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「リヒト、俺だ」

何回かノックしてみたものの、いっこうに開かない扉にしびれを切らして声をかけてみた。が、やはり返事がない。だから余計急に心配になってしまって、事前にカウンターで借りておいたスペアキーを使って扉を開ける。

部屋は真っ暗で慌ててキーを差して明かりを付けると、テーブルの上には手つかずの朝食と昼食が置いてあるではないか。なんだってこう、余計不安にさせるような演出するんだ。
足早に色んな部屋の扉を開けては、姿が見当たらないことに心臓がばくばくと音を大きくしてゆく。期待と落胆をものすごい早さで繰り返して最後に行きついた先は、ベランダへ続く開け放たれた大窓だった。白いカーテンが夜風に揺れる中、駆け足でベランダへ飛び出る。

「……どうしていないんだよ……っ!」

ベランダに出てからも辺りを見回してみたが、やっぱりいない。どうして。いったいリヒトは、どこへ行ってしまったんだ。まさか誰かに連れ去られたわけではあるまい。いやでも、今でもハーフを狙って暗躍しているヤツもいるし、……まさか、そんな。

「リヒト……」

やっぱり俺が急ぎすぎて、初回チャンピオン戦なんて大衆の目に触れるところにリヒトを出してしまったのが間違いだったのか。
……ただ俺は、早くリヒトがみんなに認めてもらえて街中でもあんなフードを深く被らずとも堂々と歩けるように、人目を気にすることなく楽しんでほしいだけなのに。
──どうしてこうも空回ってしまうんだ。

「……あれ、アヤト?」
「っおわ!?」

凹む手前、別の場所を探しに行こうと振り返った瞬間、真後ろにリヒトがいた。気配が全くなかったし、そりゃもうめちゃくちゃ驚いて思わず腰を抜かしそうになった。仰け反った勢いを利用して、逆にリヒトに覆いかぶさると困惑の声が聞こえる。

「波動がすごいことになってるけど、どうしたの?」
「……どうしたもこうしたも、全部お前のせいだ馬鹿ヤロー」
「え、おれ?」
「ッそうだよ!今までどこ行ってたんだよ!?飯も食ってないから心配したんだぞ!?」

両肩に手を乗せて怒りも込めて揺さぶると、きょとんとした表情のまま残されたままの飯の方を指さして言う。

「バトルの練習にチャンピオンロードへ行っていたんだ。おれ、ちゃんとメモ書いておいたんだけど」
「っんなの見てねえよ……」
「"誰かに連れ去られちゃったかもー"とか思った?あはは、まさか、お姫様でもあるまいし」
「腹立つなあ。ロロの悪い影響がリヒトにも出てるじゃねえかよ」

あやすように俺の頭を優しく撫でる黒い手は無視して大人しく終わるのを待っていると、やっと離れてからリヒトが持っていたペットボトルを渡された。あ、これ、おいしい水の新作フレーバーだ。

「大丈夫だよアヤト。おれはもうどこにも行かないって、何度も言っているでしょう。それにもしもおれが捕まっても、絶対に助けてくれる王子様がいるしね」
「……はは。ひ弱な王子が助ける前に自力で戻ってきそうなお姫様だけどな。これ、ありがとな」
「どういたしまして」

受け取ったペットボトルを早速開けてひと口飲んでから、部屋へ戻るリヒトの後へ続く。チャンピオンロードのどの辺で何をしていたのかは知らないが、いつも羽織っている裾の長いマントは土埃まみれになっていた。その証拠に、リヒトが歩きながら脱いだマントや衣服がカゴに落とされるたびに、サラサラと土が落ちる音がする。

「ごめん、ちょっと待ってて。先にシャワー浴びてくる。泥だらけなんだよ」
「急ぎじゃないからゆっくりでいいぜ。あ、サンドイッチもーらいっ」
「冷凍庫にヒウンアイスが入ってるから、1個なら食べてもいいよ」
「よっしゃ、2個食おう」
「1個っ!!」

さすがに好物は譲れないらしい。すでに全裸になっているにも関わらず、わざわざ扉を開けて顔を出してまで叫ばれると、ますます食べたくなってしまう。うん、やっぱり2個食べよう。

手つかずの朝食だったサンドイッチを口に放り投げながら、改めて電子画面を開き、イオナからもらったメガシンカについての内容に目を通す。
確かに勝利を掴むために選ぶ手段としては最適かもしれない。しかし、しかしだ。……リヒトへかかる負担を考えると、やはり悩まざるを得ない。ただでさえリヒトは短命なのに、心身ともに大きな負荷を加えてさらに短くなってしまったらと思うと気が気じゃない。

