黒のアバンドーネ | ナノ


▼ 10:廻り出した運命の歯車

まさか久しぶりに食べる朝食が美流の手料理とは。鶏と生姜のお粥に卵とネギのスープ、デザートにフルーツヨーグルト。食欲が無ければ無理して食べなくていいと言われたが、お世辞抜きに美味しくて真島はあっという間に平らげてしまった。
その後に飲んだ薬が効いたのか、ひと眠りして起きてみれば身体の怠さはすっかり無くなり、大きく伸びをして真島はベッドから抜け出ると、乱れた布団を整え、脱いだワイシャツを手に取る。部屋を出る前にぐるりと中を見回してしまうのは男の性か、それとも名残惜しさか。

「じゃあミルちゃん、ホンマに迷惑掛けてしもてすまんかったな」

熱が下がり、いつまでも美流の部屋に居るわけにもいかない。玄関に揃えられた靴に両足をおさめた真島を心配そうに美流が見送る。

「お仕事、本当に行くんですか? まだ本調子じゃないのに……」
「もう大丈夫や。美味い朝飯食わしてもろて、身体中にエネルギーが漲っとるわ! この埋め合わせは必ずさせてもらうで」

またあとでと玄関を出ようとした時、美流から「これ」と紙袋を渡された。中を見ると、薬や栄養ドリンクの他にいくつかのタッパが見える。

「お口に合うかわからないんですけど……、日持ちする物を作ったので、食べてもらえたら嬉しいです」
「わざわざ、作ってくれたんか?」
「朝ご飯、食べないって言ってたから……。本当に無理だけはしないでくださいね!」
「ああ、約束する。けど、それはミルちゃんも同じやで」

真島は美流にお礼を言って、自宅へと戻った。



夜になり、グランドは今日も客で賑わっている。
真島がステージに目をやれば、美流がいつものようにピアノを弾いていて、今朝のことは夢だったのではないかと思ってしまうほど何も変わっていない。変わったことといえば、今日は美流が寂しそうな曲を弾いていないことだった。

(結局ミルちゃんにあの曲のこと聞きそびれてしもた。また今度のお楽しみっちゅうことやな)

常連客に挨拶をしながらホールの様子を確認していると、後ろから声を掛けられた。聞きなれた声にウンザリしながら振り返れば、ボックスシートにどっかりと腰を下ろしてウィスキーを飲んでいる佐川の姿。

「支配人! 今日も繁盛してるねぇ!」
「……ありがとうございます」
「あのさ、相談したいことがあるんだけど。ごめんね、ちょっと支配人と二人で話したいんだ」

付いていたホステスを席から外し、佐川はどうぞお座りください、とわざとらしく丁寧に真島に座るよう促した。

「昨日家に帰らなかったそうじゃない。どこ行ってたんだ?」
「……帰られへんかったんや。客足が伸びとる分人手が足りん。やらなあかんことが山積して泊まり込んでやっとったんや」
「へぇ、そりゃ大変だねぇ。でもおかしいなぁ、組のモンがさぁ、真島ちゃんがフラフラ歩いてたって言うんだよ。で、どこ行ってたの?」
「そ、そら飯くらい食いに行くわ」

冷や汗が一筋、真島の背中を流れていく。自分のことはどうでもいいが美流を巻き込むのはまずい。強引にでもここにいたことにしなければ。

「まぁ、腹は減るだろうなぁ。その後ちゃんとここに戻ってきたの?」
「ああ」
「本当に?」
「しつこいで!」
「……それならいいんだ。いや、途中で真島ちゃんを見失ったって言うんでさ、見張りとしてそいつ失格だろ?」

言い方からしてたぶん殺したのだろう。薄ら笑いを浮かべながら煙草を吹かす佐川を横目に、真島は胸を撫でおろした。バレていない。
話はそれだけかと席を立とうとすると、本題はこれからだと言われ、浮かした腰を再び下ろす。

「ちょっとお前に頼み事があるんだよ。やってくれたら、売上金を5億から3億に下げてやってもいいし、嶋野の兄弟にもお前のことを話つけてやってもいい」
「ここでする話ちゃうやろ。客に聞かれたら――」
「神崎ちゃんが一生懸命演奏してくれてるだろ? 聞こえねぇよ、すぐに終わる」

可愛いなぁと美流に厭らしい視線を向けている佐川を見て、思わず握っている拳に力が入った。
依頼は "夜翔烏" と名乗る密売組織に盗まれたノートパソコンを取り返すというもので、中には重要なデータが入っているらしい。

「金払ったほうが早いんちゃうんか?」
「じゃあお前、そうですかって10憶払えるか?」
「10憶?!」
「それだけ重要なモンだってことだ。奴らは金になるものは何でも奪って何でも売る」
「……ホンマに、極道に戻れるんか?」
「お前の運命は俺の手の中だ。やるしかない、わかるだろ?」

拠点は不明だが、蒼天堀にある雀荘にその組織の1人が来ているらしい。期限は1週間、手段は択ばず物が戻ればそれでいい。
佐川はウィスキーを飲み干してグラスを置いた。話が終わったタイミングでバンドの演奏も終わる。

「いやぁ、いい演奏だった。さすが神崎ちゃん! グランドの名ピアニストだ」
「……」
「真島ちゃんさぁ、彼女とはもうヤったの?」
「……なんやと?」

真島は怒りと狂気の目を佐川に向ける。佐川は冗談だよと喉の奥でくつくつと笑った。

「でもよ、俺なら他の奴に取られないように唾付けとくけどな」

じゃあよろしく、とテーブルに電話番号が書かれた紙を残し、佐川はグランドを出て行った。
バンドは次の曲を演奏し始める。メインは美流のピアノで、真島はしばらくそこから動くことができずに美流の姿をただ見つめていた。

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