黒のアバンドーネ | ナノ


▼ 05:黒の中の光

「な、何言うとんねん」

真島は笑ってみせたが、美流は「本当なんです」と目を伏せて大粒の涙を零した。

「場所、変えよか……。兄ちゃん、帰るわ。釣りはいらん」

真島は万札を数枚テーブルに置き、俯いたままの美流の手を引いて店を出た。
たしか新聞で事件の記事を見たのは5日前、ということはジャズ喫茶の夫婦が殺されてから1週間ほど経過している。美流を辞めさせた後に殺されたのだろう。
蒼天堀に来てからこのニュースを知った美流はどんな思いでいたのか。

「すみません……。本当に、すみません」
「美流ちゃんが謝る必要ない。美流ちゃんはなんも悪ないで」

ありがとうございます、と美流は睫毛を濡らした瞳で優しく真島に微笑む。
その微笑みはあまりにも弱々しく儚いもので、思わず真島は美流に手を伸ばそうとしたが、「今日はもう帰ります」という言葉にその手を止めた。

「ご飯、美味しかったです。ありがとうございました」
「ち、ちょお待てや。おい、危ないで!」

真島から逃げるように美流は踵を返したが、すぐ後ろを歩いていたサラリーマンに気づかずに勢いよくぶつかってしまった。

「痛っ!」
「っ、なんやネェちゃん、後ろに人がおるくらい足音でわかるやろ! それともわざとぶつかったんか?」
「す、すみません! そんなつもりじゃ……」
「ええねんええねん、これくらい許したるわ。ただ、これからちょぉっとだけ付き合うてもらえればそれで──」

厭らしい笑みを浮かべたサラリーマンの手が美流の肩に置かれようとした時、美流の視界が真っ暗になって鈍い音と振動が身体に伝わった。

「……俺の女や。このまま大人しく消えんと怪我だけでは済まされへんで」

美流の目の前には真島の背中。頭を少し傾けてみると、立っていた場所から数メートル後ろで顔面蒼白になったサラリーマンが尻もちをついている。
彼は頓狂な声を上げて、一目散に人混みの中へと逃げて行った。

「大丈夫か?」
「……はい」
「すまんかったな、俺の女なんて言うて。ああでも言わんと──」

真島が話を終える前に「すみませんでした」と頭を下げて美流は一人帰ろうとする。
今度は迷うことなく真島は手を伸ばし、白く細い手首を掴んでそれを制した。

「何回すみません言えば気が済むんや? こないな時間に美流ちゃん一人で家帰せへん」
「でも」
「支配人命令や! 家まで送ったる。どこや?」
「……あしたば公園の向かいにあるマンションです」
「わかった。帰るで」

二人は無言で歩き出す。歩くスピードをお互い合わせながら、声をかけてくるキャッチや酔っぱらいを真島が追っ払う。
ネオンの海の中では黒いジャケットとスラックス姿の真島がよく見えて、美流は逸れてしまわないようにその背中をずっと見つめて歩いた。
15分程であしたば公園まで辿り着き、美流が何度目かのすみませんを言おうとする前に真島が口を開いた。

「なあ、まだ少し時間ええか? 理由教えてくれや。死神言うた理由」

頷いた美流をベンチに座らせ、真島は近くの自販機でコーヒーとオレンジジュースを購入して「どっちがええ?」と美流に選ばせた。美流は無言のままオレンジジュースを指さしたのでそれを手渡す。

「まずは乾杯せな。歓迎会の続きや」

カチンと缶を合わせ、真島はごくりと喉を鳴らしながらコーヒーを飲んだが、美流はぽっかり開いた缶の飲み口をじっと見つめている。そして視線をそのままに消え入るような声で「たくさんの人が死にました」と項垂れた。

「それは美流ちゃんのせいやないやろ」
「祖父はずっと昔ですけど、祖母は私が北海道に渡ってから、父は2か月前に。そして今度はマスターと奥さん……」

ぎしり、とジュースの缶が歪む音がした。
グランドで働き始める2日前に警察から事件のことで事情聴取を受けたという。

「喫茶店をクビになってナツメに電話をした時、蒼天堀で仕事をしてるって聞いたらどうしてもこの街に来たくなって……。父の面影が残ってそうな気がしたんです」
「せやったんか」
「それなのにこんなことが起きて、私に関わった人たちが次々と死んでしまって。今度はナツメや支配人を殺してしまうんじゃないかって……」
「それで死神言うたんか」

夜の黒が公園を包み込んでいるはずなのに、美流の流す涙の粒がはっきり見える。真島は一言泣くなや、と言って美流の頭を優しくポンポンと撫でた。

「なあ、美流ちゃん。空見てみぃ」
「空、ですか?」
「せや。蒼天堀の夜空は真っ暗で穴が空いとるように見えるやろ? でもよーく見てみ。あそこに星が光っとる、わかるか?」

泣き腫らした顔で美流は言われたとおり空を見る。指差されたところには薄っすらと瞬いている小さな光。

「真っ暗闇の中でも目ぇ凝らせば必ず光はある。大切な人が死んで辛い気持ちはようわかる。けど、これからここで新しい人生始めるんやろ? 過去を悲しんでも何も変わらん。美流ちゃんは死神でも何でもあらへんで。俺にとって美流ちゃんは大切な仲間や。ナツメちゃんも俺も死んだりせえへん。せやから安心せぇ、な?」

真島が再び美流の頭を優しく撫でて顔を覗き込むと、暗い公園の中、濡れた瞳でまっすぐ見つめる美流の視線と交錯した。
慌てて真島が視線を外すと、美流も手にしたまま口にしていなかったオレンジジュースを一気に飲んだ。

「落ち着いたか?」
「……はい。支配人、今日は本当にすみませんでした」
「はぁ、またや。その "すみません" は美流ちゃんの悪い癖やで。ちなみに支配人も禁止や」
「え?」
「グランド出たらもう支配人ちゃう。それにこう見えても俺、有名人なんやで。飯食うてる時に支配人言われたら、ヘンな事考えて近寄うてくる悪い奴もおるからな、仕事以外の俺は "真島吾朗" や」
「で、でも……」
「美流ちゃんて意外とガンコやな。せやったら、美流ちゃんベル持っとるか?」

真島はポケットに無造作に入れていたポケベルを取り出して、美流と番号を交換したいと申し出た。

「今度、飯誘うわ。せやから今から俺たちは、友達やで」

真島がそう言うと美流は嬉しそうに頷いた。
心から頼れる人はナツメくらいしかいなかったし、自ら友達になろうと言ってくれた人は人生で真島が初めてかもしれない。美流は快く真島に番号を教えた。

「ほな、これから美流ちゃんのこと、なんて呼んだらええ?」
「えっ?! 私は今のままで構いませんけど……」
「あかん! 美流ちゃんだと仕事もプライベートもごっちゃになるやろ。あだ名とかないんか?」
「き、急に言われても……、今まであだ名で呼ばれたことないから」
「ほんなら……ミルちゃんやな」
「ミル、ちゃん……」

嫌なんか? と聞かれた美流は照れくさそうにいいですと頷いた。

「なんや熱く話しすぎて時間遅うなってしもた」
「大丈夫です。今日は、本当にありがとうございました……真島さん」
「ああ、ほなまた明日な、ミルちゃん」

真島は美流がマンションに入るまで見送った後、近くの電話ボックスに立ち寄って早速教えてもらった番号にメッセージを送った。

『0833(おやすみ)』

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