黒のアバンドーネ | ナノ


▼ 13:夜に溶ける黒と赤

病室の壁が白いせいか、夜だというのに閉められたカーテンを突き抜けて外光が差し込み、隙間から窓の外を眺めている真島を薄っすらと照らしている。
真島は西谷から聞いた話を必死に整理しようとしていた。ノートパソコンは手元にある。素直に渡せば佐川との約束は果たされる。しかし、これは美流の父親である上月巧の所有物でパスワードが掛かっている。そのことを知れば、佐川は徹底的に上月のことを調べ上げるだろう。
西谷が言ったすべてが本当かどうかはわからない。でもあの場面で嘘をつく理由もない。もしすべて本当だとしたら、佐川が美流の素性に辿り着くのは時間の問題だ。真島はどうしたらいいのかと窓の縁に手を突き、背中を丸め首を垂れた。
その背中をそっと目を覚ました美流がベッドから静かに見つめていた。真島は気づいていない。左腕には点滴の針が刺さっていて、強制的に入ってくる液体の圧で腕を捻られているような痛みがあるが、ナツメに叩かれた痛みに比べれば全く問題なかった。
他人に間違われた上に自分以外の女を『彼女』なんて言われれば、誰でも腹を立てて当然だと思う。でも、なぜナツメを追いかけるべき人がここにいるのか、と美流は真島に声を掛けられずにいた。
あの日見た時と同じ後ろ姿。夜が訪れている病室に浮かび上がる黒のシルエットが美しい。もっと見たいという衝動に気づかれないよう上体を起こしたが、シーツの擦れる音に真島が気づいて振り返った。

「ミルちゃん!」

美流が「真島さん」と呼び終わる前に、真島にきつく身体を抱き締められた。遠くにあった真島の香りと体温に包まれ、美流の頭は真っ白になった。

「辛い想いさせてしもた。……すまん、すまんミルちゃん。ほんまに、申し訳ない」

何もわからない。ナツメのことも、父親のことも、真島のことも。
ただ、こんなことになってしまったのは間違いなく自分のせいで、やはり自分は死神なのか、それとも災いをもたらす邪神か。そう思うと美流の目からは涙が止め処もなく溢れ、唇を震わせ嗚咽を洩らした。

「もう大丈夫や、大丈夫やから……。誰も信じんでええ、俺だけ信じたらええから。何があっても、俺が最後まで守ったる」

真島は腕の力をさらに強めて、自らの胸の中に美流を閉じ込めた。
触れているところから伝わる美流の体温。柔らかい髪が指の間をすり抜けるたびにふわりと香る花のような甘い香り。美流がワイシャツをきゅっと握った感覚に心臓が早鐘を打ち始め、真島はそっと身体を離した。

「ごめんなさい、私のせいで……こんなことに」
「ちゃう! それは絶対にちゃうで! ミルちゃんのせいやない!」
「でもあの男が言っていたとおり私は、上月美流です。父がヤクザだったのは、知らなかったけど……」

息を整えて必死に現実と向き合おうとしている美流はとても苦しそうで、真島は無理しなくていいと再び美流をベッドに寝かせて肩まで布団を掛けてやり、丸椅子に腰を下ろして点滴のために布団から出ている美流の左手を握った。その手は驚くほど冷え切っていて、真島は握る手に力を込めた。

「今は何も考えんとゆっくり休まなあかん。明日、何もかも話したる。今日起こったことも、俺のことも全部。……聞いてくれるか?」
「……はい」
「ほな、今日はもう寝たほうがええ。俺はここにおるから安心せぇ」

それを聞いた美流は驚いた声を上げ、慌てて起き上がるとダメだと激しく首を横に振る。

「な、なんでや?」
「だって真島さん……ナツメのところに行かないと」
「は? ナツメちゃん?」

真島は美流の言っている意味がわからず、何か仕出かしたかと頭をフル回転させた。その様子を美流は憂いに沈んだ表情でしばらく見つめた後、言いにくそうに口を開いた。

「真島さん……ナツメと付き合ってるんですよね?」
「はあっ? 一体どないしたら俺がナツメちゃんと――」
「病院の帰り、見たんです。毘沙門橋のところで……」

あぁ、あの日のことだ。真島は思いきり自分を殴ってやりたい気分だった。やはり断るべきだった。好きでもない女と腕を組んで歩き、興味のない話に愛想笑いをして、傍から見れば付き合っている男女に見えて当然だ。

「ナツメちゃんとは付き合うてないねん」
「で、でもっ、でも……、一緒に腕を組んで、楽しそうで……」
「告白されたんや」
「じゃあ――」
「断った。せやけど『1回デートしてくれたら諦める』言われてしもて……その結果がアレや」

真島は申し訳なさそうに後頭部を掻きながら「誤解させてしもたな」と謝った。
鉛のように重たい哀しみの鎖に縛られて、流した涙のプールに沈んで溺れそうになっていた日々は一体なんだったのか。一瞬そんな想いが美流の頭を過ったが、心を縛り付けていた鎖は再び強く打ち始めた鼓動によって砕け散った。ドクン、ドクンと全身に心音が響き始めて、どんどんそれは大きくなっていく。

「本当に、そう、なんですか?」
「俺は誰とも付き合うてへん。せやから……安心せぇ」

真島の言葉が一際美流の鼓動を速め、顔が一気に紅潮していくのがよくわかる。
美流は震えそうな声に無理矢理張りをもたせて「おやすみなさい」と真島に告げると、薄暗い病室の中では見えるはずもない紅く染まった顔を隠すように、ベッドの中へと潜っていった。

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