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勝てない。どうしても、勝てない。
今回が2度目の挑戦だった。前回はあと2体、そして今回はあと1体倒すことができれば、めでたくイッシュ地方チャンピオンになれたのだが。……想像していたよりも、伝説ポケモンの壁は高かった。飛び越えることもぶち壊すことも容易くないことは重々承知していたものの、今回初めて本気で戦ってやっとあのドでかい白い悪魔を知った気がする。そう、気がするだけで、まだ真の怖さを実感していないのは俺もすでに分かっている。

「今日のはきっとお遊び程度だろうね。マシロさんはあんなもんじゃないよ」
「だよなあ……はあ……マジかあ……」

ソウリュウシティのポケモンセンターの一室、VIPルームにある無駄にでかいテーブルに突っ伏しながらロロの言葉に思わずため息が漏れる。
─ジム戦を勝ち上がり全てのバッジを手にした俺たちは、四天王とチャンピオンへの挑戦権を手に入れた。チャンスは3回、そこで敗れると丸々2年間は挑戦できない仕組みになっているらしい。だから俺に残されているチャンスはあと1回。すでに長い時をかけてチャンピオン戦に備えてきたつもりだが、まさかここまで歯が立たないとは思ってもみなかったのが正直なところである。

「俺の指示、悪かったか……?」
「いや、少なくとも俺のときは的確だったよ。まあ、あえて言うならアヤくんがマシロさんに対して少し怖気づいてたことかな。いつもより若干指示が遅かったの、気づいてる?」
「……お前、意外と細かいとこ見てんだよなあ……」
「いやあ、そんなに褒められると照れちゃうよお」
「はっ。微塵も思ってないくせに」

本当は向かい側にある長い足を蹴り飛ばしてやりたいぐらいだが、ロロもまだ回復したてだし横目で見るだけにしておいた。ああ、そろそろイオナが祈たちのボールを持って戻ってくる頃かな。

「あとは言わずとも分かっているとは思うけど、リヒトくんを出さなかったことが勝負の分かれ目だったんじゃないかな」
「…………」

分かっているが、改めて言われるとついムッとしてしまう。ロロの表情を見るに、俺の感情はすでに顔に出ているだろうが言い返さないだけ大人になったと褒めてほしい。

チャンピオンに挑んだ初めての日、リヒトを出したのは間違いだったと今になって言葉にできないほど後悔している。
ハーフへの偏見が根強く残っているとはいえ、皆が一同に盛り上がるチャンピオン戦だ。多少の非難や冷ややかな視線は覚悟の上だったが、まさかあそこまでとは思ってもみなかった。会場が凍り付くあの空気と数多の射抜く視線に本人ではない俺ですら固まってしまい、結局負けた。得たものは微々たるもので、逆に華々しく登場して堂々と活躍するはずのリヒトを大きく傷つけただけだった。……完全に、俺のミスだ。

「ほら、また凹まない。前に凹みすぎて逆にリヒトくんを心配させたこと、覚えてないの?」

ロロが人差し指で俺の眉間を押しながら言う。すぐにその細い指を掴んで握るが、するりと抜けて逃げられた。……イオナが戻ってきて落ち着いたらリヒトのところへ行こう。

「覚えてるよ。ていうかこの話題だしたのお前じゃん。責任取って何か面白い話しろよ」
「無茶ぶりするねえ。じゃあ……この前アヤくんが隠れて読んでたエロ本が詩ちゃんたちに見つかった話とかどう?」
「え゛っ、ま、……っエエッ!?マジかよッッ!?」
「あはは!いつ言おうか迷ってたけど今言ってよかったー」

完全にロロだけが楽しい話だが、いや今はそれどころじゃない。ロロの話がマジだったら今すぐ地面に埋まりたい。てか詩ちゃん"たち"ってことは、祈にも見られたということなのか!?そうなのか!?ああああ今すぐ祈に弁解したいッ!!ロロから借りた本だと言い張りたいッッ!!いやでもそれではやっぱり俺が見たことに変わりないじゃねえかよお……アアッ!

