13

「こんにちはあ」
「エネ?もう大丈夫なのか?」

詩センセーの元、勉強を楽しく続ける祈のとなりでネットゲームを静かに楽しんでいた俺たちのところへ、ロロがエネを連れてきた。俺が訊ねるとこくりと頷き、にこにこ笑顔を浮かべながら小走りで俺の元にやってくる。

「それじゃあアヤくん、エネくんのことよろしくね」
「はあ……」

扉を閉めるロロを見てから、空いている椅子をひいてエネに目配せをすると嬉しそうにちょこんと座る。まだ赤く跡が残っているところが多々あるが、体調に問題はなさそうだ。見つけてやった俺に感謝してほしい。……いや、見つけたのはトルマリンだったか。まあいいや。

エネから視線を外して頬杖をついたままゲームに戻る俺の横、足をぶらぶらさせているエネの目の前に詩がやってくる。どんな反応をするのか、少しだけ気になって宙に浮かぶ半透明のゲーム画面を通して隣を盗み見た。立ったまま腰を軽く曲げてエネをじっくり眺める詩と、変わらず笑顔を絶やさずにこにこしているエネ。……すげえ絵面だ。

「あなた、名前は?」
「ぼくはエネ。よろしくねえ、詩ちゃん」
「……ねえ、ほんとに男なの?」
「そうだよお」
「ふーん……、……可愛いじゃない」
「えっ」

ぼそりと呟いた詩の言葉に、思わず驚きの声を漏らすと頬をほんのり赤く染めた詩に横目できつく睨まれた。ひどい、俺はなんにもしていないのに。いやそれよりもなんなんだ詩のこの反応は。俺やリヒトには初対面でもめちゃくちゃ当たりがきつかったくせにエネに対してはカワイイだって?そりゃまあエネは女子寄りの顔だし可愛いって言えば可愛いけれど、れっきとした男である。なのに、なのに……。

「……エネばっかずりぃ」
「なあに、アヤトくんも詩ちゃんに可愛いって言われたいの?」
「ちげーよ。分かってるくせにわざわざ言わせんのかよ。性格悪いな」

祈のところに戻っていく詩を見てから、口先を尖らせてエネを睨んでみせると面白そうに笑っていた。可愛ければきつく当たられないのか。もしくは……詩より小さければいいのか?……はあ、未だに詩との関係を良くする術は見つからず。

「ねえアヤトくん、ぼく、聞きたいことがあるんだけど」
「あ?なんだよ」

襲い掛かってくる敵を倒している最中、エネが俺の腕を揺すってきた。
この部屋に来てから、エネはしばらく大人しく俺が使っていない教科書を眺めていたり祈の隣に行って同じように詩の話を聞いていた。何がそんなに楽しいのか、ずっと目を輝かせていたエネが今は暇潰しにゲームをしていた俺を見ている。仕方なく、一旦ゲームを止めてからエネを見るとまたにこりと笑って。

「アヤトくんにとって、愛ってなあに?」
「……はあ?」

何を言うのかと思えば。思わず頬杖をついていた手から頬が滑り落ちた。すると地獄耳の詩が素早く反応して「エネ!いい質問ね!」なんて嬉しそうに言って、急きょ勉強を切り上げたと思えば自分も席に座って話し合いを始めるとか言い出した。なぜか俺も入っているらしい。なんでだ。なんだこのクソ面倒くさい展開は。……詩曰く、大勢で話し合いをすることもいい勉強になるのだとか。小学校の道徳の授業みたいな雰囲気だ。

「それじゃあ始めましょう。愛とは何か。そうね、愛を感じるときでもいいわね。はい、アヤトから」
「な、なんでだよ……」

たった四人の話し合いが始まる。お遊び程度なのに祈とエネは真剣だし、今や視線は全て俺に注がれている。誰も何も言わずに俺の話を待っているし、……その、この空気めちゃくちゃ嫌だ。
愛とは何か。そんなもん俺には分からん。ただ、そう答えたところで詩に怒られそうだしふざけて答えたものならば容赦なく叩かれるだろう。唇を噛みながら仕方なく考えてみる。

