黒のアバンドーネ | ナノ


▼ episode-no.09 ≪AM8:30≫

真島さんは本当に熱があるのかと思うくらいの勢いで私が作った食事を平らげた。「お代わりありますよ」というと食べたいというのでお粥とスープを追加した。

「ミルちゃん、めっちゃ美味いわ〜! 神味庵の飯より美味いんちゃうか?」
「言い過ぎです! でも、そう言ってもらえて嬉しいです」

大きく口を開けて男らしい食べっぷりが見ていて気持ちいい。何よりもちゃんと礼儀正しく手を合わせて "いただきます" をしていたのが素敵だ。

「それにしても、いつもワイシャツにジャケットの真島さんしか見たことがなかったので、なんだか新鮮です」
「せやろ? 俺のこの姿、レアやで! ……おおきにな。このシャツとトレーナー、着心地ええから気に入ったわ」
「真島さん、背が高いしスラっとしてるから、どんなお洋服でも似合うと思いますよ」
「ほな、今度ミルちゃんチョイスで俺の服選んでくれんか?」
「え?」

ミルちゃんなら間違いなく俺に似合う服、選んでくれるやろ? と言われた。これは、デートに誘われてるって解釈でいいんだろうか……。「責任重大ですね」と戸惑いながら笑ってごまかした。

「はぁ〜、ご馳走さん! ホンマ美味かったぁ」

米粒一つ無い空になった食器をキッチンに下げて風邪薬と水を手渡す。「苦いの嫌いやねん」と顔を顰めながら薬を飲んでいる真島さんが可愛らしく感じる。

「じゃあ、まだ完全に熱が下がってませんから、もう少しゆっくり休んでくださいね」

コップを受け取って傍を離れようとした時――

「……なぁ」

真島さんに左手首を掴まれ引き留められた。振り向くと、初めて見る優しくて、甘えるような、何かの感情を含んだ真島さんの瞳が私を見つめている。

「わがまま言ってええか?」
「……何ですか?」
「ピアノ、一曲でええから弾いてくれんか? ミルちゃんのピアノ聴いたら元気になるんや」
「もちろん、いいですよ」

ベッドと並ぶように置いてある電子ピアノの電源を入れて椅子に腰かける。いくら弾き慣れているとはいえ、こんなに近くから見られると緊張する。何を弾こうかと楽譜を漁っていると真島さんの手が伸びてきた。

「びっしりメモしてるんやな」
「曲と曲のつなぎとか、バンド用にアレンジしてる箇所が多いので、書き込んでおかないとわからなくなっちゃうんです」
「俺には暗号に見えるわ。ほら、これなんか串団子やろ」
「音符を串団子って言った人、真島さんが初めてです」

いつも勤務前に弾いてる曲の楽譜ですよ、と弾いてみせると真島さんは「おぉ!」とか「その指どうなってんねん?!」とか、とにかく大きなリアクションで喜んでくれたが、せっかくだからと一度も弾いたことがない曲を弾くことにした。

「大きな古時計? 前もかえるのうた弾いとったな。俺、一応童謡以外も知っとるで」
「これ、父が好きだった曲で小さい頃からずっと練習したんですけど、人前で弾いたことがなくて……聴いてくれますか?」
「そういうことなら、ぜひ聴かせてくれや」

小学生の頃、祖父の家を訪ねてきた父に貰った楽譜。かなりアレンジが入り組んだ譜面で、ほろ苦いような、甘酸っぱいような感覚になるコードがたくさん散りばめられている。『ここが大事なんだ』と父が4小節だけ赤えんぴつで丸を囲んでくれた跡が今でも残っている。
2分もかからない曲はあっという間に弾き終わったが、真島さんは曲が終わった後も一言も喋らずに私を見つめている。

「真島さん?」
「俺は今、めっちゃ感動しとる! ええ曲やな!」
「気に入ってもらえてよかったです」
「ミルちゃん、顔真っ赤やで。……熱あるんちゃうか?」

ふっと息を吐くように優しく笑った真島さんの大きな手が私の額を覆い、彼の瞳が私の瞳を捕えたまま放してくれない。ピアノの音が響いていた部屋は静まり返り、ドクン、ドクンと脈打つ自分の心臓の音だけがやけに大きく聞こえる。

「ミルちゃんは大丈夫そうや。せやけど俺は……ちょっと微熱気味や」
「少し、休まないと」
「あぁ。ええ曲聴いたからぐっすり眠れそうや」

私の額から手を離した真島さんは、おやすみと口元を綻ばせながらベッドの中へと潜っていった。


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