「……アヤト、一体何をしているのですか。まさか負けたことから暴れているわけではありませんよね」

椅子から転げ落ちて床の上でのたうち回っていた俺は、その声でイオナが戻ってきたことを知った。両手で顔面を覆いながら転がっていたから、咄嗟に離して上半身を持ち上げ周りを見回しホッとする。今の醜態を祈に見られたらどうしようかと思ったわ。ボールに入っててよかったあ。

「アヤくんはね、隠していたエロ本が見つかってしまった恥から転がっていたんだよ」
「……聞いた私が愚かでした」
「そんな目で見ないでくれよイオナぁ!俺にとっては今世紀最大の危機なんだよぉ……!」
「ところで反省会はまだですよね」

俺のことは完全に無視して持っていた祈たちのボールをテーブルに置いたイオナが、簡易キッチンに向かいながら訊ねる。それにゆっくり頷きつつ、心を落ち着かせてから俺はボールのスイッチをすべて押してからベルトに戻す。そうしてみんな揃ったところでテーブルを囲んでいる椅子へ座った。
祈と一瞬目が合った。が、すぐ逸らされて悟る。……残念、俺。手遅れのようだ。いやでもまだ大丈夫。エロ本なんてかすり傷だ。そうだろう。そう思わないとやっていられない。

「さて、今回のチャンピオン戦についてだが、……」

バトルを終える度に、勝っても負けても反省会をするようになったのはいつからだろうか。始まりはもう覚えていないが、もはや恒例となっていた。これをやったからといって次も勝てるなんて決して思ってはいないけれど、やることに意味があると思いたい。
あれやこれやと出てくる意見をすべてメモしながら考えていたが、……やっぱり、チャンピオン戦にはリヒトが必須のように思う。が、現状、リヒトに頼っても勝てるかどうかといったところだろうか。

「ちょっといいかしら。提案があるのだけど」
「なんだよ、詩が発言するなんて珍しいじゃん」
「言っておくけれど、アンタのために教えるんじゃないから。これ以上、祈に負担をかけたくないから言うんだからね」
「分かったから、もったいぶらずに早く言えよ」

今日は詩が斜め向かい側に座っているから、何を言っても鼻をすり潰される心配はない。代わりに隣に座っているエネが相変わらずべったり俺の腕にひっついているが、まあ痛いよりはこっちのほうが良いか。

「アヤト、"メガシンカ"って、知っている?」
「メガシンカ?なんだそりゃ」
「"進化を超えた進化"……それがメガシンカ。トレーナーと強い絆で結ばれたポケモンに特定の条件下でのみ発現して、その後はそれ以前の姿に戻るの。メガシンカを遂げたポケモンは、通常の進化ではありえないパワーを発揮することができるようになるのよ」

メガシンカ……初めて聞いた言葉だ。説明だけ聞けば、手っ取り早く強くなれそうな最高の手段だが、どうも話がうますぎる。

「ただし、メガシンカするには"キーストーン"と"メガストーン"というものが必要なの。それにメガシンカできるポケモンは限られていて、私たちの中で言えばメガシンカできるのは私とリヒトだけ。ま、トレーナーと強い絆がなければメガシンカはできないから、実質できそうなのはリヒトだけになるわね」
「……だろうな」

詩から言い出したことだ。詩も戦況を分かったうえで、どうにかしてリヒトを引っ張りだそうとしていることは分かっていたから、まあ、俺と詩の絆云々については何も言うまい。ていうか詩に関してはそもそも絆なんてあるのか?っていうレベルだし。