「愛っていうのは……あれだ、見返りとか無しで相手のために何かをしてやりたくなること、だと、思う……」
「確かにそうね。へえ、案外まとも」
「どういう意味だよ」

祈が拍手をするもんだからなぜか少しばかり恥ずかしくなってきて顔を気持ち伏せる。さて、次は祈の番らしい。視線を上の方へ向けながら両手の指を軽く絡ませる。

「わたしは、ぎゅうってだきしめられることだと思う。あのね、ぎゅうってされると心があったかくなるの」

言うまでもなく、顔には出していないが内心詩は祈にメロメロだろう。激しく頷いては同意している詩を眺める。

「それじゃ、次はわたしね。ここだけの話、わたしのお母様ってお料理が苦手なの。でもねお父様のためにひっそり美玖に教えてもらいながら練習をしているのよ。できた料理も出す前にこっそり味見をして美味しくできているか確認してからお父様に出すの。これってまさに愛だと思わない!?」
「お前ほんっと家族のこととなるとテンション上がりっぱなしだよな……」
「当たり前でしょう?だってわたし、お父様とお母様が世界で一番大好きなんだもの!誰だって家族が一番に決まっているわ!」
「へー……」

あからさまに目を輝かせて家族愛を語る詩を遠い目で見た。詩の家族はさぞかし幸せで満ち溢れているんだろう。そうでなければこんなに両親をべた褒めできるわけがない。俺には到底理解不能だ。べらべらとしゃべり続けている詩の横、ふと祈を見てみれば案外楽し気に話を聞いていた。俺からすれば、詩は遠慮という言葉を知らない猪突猛進女にしか見えないが、今や母親もいない祈からすれば詩の姿はどう見えているんだろうか。

「祈、平気か?」
「……?」
「いや、なんでもない」

詩にばれないように小声で聞けば小首を傾げるだけで、また詩の話を聞き始める祈。どうやら心配無用だったらしい。机に乗り出していた体を元の位置に戻してひとつ息を吐く。

「つまり、相手のために何かをしてあげるってことが愛なのかな」
「まあそんな感じだろうな。ていうかどうしたんだよ突然」

隣に座っているエネが、楽しそうに話している詩と祈を見ながらぽつりと呟いた。俺に対して言葉を投げかけたくせに目線は未だ詩たちに向けられている。笑顔はない。そんなエネが、細く白い手を片方力なく持ち上げると自身の首にそっと触れた。

「なら、お父さんは、ぼくのためにこんなことをしているのかな」
「…………え、?」
「ぼくが喜ぶと思って、ぼくを縛ったり首を絞めたりしているんだとしたら、それが愛だというのなら、」
「っそんなの愛でもなんでもないだろ!?」

ばん!、両手を机に叩きつけながら勢いよく立ち上がるとエネがきょとんとした顔で俺を見上げていた。それにハッとして視線を動かすと、詩と祈も驚いたように俺を見ていた。
ここではだめだ。エネの腕を掴んで無理やり立たせてから足早に部屋を出る。その間、ずっと俺の腕には鳥肌が立っていた。扉を閉めると廊下はとても静かで、それでいてどこかひんやりとした空気だった。エネを壁側にして掴んでいた腕を離すと、やはり驚きの表情で俺を見上げる。

「お、お前、その首のやつって、父親にやられたのか……!?」
「平気だよお。もう、慣れてるから」
「なんで、……なんでそんなふうに言うんだよ……」

にこりと笑ってみせるエネがどこまでも信じられない。首の跡が父親にやられたのならば、身体中にあった赤い跡も……い、いや、親に抱かれているだなんて誰が考えるものか。どうしようもなく落ち着かなくて、エネを目の前に首を左右に振ったり片手で顔を拭ったりしてみるものの全く頭が追い付かない。それに加えてエネはこの調子だし、俺一人で慌てていて馬鹿みたいだ。

「エネ、お前は嫌なんだよな?なんで嫌だって言わないんだよ!?」
「そんなこと言ったらぼくはあそこに居られなくなっちゃうよお。……ぼくは、生まれたときから人間の元で育ったから、いまさら野生になんて戻れない」
「だ、だからって何も父親となんて……」
「っぼくは身体を売らないと価値がなくなっちゃうんだ!価値がなくなったら、ぼくには居場所がなくなる……っ!」
「──……っ、」

エネが初めて声を荒げた。思わず口を噤むと、エネはハッとしたように俺を見上げて弱弱しく視線を下げた。……まさかこんなことになろうとは。軽々しくエネを助けるんじゃなかった。気づいたらとんでもない件に片足を突っ込んでいたらしい。どうしよう。俺は、どうしたらいいんだろう。……どう、したいんだろう。俺は、俺は……。

