黒のアバンドーネ | ナノ


▼ 17:黒に染まった日

頬に感じる柔らかな感覚に心地よさを感じながら、閉じていたことすら気づかなかった目蓋を開いた。

「おはようございます」

真島はいつの間にか眠ってしまっていた。いつ帰ったのか薄暗い倉庫にはもう西谷の姿はない。頭上から降ってきた美流の声に慌てて身体を起こそうとすると、白い手がそれを制して再び柔らかな太腿の枕に頬が着地した。

「まだ早いですから。相当お疲れだったんですね、船漕いでましたよ。身体を横にしてあげようとしたら、こんな感じに」
「足痺れとるんちゃうか? 重いやろ」
「大丈夫です。もう少し、こうしててください」

真島は顔の向きを変え、覗き込んでいる美流の顔を見上げた。

「ミルちゃんは寝れたんか?」
「いえ、あまり」
「俺一人寝てしもてすまんかったなぁ。……おはようさん」

美流の後頭部に手を伸ばし、引き寄せてキスをした。軽くするつもりが予想以上に美流が真島を求めてきて、深く長いおはようのキスになった。唇を離せば、すぐ傍に涙ぐんだ美流の瞳がある。

「……怖いんか? これから起こること」
「真島さんがいなくなっちゃうのが怖い」

真島は身体を起こして美流を優しく抱き締めた。
美流の命も自分の命も計画が失敗すれば消えて無くなる。失敗は許されないプレッシャーと今あるこの幸せが失われる恐怖は真島も同じだった。

「大丈夫や、絶対うまくいく。何があっても俺が守ったる。俺のこと、信じられへんか?」

真島の問いかけに、必死に首を横に振る美流の仕草があまりにも可愛くて、真島は赤く色付いた唇にもう一度吸い付いた。

「んっ」
「っ……。ミルちゃんとならなんぼでもキスできるんやけど、今日はこの辺で我慢しとこな。続きは落ち着いてからのお楽しみや」

恥ずかしそうにコクリと頷いた美流の頭を撫でて、真島は大きく背伸びをした。

「なぁ、もし家から持ってきたいもんがあれば、夜になる前が最後のチャンスや。もうここには戻って来れんかもしれへん、何かあるか?」
「できたら、楽譜を……。父が赤えんぴつで丸をつけてくれた」
「この前ミルちゃんが弾いてくれたやつやな。大きな古時計≠竄チたか」
「でも無理なら――」
「無理やない。楽譜、取りに行くで。ただここから二人で一緒に行動はできん。西谷から目立たん道教えてもろた。一度グランドで落ち合うてから、そこ辿ってミルちゃんちまで行くで」

わかりましたと美流がソファから腰を上げようとしたところで、真島に手を掴まれ引き戻された。

「ミルちゃんが一眠りしてからや。眠らんと体力もたんで」

真島は先ほどまで自分がしてもらっていたように、美流を横たわらせて膝枕をしてやる。顔を赤くしている美流の頭を撫でながら、真島も目を閉じた。





「な、なんや……これ」

16時にグランドで落ち合った二人はいくつもの路地を縫うようにして、なんとか美流の自宅に到着した。美流が鍵穴に鍵を差していつもの方向に回そうとしたが鍵は回らない。それは既に開錠されていることを意味していた。
そっとドアを開け、部屋に入った二人は絶句した。観葉植物は葉を引きちぎられ、飾られていた絵や写真はナイフで切り裂かれている。引き出しという引き出しはひっくり返され、整理整頓されていた美流の部屋からは想像できないほどに荒らされていた。

「ミルちゃん! 急ぐで!」
「は、はいっ!」

美流は真っ青な顔で床に散乱している衣服や書類の中から楽譜を探す。
ズタズタにされたカーテンの陰から真島が窓の外に目をやると、到着した時にはいなかった3、4人の男たちがあしたば公園からこちらを伺っているのが見えた。

「真島さん、ありました!」

美流がくしゃくしゃになった楽譜を数枚握り締め、泣きそうな顔で真島の元に戻ってきた。

「今は出ないほうがええ。見てみぃ、たぶん佐川組の連中や。ここやったんもアイツらやろ」
「私のこと、バレたってことですか?」
「どうやらそうらしいな。アイツらの動き見て、すぐにここ出るで」

10分程男たちの様子を伺い、姿が見えなくなったのを確認して二人は美流の自宅を飛び出した。目立たない道や人通りの多い道を選びながら慎重に進むが、至る所に佐川組と思われる男たちが真島と美流の姿を探していて思うように進めない。