「メガストーンは対象となるポケモンごとに違います。もしもアヤトがリヒトをメガシンカさせるというのならば、"ルカリオナイト"というメガストーンが必須ですね」
「なんだよ、イオナも知ってたのかよ」
「勝利するために色々な可能性を思考模索していた結果、知ったものです。ただ、アヤトがあまり好まない手段かと」

サッと出てきた電子画面をイオナが人差し指で俺の方へ流す。受け取り、画面に表示されている文字を読んでみた。隣にいるエネと向かい側にいた祈もやってきて、3人で読み進め……手を額に当てながら目を閉じる。

「ちなみに、ルカリオナイトの管理をしているのはカロス地方にいるコルニというジムリーダーらしい。彼女は継承者でもあるから、メガシンカにも詳しいだろうね」

ロロが言う。聞いてはいるが、何も答えずに考えていた。
確かに、今までのチャンピオン戦では特に祈への負担が大きかった。しかも最後がレシラムだとすればタイプ相性で考えると詩か祈に頼らざるを得ない。ただ、あの厄介なサザンドラの相手を詩に任せているうちは、やはり最後は祈頼みになってしまう。

「アヤト、わたしなら大丈夫。もっと、強くなれるから。頑張れるから」
「ぼくだって、次はもっとやれるよお!」

言われてハッとして、慌てて顔をあげると2人して俺を見ていた。祈とエネに気を遣わせてどうするんだ。エネの頭をぐちゃぐちゃに撫でまわしてから立ち上がり、祈の頭に優しく触れる。

「エネも祈も、もう十分すぎるほど頑張ってくれているよ。特に祈は相棒だしな、つい俺も頼りすぎちゃうんだ。いつもありがとな、本当に助かる」
「やだあ、アヤトくんかっこいい……ぼく、もっと好きになっちゃう……」
「う、それはやめてくれ……。だからな、これから2人にももっと頼るけど、メガシンカについても少し考えさせてほしい」

エネと祈が力不足だからではない。断じて違う。2人の努力は俺が一番よく知っているし、だからこそこれ以上無理はさせたくない。全く頼らないわけでもないんだ。だからどうか、分かってほしい。

「……うん、分かったよ」

そっと俺の手をとり、握る祈が微笑む。それに安心しつつ、手を握り返してから祈の手の甲に唇を落とすと、一瞬びくりと握っていた手が動く。

「祈、ありがとな」
「え、ええー!?祈ちゃんだけずるいいー!アヤトくん、ぼくにもキスしてえ!」
「……はいはい」

頬を赤くして固まる、可愛すぎる祈を眺める時間が全くない。エネに引っ張られて突き出される口を手のひらで隠してから仕方なく頬にキスして顔をあげると、案の定、すでに詩が祈の手に消毒液を振りまくっていた。いや、さすがにばい菌扱いは傷つくわ……。

「いやあ、アヤくんは飲み込みが早くて教え甲斐があるなあ。これから先が楽しみだ」
「本当っスか!ありがとうございます、ロロ師匠っ!」
「へえ……やはりロロおじさまでしたか。クソアヤトに変なことを吹き込んだのは……!!」
「えっ?……あー、あー、誰だろなー……?」

やばいやばい、詩様がお怒りだ。ロロに怒りの矛先が向いているうちに、早いとこ逃げておこう。

「イオナ、あとは頼むぜ……!」
「はあ、仕方ありませんね。その代わり、しっかりリヒトと話しなさい。事が決まり次第、報告するように」
「おう、分かった」

混乱に乗じてサッサと逃げる。さすがロロ師匠、ためになることばかり教えてくれるなあ!
ついニヤけながら部屋を出る手前、詩が俺を呼び叫ぶ声が聞こえたがもう遅い。今回は俺の勝ち逃げということで。

途端に静まり返る廊下を歩き、向かう先はただひとつ。
……ああ、リヒトはなんと言うだろうか。すでになんとなく答えは分かりつつも、先ほど読んだメガシンカの内容を思い出してはひとりため息を吐いた。


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