「はあー……どうしようかなあ……」

メガシンカとはどういうものなのか。文章だけでは分からないことのほうが多くてものすごく悩む。どうもリヒトは、自身に無頓着すぎるところが多々ある。少しぐらい自分の心配をしてくれるのなら、俺もこんなに悩むことなく相談できると思うけど……。リヒトのことだ、きっと俺が話題を持ち掛ければ間髪入れずに頷くに違いない。

「あれ、まだアイス食べてなかったんだ」

頭を掻きむしっていると後ろからリヒトの声がした。……出てくるの早えーよ。
そっと電子画面を閉じてからなんとか普通を装ってみたものの、波動を読み取れるリヒト相手ではなんの意味もない。タオルで髪を拭きながら俺の横に座り、視線をこちらに向ける。

「で、どうしたの?おれに言いにくいことのようだけど」
「……あー、うん。じゃあ聞くけどさ、リヒトは"メガシンカ"って知ってるか?」

リヒトが手を止め、何を思ったのかサッと立ち上がるとベッドの方へ向かう。そうして再び戻ってきたリヒトの手には、分厚い本が握られていた。ソファに座りながら差し出された本のタイトルは「更なる可能性・メガシンカ」。……そうかあ……先回りされていたのかあ……。

「もちろん、おれは賛成だよ。一緒に頑張ろうね、アヤト」
「いやちょっと待ってくれ!お前、よく内容は読んだのか!?確かにすごい力は手に入る、でもその反動は絶対に大きい!ちゃんと分かってるのか!?」
「もちろん分かっているよ。だからアヤトがおれに言うのを躊躇っていたんだよね」
「…………」

何か言おうとしたものの言葉が何も出てこなくて、なんとなく落とした視線の先にあった分厚い本からはみ出している伏せんの貼られているページを開く。そこにはルカリオがメガシンカした姿の写真と細かい文章が沢山書かれていた。太字の反動のところにも伏せんが貼られていて、これでもう本当に何も言えなくなってしまう。

「心配してくれてありがとう、アヤト。でももう、決めたから」
「…………」
「言っておくけど、こうみえておれだってすごく悩んだんだからね。おれにあとどれだけの時間が残されているか分からないけれど、そう長くないことは確かだ。なのにそれを自分で短くするようなことをして本当にいいのかって。考えて考えて、で、結局残り時間を短くしてでもやりたいことはやっておこうと思ってさ」
「……メガシンカ、したいのかよ」

本を閉じて前にあるテーブルへ静かに置きながら訊ねると、リヒトがゆっくり頷く。

「今度こそ堂々とスタジアムに立って、おれたちが勝利する瞬間を観客に見せつけてやりたいからさ」
「強がってるわけじゃないよな?」
「もちろん。確かに、まだおれに向けられる沢山の視線や負の感情は少し怖いけれど……でも、アヤトがいてくれるから。アヤトが一緒に戦ってくれるなら、何度だってあの場に立って戦える」

心底、リヒトは強いなと思う。俺だったら誰が一緒にいてくれようが、一生、人前には出たくないと引きこもっているところだ。あの短い時間でもトラウマになるレベルだった。にも関わらず、リヒトはこんな感じだ。なんというか、……やっぱ心配しすぎていたかもしれない。余計な気を遣っていた気がする。

「……よし、分かった。決まりだ。明後日からカロス地方へ行くぞ。絶対メガシンカを習得するからな。でもリヒト、いいか、無理は絶対にするな!絶対だ!!」
「……あー……うん、わかった!」
「おい、全っ然守る気無いな?」

長く青い耳を引っ張ると、尻尾で脇腹あたりを叩かれた。また対抗して今度は尻尾を両手で鷲掴みにしてみたものの、またもや力づくで離される。くそー、見た目ひょろいし俺より筋肉なさそうなくせして怪力とかなんなんだ。
仕方なく諦めて、冷凍庫からヒウンアイスを取り出した。数はもちろん3個だ。

「1個だってば!」
「やだね、2個食ってやる」

アイスごときでドタバタと部屋を暴れまわる男2人とか、絶対に詩がいたら白い目で見られるに違いない。そう思いつつも実際今ここに詩はいないから、遠慮なく争うことにした。


 


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