黒のアバンドーネ | ナノ


▼ 22:黒のアバンドーネ

『真島ちゃん』
美流にはそれだけがはっきり聞こえた。あとは言葉として成立しておらず、何かを話しているようだったが、世良に身体を撃ち抜かれせいで口から溢れる血液と苦しそうな呼吸がゴボゴボと聞こえるだけ。
最後の佐川の顔は苦痛に歪みながらも笑っていて、ただ一点真島をジッと見つめていた。

「大丈夫か?」
「はい……」

シン、と静まり返った地下室のソファに腰を掛け、真島は美流に服を着替えさせ、頬や首に付着した返り血を拭いていた。

「真島さん、私のせいで西谷さんは……」
「それはちゃう! ミルちゃんのせいやない! アイツなら……大丈夫や」

大丈夫と言いながら美流の頬を拭っている真島の手にグッと力が入る。
バーの扉が開いた瞬間、ナツメのこめかみに当てられていた佐川の銃口はすぐさま真島へと向けられ引き金は引かれた。
撃たれたと思った瞬間、目の前には臙脂色。そしてナツメの悲鳴。

『どうして』

自然に真島の口を衝いて出た。
西谷は少しだけ首を後ろにねじ曲げ『惚れた女、きっちり最後まで命懸けて守らな』と掠れた声でボソリと呟き、床に崩れた。
真島の代わりに撃たれた西谷は、世良が手配した病院へと運ばれナツメも一緒に病院へ。

「真島さん、ちょっとだけ……、痛いです」
「あ、あぁ、すまん」
「真島さん?」

美流の頬が赤くなっている。その頬を自分の胸に押し当てるように真島は美流を抱き締めた。
するとふわりと美流の香りが漂う中に、濃密な血の匂いを感じた。

『俺からは逃げられねぇよ、真島ちゃん』

佐川だった。
いつか言われたその声が頭の中で繰り返し渦を巻いた。

「まだヤツの血が付いとる。洗うで」
「じゃ、じゃあ、私一人で――」
「俺も洗い流したいんや、何もかも。洗ってくれるか?」

低く重く吐き出された真島の言葉の意味を美流は理解した。
もう追手は来ない。
輝く監獄は終焉を迎えたのだ。

「はい」

二人は手を繋いでシャワールームへと向かう。
佐川は死んだ。





テーブルの上にノートパソコンと楽譜が一枚。
それを美流、真島、世良の三人が複雑な表情で見つめている。

「本当にパスワードがわかったのか?」

世良からの問いに美流は頷いて経緯を話す。
それは何気ない真島の一言だった。

『これでほんまに、窮屈な毎日から解放されたんやなぁ。ただ、グランドでミルちゃんがピアノ弾く姿見れんようになるのはちょっと残念やけどな。俺、アレ好きやねん。ミルちゃんの親父さんも好きやった大きな古時計』

パスワードを入力する画面の最初に "#" がついていた。てっきり数字を入力するからだと思い込んでいたのだが、それにも意味があったのだ。

「ほぅ、なるほど。ちなみにだが……『シャワー室で真島さんが』というところには突っ込んだほうがいいのか?」
「え? ……ぁ、ひぇッ! そ、それは、えっと……」
「世良はん、アンタ性格悪いな」

半ベソ状態で顔を真っ赤にしている美流の頭を撫でながら、真島は置かれた楽譜に手を伸ばす。
楽譜には美流の父親が赤えんぴつで丸をつけたところがある。

「ここなんやな」
「そうです。この部分のコードを書き出してみますね」

美流は赤丸のついている小節のコードを紙に書く。
歌詞で言えば "おじいさんの生まれた朝に 買ってきた時計さ" の部分。
父親が『ここが大事なんだ』と言っていたところだ。

D/F# G7/F C/E A G/B Cdim A7/C# D
B7(#13) B7(#9,b13)/D# B7(b9,#11) Em B/E Em7
A7(#13) A7(b13) C/D D7(b9)

「……まるで暗号やな」
「頭に#がついているので、その部分の数字を抜き出します。一桁のところには0を入れます」
「入力しなければならない数字の桁数は合っているな」
「もう私にはこれしか思いつきません」
「入力、してみようや」