「……ぼく、分かんないんだ。また分からなくなっちゃった……」

自分がどう、したいのか。分かんないよ。
そういうと壁に沿ってずるずると座り込むエネ。両腕で頭を抱えて小さい身体がさらに小さくなっている。夜に出会ったときのエネとはまるで別人のようだ。……いや、もしかするとこっちのエネが本当なのか。
見下ろして、一歩下がってからしゃがんだ。首元の跡や腫れていた頬を思い出して、……エネの目の前に片手を差し出す。

「俺だって、まだガキだから親に逆らえないのは分かる。見捨てられることが怖い気持ちも分からなくはない。でも、……それでもエネ、嫌なことは嫌だって言わないとダメだよ。痛いなら痛いって、言わないと。──……助けてほしいなら、助けてくれって言わないと!」
「……っ、」

潤んだ瞳が大きく見開き俺を見た。噛んでいる唇の端が震え続けている。膝に乗っているエネの指先がぴくりと動き、しかし直後片手が覆いかぶさり隠してしまう。同時に顔を伏せるエネを見て、俺は差し出していた手を伸ばしてから無理やりエネの手を握ってみせると驚きの表情を浮かべる。

「いいよ、エネが自分で言えないのなら、俺が代わりに言ってやる」
「え、……!?」
「お前の親父に言ってやるよ!エネが嫌がってるからやめろって!」
「やめて、そんなことしたら、!」
「居場所がなくなる!?だったら俺のところに来ればいい!──……エネの居場所は、俺が作ってやる!!」

エネの目がさらに大きくなって、ついでに口がぽっかり開く。
向こうの世界だったなら絶対にできなかっただろうが、今俺がいる世界はここだ。他人の親に噛みついたって、旅をしている俺には世間体も関係ない。いいさもう、ここまで来たらとことん付き合ってやろうじゃないか。

「でも、それじゃあアヤトくんに迷惑がかかっちゃう、」
「お前には出会ったときから迷惑かけられっぱなしだってーの。初っ端のときもそうだし、ゲーセンのときもそうだし。何をいまさら」
「アヤトくん、……」

キイ。ふと、扉が開く。エネと一緒に視線を向けると、祈と詩がやってきた。座り込んでいるエネの両隣に座って、俺とエネを交互に見て。

「申し訳ないけれど話を聞かせてもらったわ。詳しい事はさっぱりだけど、何やらお困りのようじゃない?アヤトだけじゃ頼りないだろうし、何かわたしに出来ることがあったらやってやるわよ」
「エネ、だいじょうぶ。アヤトが、わたしたちが、どうにかしてみせるから……!」
「お、お前ら……」

そんなに部屋の壁は薄かったか。いいや金持ちが造ったビルだもん、薄いはずがない。扉を少し開けて聞いていたのか。思わず呆れそうになったが、考えてみれば祈と、大人にだって怯まない猪突猛進の馬鹿女こと詩が味方についたのだ。……最強パーティといっても過言じゃない。
何の笑いだか分からない笑いが腹の底から湧いてきて思わず口元を緩ませたとき、握っていた手が、初めて俺の手を握り返してきた。見れば、エネが俺の手を両手で力強く握りながら自身の額に当てている。

「……アヤトくん、」
「おう」
「……ぼく、こういう風に言ってもらえるの初めてで。どう、したらいいのか分からないんだけどね、──……甘えても、いいかなあ……っ?」

静かに顔をあげて、ポロリと涙を零すエネの頭を思いっきりかき乱す。

「もちろん、いいに決まってんだろ」

俺を見て、頷く詩と祈を見て、エネは髪をぐちゃぐちゃにしたままポロポロ静かに泣き出した。
エネに寄りそう祈から視線を移して、詩と目を合わせる。何か策はあるんでしょうね。そう言われている気がした。答えはもちろん、……ノーだ!
策はない。これから考える。なあに任せておけ、なんせ俺は反抗期真っ最中。親への反抗ならプロ並みだ。それとこれは関係ないと言われたらそれでおしまいなんだけど、自信だけはたっぷりある。
今までだってどうにかなってきたんだ、今回だってどうにかなるはずだ。そう、だって俺は異世界からきたヒーローなのだから。




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