻繁に美流を自分の許へ呼び寄せるのもホステスたちに怪しまれる。それなら自分が美流のところへ足を運び、演奏が良かった、客から喜ばれたなどと理由をこじつければ全く問題なかった。
売上を上げたホステスがマネすることもあったが、真島は嫌がらずにハイタッチをした。そうすることで美流だけにしている行為ではないとアピールすることができた。
真島と美流の二人の間でこの行為が特別なものだと理解できていればそれでいい。それに「ミルちゃんはピアニストやから」と言って、真島は美流とのハイタッチはパチンと勢いよく手を合わせるようなやり方はしなかった。実際に口づけるかのような、ゆっくり互いの手のひらをぴったり密着させて、温もりや肌の質感を確かめるように合わせるのだった。

(ミルちゃん、照れとったな)

フッと静かに口角を上げ、真島は事務所の扉を開けた。

「うわっ、気持ち悪ぃ。真島ちゃん、なぁに手のひらなんか見て笑ってんの? 生命線でも伸びた?」
「佐川はん……。そんなもん短くなる一方や」

事務室のソファにどっかり腰掛けた佐川が「だろうな」と言って笑う。どうやら金の回収に来たらしい。

「いきなり来られても困る言うとるやろ」
「冷たいこと言うなよ。今日の客はボーナス貰ってウハウハな奴ばっかりなんだろ? ケースに入りきらないくらい儲かってるんだろうと思ってよ、直々に来てやったんじゃねぇか」

いつものように佐川は調子のいいことばかりを言って真島を苛立たせる。

(はぁ……。面倒なヤツが来よったで。ミルちゃんにハイタッチして正解やったわ)

もうひとつ、真島はキスの他にそれに意味を持たせていた。

「ハイタッチした日は仕事終わったらミルちゃんち行くで」
「えっ?!」
「ミルちゃんのこと好き勝手言っとるオッサンたちを追い出さんと我慢して、ミルちゃんとのキスも我慢して、俺は仕事が終わっても我慢せなあかんのか?」
「それは……」
「ミルちゃんと一緒に過ごしたいねん。嫌か?」
「……いいですよ」
「ほな、決まりや」

佐川の嫌味を聞きながら、真島は後ろに手を回し、美流の感触が残る手のひらをそっと親指で擦った。


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