13 09 11 13――
8桁の数字をひとつずつ押して、美流は一呼吸置いてEnterキーを押した。

「っ!」

今まで "error" の文字しか表示されていなかった画面が切り替わり、デスクトップが表示された。
そこにはデータが二つあり、世良はマウスを操作して中身を確認する。

「これは……、近江との闇取引のデータで間違いない」
「やったなぁミル! ようやった! ほんで、こっちのデータはなんや?」

もう一つのデータはアイコンの絵柄が違い、取引のデータとは違うようだった。ファイル名は "19700531" となっている。
世良がそのファイルを開くと1枚の写真が表示された。

「こ、これ」

それは美流の部屋に飾ってあった写真と同じ写真だった。
父親が美流を抱っこして優しく微笑んでいる。
ファイル名は "1970年5月31日" ということだろう。

「親父さんはずっと、ミルちゃんのこと思っとったんや」
「……うん……」

自宅を佐川組に荒らされた時、写真はナイフで切り裂かれてしまい諦めていた。しかし今こうしてまた美流の目の前に同じ写真がある。
ふと父親が傍にいるような気がして、美流の目から涙が溢れた。

「美流さんありがとう。これで証拠が手に入った。……真島、最後に一つお前にやってもらいたいことがある」
「なんや?」
「お前の親父のことだ。美流さん、この写真は後日美流さんに渡そう。少し真島を借りる」
「不安そうな顔すんなや。すぐ戻ってくる」

美流の頭を一撫でして、真島と世良は部屋を出て行った。

「……お父さん……」

部屋に一人。
堰を切ったように声を上げて美流は泣いた。





1週間後。
まだ客の入っていないキャバレーグランドに真島と西谷の姿があった。

「ギャハハハハハッ、何やねんその髪型っ! そんでその悪趣味なジャケットもひっどいでぇ! ヒィィィィィッ、傷口開いてまうっ!」
「オドレ喧嘩売っとんのかっ! 俺は元々この髪型やったんや! ジャケットもイカしとるやろが!」

今日、真島と美流が蒼天堀を去る。
キャバレーグランドにもう来ることはない。
真島には従業員が来る前にひとつやっておきたいことがあった。

「はーい! お待たせしました!……って支配人どうしちゃったんですか?!」

ヒールの音を響かせ、ナツメがステージ袖から現れる。
いつものようにステージは眩いばかりの光が降り注ぎ、GRANDの文字が煌々と輝いている。

「それでは当店自慢のピアニスト、神崎美流です。どうぞ〜!」

ナツメにコールされ美流がステージに登場すると、真島と西谷の絶叫に近い驚きの声がホール中に響いた。

「ミルちゃんっ! か、髪、どないしたんやっ?」
「切っちゃいました。真島さんが切るって言っていたので私も。……ショート、変ですか?」
「めちゃ……、めちゃめちゃ可愛えでっ……!!!」
(真島君、鼻の下ごっつ伸びとる。こりゃ真島君のほうがベタ惚れやな)

黒のドレスに身を包んだ美流はいつもの場所に腰を下ろす。
最後に真島は支配人としてではなく、真島吾朗として美流の演奏を聴きたかったのだ。それにグランドを去る前に、美流にもピアノを弾かせてやりたかった。
呼吸を整えている美流に真島が真面目なトーンで声を掛ける。

「ミルちゃん、ほんまに後悔せぇへんか? ピアニストとしてここで生きる道もあるんやで?」
「後悔しません」
「俺ら極道の世界は黒や。黒に染まっとる。せやから俺についてくるっちゅうことは、ミルちゃんも黒に染まるっちゅうことやで。……ええんか?」
「構いません。だから今日は、真島さんと私の新たな門出のために曲を作ってきました」
「なんやて?!」

目を丸くして驚いている真島を見て、美流は優しく微笑みながら楽譜を広げる。

「では美流、曲のタイトルは?」

たとえどんな困難が待ち受けようと。
これから黒の世界に入ろうと。
その黒の世界の中で、拘束されることなく、自由に、感情の赴くまま。
すべてはこの場所から始まった。
真島さんと、生きていく。

「タイトルは……『黒のアバンドーネ』」

美流は胸いっぱいに息を吸い、目を瞑って天を仰ぐと、指先に魂を込めて鍵盤にその指を下ろした。

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