黒のアバンドーネ | ナノ


▼ 15:重なるオレンジ

蒼天堀のクリスマスムードはピークを迎えた。店という店は挙ってクリスマスツリーを飾り、イルミネーションを点灯させ、客引きやティッシュ配りのバイトなんかもサンタクロースの格好をしている。
それはグランドも同じで、入口には大きなクリスマスツリー、各テーブルにはスノードームが飾られ、ホステスは客にサンタの帽子をかぶせたり、自らトナカイの角がついたカチューシャを付けたりしている。
クリスマスイブに来店する客といえば、会社以外に行くところが無く寂しさを紛らわせたい男か、もしくはホステスとの "あわよくば" を期待した下心丸出しの男くらいだ。
こういうイベント時はトラブルも起こりやすい。本来なら店長に任せたいところだが、そういったことを考えると休むわけにもいかず、真島はクリスマスイブとクリスマスだけは例の件は忘れて、支配人としての責務を果たすことにした。ただ、残念ながらクリスマスを楽しめるような心情ではなく、真島は客に呪詛をかけるかのように「いらっしゃいませ」とホールを回る。
忙しい中で佐川に教えられた西谷の事務所に行ってみたが、事務所には誰もおらず、時間や日を改めてみたものの無駄足に終わった。どちらにしろこうなる運命だったが、楽しそうにしている客を見ているだけで殴りたい気持ちになった。
しばらくしてホール全体に歓声が沸き起こった。赤のワイシャツにモスグリーンのジャケットを着たバンドが登場し、真島の視線は自然と美流に移動する。美流はモスグリーン一色のシックなAラインドレスを着ていた。腰にあるワンポイントのリボンが可愛らしく、美流に良く似合っていた。濃紅色のマニキュアに塗られた指が優雅に動いてクリスマスソングを奏でている。

「支配人、最高の演奏だね! 今年はいいクリスマスだ」
「ありがとうございます」

人間というのはどうしてこうも雰囲気に呑まれやすい動物なのか。
バンドの演奏を聴いて、美流の演奏を聴いて、クリスマス気分に浸っている強欲な客たち。自分はここで金を稼がされ、本当は心ゆくまで聴いていたい美流の演奏を聴くこともできない。そしてピアノを演奏している美流は仕事が終わると自宅ではなく、埃の積もった暗く狭い倉庫に帰らなければならない。
美流は今、どんな気持ちで陽気なジングルベルを弾いているのか。





「ただいま」

誰もいない部屋に向かって挨拶をする。残念ながら今は使われなくなったソファやスツール、脚立、段ボールなどが置かれた埃っぽい倉庫が我が家だ。
真島に言われたとおり、美流は真島が知り合いに頼んで用意したという倉庫に帰ってきている。ここに来る前に銭湯で汗を流し、コンビニで小腹を満たすゼリーと飲み物を買う。幸い倉庫があしたば公園の近くということもあり、トイレには困っていない。最悪は自宅に戻ってすればいい。
倉庫には真島が用意したポータブルストーブやランタン、毛布などがあり、少し肌寒いが十分休むことが出来る。早速ストーブのスイッチを入れ、ランタンを灯すと、美流の影がコンクリートの柱に大きく映し出された。
煌びやかなグランドのステージ上から客の顔はあまり見えない。でも真島が一人一人に挨拶をしながらテーブルを回っているのは見えた。
身体は大丈夫なんだろうか。ノートパソコンはどうなったんだろう。
真島のことを考えながら緑色のソファに座り、買ってきたグレープフルーツゼリーを袋から取り出そうとした時、倉庫の前で大きな車が止まる音がして、美流は慌てて立ち上がり身構えた。
コツコツと足音が近づき、扉の前で止まる。回りかけたドアノブが躊躇ったように一瞬止まったが、ガチャリ、という音とともに扉が開いた。
現れたのは、両手にビニール袋や紙袋を下げた真島だった。

「ま、真島さん!」
「はぁ、やっぱり暗いのぅ。ミルちゃん、こんなとこで過ごしてもろてほんまにすまんな」
「ここには来れないって……」
「倉庫を借りた知り合いに頼んで、荷物運んどるフリして連れてきてもろた。佐川の連中にはつけられてへんから安心せぇ」

