黒のアバンドーネ | ナノ


▼ 02:音楽でできた女の子

翌日。
2時間早く出勤した真島は、ステージに一番近い席でバンドマスターの岡と共に二人の到着を待っていた。
これから来る女の子はどんな子かと聞かれたが、知っているのは神崎美流という名前と、ナツメから聞いた彼女の身の上話だけだ。それも幸せとは言えない過去。
俺も会うとらんからわからん、とだけ真島は答えた。

「なぁ岡チャン、ピアニストは二人おってもええもんなんか?」
「通常は一人です。ただ、実はピアニストの瀬川から身体を壊して近々バンドを辞めたいって話がつい先日あったんです。入院するらしくて。支配人にお伝えしようと思っていたらこの話が……」
「せやったんか。ほんならもう決まりやろ」
「その子の実力がどれ程なのか見てみないことには決められません」

グランドは夜17時に店がオープンし、平日は23時、金土日祝日は24時まで営業している。バンド内で交代しながらといっても長時間演奏せざるを得ないし、蒼天堀一賑わう店ともなると客からのリクエストも様々で、美流がグランドで通用する体力と技量を持ち合わせているのかが問題だった。
美流がバンドでやっていけるかという話から、どんな容姿なのか、どんな女だったらいいか、という内容に話が脱線しかけた時「お待たせしましたー!」と大きな声がホールに響いた。

「おう、ナツメちゃん、待っとったで。ほんでアンタが……神崎美流ちゃんやな」

ナツメの隣に立つ美流は、今時の女性ではなかった。
トサカのように前髪を立ち上げたり、ソバージュにはしていない。アイメイクも口紅も濃くないし、どぎつい香水の匂いもしない。髪は肩までのストレート、薄化粧でも顔は整っているし立ち姿も美しい。
今まで接したことのない素朴で真面目そうな女、というのが真島の第一印象だった。

「ほな、早速始めよか。そこ座り」

美流は「失礼します」と真島の正面に座り、ナツメも美流の隣に座った。

「支配人の真島や。こっちはバンドマスターの岡や」
「よろしく」
「神崎美流です。よろしくお願いします」

ナツメの話を信じていないわけではないが、本人から諸々の事情を聞きたいと思っていた真島は、何も知らないフリをしてグランドで働きたい理由や今までの経歴などを質問し、それに美流は何一つ隠すことなく話をした。

「昼はジャズ喫茶で夜はジャズバーかいな。大変やったやろ?」
「小さい店でしたし、好きでやっていたので楽しかったです。なので長時間ピアノを弾くのも大丈夫です」
「そうか。ほな、早速弾いてもらおうかのう。岡チャン、俺わからんから頼むで」

岡は用意していた楽譜を3枚美流に手渡して、これを弾いてくださいと指示する。

「もし譜読みする時間が欲しければ――」
「いえ、大丈夫です」

楽譜に目を通しながら、美流はステージにあるピアノへと向かった。

「5分も経っとらんで。こんな短時間でホンマに弾けるんかいな?」
「ひ、弾けたらすごいですね……。そこそこ難しい曲の楽譜も渡したんですけど」
「美流〜! 頑張って!」

ナツメの応援に美流はニコッと微笑んだがすぐ真顔になり、深呼吸をして呼吸を整えると鍵盤に指を滑らし始めた。何かのスイッチが入ったように身体を前後左右に揺らしながら、情感を込めてひとつひとつの音を奏でている。

「ナツメちゃん、あの、美流ちゃんて二重人格っちゅうことはないよな?」
「昔からピアノを弾くとああなるんです。唯一感情表現できるのがピアノを弾いてる時で、何もかも忘れられるって……」
「そうなんか」

美流の表情は幸せそうでもあり、苦しそうでもあり──
真島は美流の表情に目が離せなくなっていた。

「すごいです支配人! 神崎さん、独学なんですよね? 音大出てないんですよね?」
「っ、アホ! 急にデカい声出すなや! 本人がそう言うてたやろ」

楽譜どおりに弾いていた美流が徐々にコードを変えてアレンジを加えて弾いている! しかも初見では難しい曲も完璧に弾きこなしている! と岡は一人で興奮しているのだが、もちろん真島にわかるはずがない。

「シャレた曲弾いとることくらいはわかるんやけど……なぁ美流ちゃん、俺でもわかる曲、一曲弾いてもらえんやろか?」

真島はすべての楽譜を弾き終えた美流に漠然としたリクエストをしてみた。実際にそういうリクエストをする客がいるからだ。
笑顔で頷いた美流はほんの少し考えて再びピアノを弾き始めた。

「え……これって……」
「なんや? 俺にはシャレたジャズにしか……んん?」

前奏ではよくわからなかったが、よくよく聞いてみると──

かえるのうたが
聞こえてくるよ
ぐゎぐゎぐゎぐゎ
げろげろげろげろ
ぐゎぐゎぐゎ

「岡チャン! 絶対このかえる、どエラいええとこのかえるやろ!」
「支配人、そこですか?」

知っている曲と言われてかえるのうたを弾いたことにツッコむべきじゃ、と岡は心の中で思ったが、真島がキラキラした表情で戻ってきた美流を褒め称えていたので、その言葉は出さずにグッと呑み込んだ。
美流は不安そうな表情でどうでしたかと確認する。

「岡チャン、どや?」
「もちろん、文句なしです! ぜひうちのバンドで一緒に演奏して欲しいです」
「岡チャンの折り紙付きなら安心やな。凄腕の美流ちゃんがグランドで働いてくれるんなら俺も大歓迎や。ただし……」

ここにはいろんな客が来る。ええ客も悪い客も来る。嫌な思いをすることもある。身体もしんどくなる。それでも頑張れるか?
真島からの最後の質問に美流は今日一番の嬉しそうな笑顔で大きく頷き、お願いしますと一礼して、良かったねと涙を浮かべているナツメと抱き合った。
そんな美流に真島は声をかけた。

「ようこそ、キャバレーグランドへ」

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