「こっちや!」

真島に腕を引かれ、建物の陰に身を潜める。大きな身体で美流を匿うようになんとかやり過ごしていたが、もうすぐ倉庫に辿り着くというところで八方塞がりになってしまった。

「チッ、やるしかないな。ミルちゃん、離れるんやないで!」
「は、はい!」

真島は美流の手を握り道を進むと、二人に気づいた佐川組の男たちが駆け寄ってくる。

「探しましたわ、お二人さん」
「その女、渡してもらいましょか」
「お前ら相手にしとるほど、俺も暇やないねん! どけやぁぁ!」

真島が男たちの拳や蹴りを交わして遣り合うのを美流はただただ見守るしかできない。他の場所で張っていた男たちも合流し、美流にズカズカと近づいてくる。右往左往しているうちに真島との距離も遠くなる。
ふと、背後に人の気配を感じて振り向こうとした時――

「神崎ちゃん、持病があるんだって? そんならおとなしくしてねぇと」

髪を乱暴に掴まれ、喉元にナイフが突きつけられた。

「ミル! うぐっ」

美流に気を取られた真島の背中に容赦なく鉄パイプが降り降ろされ、真島は呻き声を上げて膝から崩れ落ちた。

「真島さんっ!」
「だらしねぇな、女の前では少しくらい格好つけねぇと」
「さ、佐川……」

いつものように佐川は飄飄とした口調で話し出す。

「倉庫までわざわざお迎えに行ったんだけどよぉ、お出かけ中だったみたいだから探したぜ」
「どうして、それを……」
「どうしてって、こっちが聞きたいよ真島ちゃん。どうして神崎ちゃんのこと教えてくれなかったの? 知ってたんだろ? 上月の娘だって。報連相はちゃんとするって約束したじゃねぇか」
「ミルは関係あらへん!」
「は? 今更何言ってんだ真島ちゃん。二人で逃避行しようとしてたんだろ? 俺もナメられたもんだな。お前がぶっ倒れて神崎ちゃんちで寝泊まりしたことも、神崎ちゃんがグランドでぶっ倒れてお前が病院運んだことも知ってんだよ」

あの時のタクシー運転手は佐川組の組員だったに違いない。美流が介抱してくれた時に使ったタクシーの運転手も同一人物だろう。完全に佐川に泳がされていた。真島は歯噛みした。
美流にナイフを突きつけたまま、佐川は真島に近づいて腹を一蹴りすると、見せつけるように美流の胸を鷲掴みにしてニヤリと笑う。

「ミルをっ、放せ」

「いつからあそこにいたんだ? え? あの倉庫で神崎ちゃんとヤリまくってたんだろ?」
「佐川っ……」
「俺がちゃんと可愛がってやるから心配すんな。ノートパソコンも神崎ちゃんも、俺の手の中だ。……じゃあな、真島ちゃん」

佐川はジャケットの内側から拳銃を取り出して真島に向けた。

「やめてっ! 真島さんを殺さないでっ!」
「暴れるんじゃねぇよ!」

グリップで頭を殴られ、美流の意識が一瞬遠のいた。どさりと音が聞こえ、自分が倒れたことを知る。痙攣する瞼を必死に持ち上げ、グラグラと揺れる視界が捉えたのは、佐川が真島に銃口を向け何かを話している姿。
もうダメなのかとギュッと目を閉じた時、車のブレーキ音と背後から誰かが走ってくる複数の足音、そしてパンッと乾いた音が2回聞こえた。恐る恐る目を開くと、臙脂色の背広と脇腹から血を流す真島の姿。そして肩を押さえて地面に膝をついている佐川と佐川に駆け寄ってくる組員。

「ま、じま、さ……」

乱闘の中、真島に拳銃を向けている男が一人いる。
叫びたいのに声が出ない。誰もそのことに気付いていない。
手を伸ばせば佐川が落としたと思われる一丁の拳銃。
美流は地面を這い、黒い塊を手に取った。

「ま、じ、ま、さん」

重さに加えて回る視界が照準を定まらせてくれない。震える手をもう片方の手で必死に抑え、引き金に指を掛けた。

パンッ―――

すべての時が止まった。

「ミル……、お、お前……、何しとるんじゃ!!」

男の鎖骨辺りから血が溢れ、白いシャツが赤く染まっていく。
西谷が「今やぁぁ!」と叫び、すぐに辺りが白い煙で覆われると、目に激痛が走って美流は何も見えなくなり、音も聞こえなくなった。
ただ、真島の悲痛な声だけが身体中に響いていた。

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