黒のアバンドーネ | ナノ


▼ 09:朧気シルエット

美流の予定がないことを確認して、真島はすぐに馴染みの神味庵に予約を入れた。
昨晩のことがあったばかりで正直美流は乗り気ではなかったが、ナツメに見つからないよう、細心の注意を払って一人先にグランドを出て店に向かった。真島から一緒に行こうと言われたが、寄りたい所があるからと上手い理由をつけてやんわりと断った。
店内に入ると明らかに高そうな雰囲気。高級割烹料理店のカウンターで一人待つ美流はそわそわと落ち着かない。そんな美流に店の主人が気遣って玉露を出してくれた。甘みと渋みのバランスが良い。
お茶をゆっくり喉に通しながら、昨日ナツメに言われたことを悶々と考えていると、タイミングよく真島がお店にやってきた。

「ミルちゃん……、待たせて、しもたなぁ」

真島が美流の許へと歩き出した途端、ぐらりと身体が揺れてその場に頽れた。色白の顔は赤く上気しているのに、身体は水を浴びたかのように震えて呼吸が荒い。美流は慌てて駆け寄り、真島の額に手を当てると燃えるように熱かった。

「すごい熱……」
「久々に、やらかしてしもた、わ」
「大丈夫ですか? 真島さん!」

高熱で意識が朦朧としているのか、目は虚ろで今にも閉じてしまいそうだ。

「すぐに救急病院に――」
「行かんで、ええ」
「で、でもっ」
「ただの風邪や……。ええ、から」

頑なに病院を拒む真島に困っていると、店の主人がタクシーを手配してくれた。滅多に体調を崩さない人が風邪を引くと重症化すると聞いたことがあるが、きっと真島がそうなのだろう。
すぐに到着したタクシーに運転手の手を借りて大きな身体を車内に乗せると、美流は迷わず行き先を告げた。もう行くところは一つしかない。

「あしたば公園までお願いします」

美流の家には十分もかからずに到着した。運転手と力の抜けた男の身体をなんとかベッドルームまで運び、着ていたジャケットを脱がせてベッドへと横たわらせた。

「この人、グランドの支配人さんだよね? 何度か乗せたことがあるから知ってるよ。相当疲れてるんじゃないかな。ほとんど寝てないみたいだし、そりゃ身体も壊すよ」
「そうですか……。これ、お釣りはいりません。ありがとうございました」

お礼を言って少し多めに運賃を渡すと、運転手はお大事にと言って自身の仕事に戻った。

「真島さん、頑張り過ぎです」

熱で意識が混濁しているであろう真島に声を掛けてみたが、返ってくるのは苦しそうな息遣いだけだ。
昨日は家に帰っていないと言っていた。蒼天堀ナンバーワンの支配人として、どれだけの重責を担っているのかは想像もできないが、多忙な日々に心身が疲弊していることだけはわかる。
布団を肩まで掛けてやり、氷枕を頭に敷いて濡らしたタオルを額にそっと当てれば、自分が眩暈で倒れた時のことを思い出す。どんな気持ちで真島は看病していたのだろう。病院には行かないという言葉を無視して救急車を呼ぶこともできたのに。そうしなかったのはこの人がグランドの支配人だから? それとも真島吾朗という男性だから?
そんなことを考えながら真島の顔をボーっと眺めていると、身体が横になり楽になったのか、荒かった呼吸が少し落ち着いてきた。その様子に美流は安堵してその場を離れる。

「ゆっくり休んでください。ちょっと買い物してきます」





沈んでいた意識が少しずつ浮かび上がるにつれて、熱を持った身体が鉛のように重く怠い。そんな不快感の中で香水のような花のいい香りと、鼻腔をくすぐる食事のいい匂いに慌てて上体を起こした。

「いっ……。どこや、ここ」

頭にズキンと鈍痛が走る。見慣れない部屋にまだ夢を見ているのかと頭を振るが、頭痛が増すだけだった。それでもなんとか手掛かりを探そうと辺りを見渡すと、ここがどこなのかわかるものが目に入った。

「電子ピアノ……? ここ、ミルちゃんの――」
「真島さん!」

真島が目を覚ましたことに気づいた美流が寝室にやってきた。真島は必死に昨日の記憶を辿ったが、神味庵に着いた後の記憶が思い出せず唸った。

「あ、あの、ミルちゃん……、俺……」
「昨日のこと覚えてますか? 真島さん、高熱で倒れちゃったんですよ!」
「熱?! ほ、ほな、俺が酔ってしもてミルちゃんと一緒に、とか……」
「えっ? ぁあ、あのっ、そ、そういうことじゃないです! ……それより、身体の具合はどうですか?」

美流はそうすることが当たり前のように真島の額に手を当て、熱を測るよう体温計を渡した。何も言えぬまま真島は大人しくそれを脇に挟む。5分程して見てみれば、水銀は38.0℃のところまで上昇していた。

「やっぱりすぐには下がらないですね。ご飯食べれそうですか?」
「いや、気ぃ遣わんでええ! これ以上ミルちゃんに迷惑掛けられヘん」
「迷惑じゃないですよ。ご飯食べて、お薬飲んで、熱がもう少し下がるまでちゃんと休んでください。また昨日みたいなことになったら大変ですから。汗かいてませんか? よかったらこれ着てください。お洋服のサイズがわからなかったので、一番大きいのを買ってきたんですけど……」

真島を寝かせてから、美流がドン・キホーテで買ってきた黒の長袖インナーと、ダークグレーのトレーナーを手渡す。

「わざわざ買うてきてくれたんか?」
「汗かいたままだと、身体が冷えちゃいますから」
「下はないんか?」
「し、下っ?!」
「フッ、冗談や。助かるわ」
「お食事持って来ますね。着替えて待っててください」

美流が部屋を出て行き、早速真島は真新しい服の袖に手を通す。自然と口元が綻んだ。

「……なんや、カップルみたいやな」

大きくなってきた鼓動を熱のせいにして、改めて美流の部屋を見渡す。
スパイラル柄のモノトーンのカーテン、薄いベージュの丸型ラグ、鉢植えの観葉植物、可愛らしい鳥の絵。

「オシャレさんなんやな。お、写真か?」

絵の隣に掛けられたコルクボードが目に入った。そこにはいくつかの写真が貼ってあり、美流が写っているものもある。

(ミルちゃんがちっさい時の写真か? 可愛えな。隣に写っとるのは父親かぁ。やっぱ女の子は父親に似るんやなぁ)

何気なくその写真を見ていてハッとする。

『あの目、どっかで見た気がするんだよなぁ』
佐川の言葉が思い出された。まさにそれは父親の目で、その父親は真島がまだ極道に入って間もない頃、遠くから一度だけ見た男の顔に似ている気がする。

「ま、まさか、な……」

ミルちゃんの父親が極道なんてことは……。

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