テーブル代わりに寄せ集めたいくつかのスツールに、真島は袋の中身を取り出してどんどん置いていく。クリスマスケーキワンホール、オードブル、シャンパン。スノードームはグランドのテーブルに飾られていたものだ。

「どうして」
「クリスマスイブやで? ミルちゃん一人ぼっちにしてここでゼリーなんか食わせられんわ。俺らにもクリスマスを楽しむ権利、あるやろ? さ、一緒にお祝いしようや。……相手が俺で申し訳ないけどな」

二人はソファに座り、さっそく真島はグランドから持ってきたシャンパングラスを取り出して美流に持たせる。

「酒が飲めへんミルちゃんにはちゃぁんとシャンメリー買うてきたで」
「ありがとうございます。ただ、今日はシャンパンが飲みたいです」
「身体、大丈夫なんか?」
「真島さんと同じもの、飲みたいです」
「ええで。ほな、一緒に飲もか」

それぞれのグラスにシャンパンが注がれ、二人は「乾杯!」と声を揃えてグラスを合わせた。美流の身体をしばらく口にしていなかったアルコールの香りが満たして、久々の感覚に美流は天を仰いだ。

「美味いか?」
「はい、とても!」
「そう言ってもらえると俺も嬉しいわ〜。グランドからパクってきた甲斐あったで! さ、オードブルも食べや! 俺も食うで〜!」

真島も美流も何もかもを忘れて、いつまでサンタクロースを信じていたかや、小さい頃に貰ったクリスマスプレゼントのこと、最悪なクリスマスの思い出など他愛のない話をした。時間を忘れた二人の笑い声が倉庫に響く。
オードブルを食べ、ケーキを食べ、真島が何杯目かのシャンパンを飲み干した頃、美流が「そうだ!」と何かを思い出したように席を立ち、倉庫の奥から何かを持ってきた。

「真島さん、見てください」
「なんやそれ? おもちゃのピアノか? 山形のやつ、店でこんなモン使うてたんか」
「使えそうな物を探してたらたまたま見つけて。ちゃんと音も鳴りますよ」
「ほな、何かクリスマスの曲弾いてくれや」
「いいですよ。じゃあ、グランドで弾いてない曲!」

スツールの上にピアノを置くと少し低くて弾きにくい。美流はソファの上にピアノを置いて床に座り込んだ。真島も美流の隣に座り、小さな鍵盤を覗き込んだ。

あなたから Merry Christmas
私から Merry Christmas 
Santa Claus is coming to town

オルゴールに似た可愛らしい音色に合わせて美流の優しい歌声が聴こえる。少し酔ったのか、頬を赤く染めた美流の顔をランタンが照らしていて、真島はその横顔を見つめるが、もっと見たいのに美流の頬に掛かった髪が邪魔をしてもどかしい。
自然と真島の手が伸びて、顔を隠している髪を指で掬ってそっと耳に掛けてやると、ピアノの音も歌声も止んだ。美流の潤んだ視線が真島の視線とぶつかった。

「歌も上手いんやな」
「真島さん」
「ずっと、ミルちゃんの声、聴いてたい。誰にも、奪われたない」

美流に吸い寄せられるように、ゆっくりと真島の顔が近づいて、お互いの鼻先が触れそうになった時。

「なぁ……、俺のこと、好きか?」
「まじ、ま、さん」
「グランドの支配人やのうても、好きになってくれるか?」
「私は」
「俺がしょうもないヤクザでも、好きでいてくれるか?」
「どんな真島さんでも、私は、真島さんが好きです。前からずっと……」

お互いの存在を確かめるようにそっと重ねた唇は、柔らかくて熱っぽい。
チュッと音を立てて唇を離すと、美流の震えた吐息が聞こえた。

「ミルちゃん、好きや」

真島は美流を腕の中に閉じ込めた。
ランタンのオレンジ色は、一つになった二人を優しく照らしていた。

prev / next



◆拍手する◆


[ ←back ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -