12

スプーンを置いて、彼を見る。にこりと笑って「隣、いい?」という言葉に頷いて見せると、ベッド横に置いてあった椅子へ静かに座った。真っ青の瞳がぼくを見る。いつもは遠くから後ろ姿や横顔程度しか見ていなかったから、こうしてきちんと見るのは初めてだ。
みんなが言っていたことが、今ようやくわかった。……まるで、義眼のような眼だ。彼の目に、ちゃんとぼくは映っているんだろうか。思わず不安になってしまう。

「初めまして、エネくん。俺はロロ。アヤトくんから聞いたんだけど、なんか俺、君のお店では有名っぽい?」
「ふふ、そうですねえ。すっごく有名ですよお。ぼくもいつかお相手してもらいたいなって思っているんですけど、どうですか?」
「うーん、俺女の子しか抱かないからなあ。ああ、でもエネくんは可愛いから、機会があれば是非」
「わあ、嬉しいなあ!ぼくを呼んでくれるの、待ってますね!」

ところでエネくん。
声色が変わった。ような気がしたけれど、表情は相変わらず微笑みを崩さない。ぼくも変わらず普通を装いながら、ロロさんの動きを見る。懐から手のひらサイズのノート、いや、手帳を取り出してぼくに向かって見せる彼。
なんだろう。少しだけ身を乗り出して手元を見て、凍り付く。

「国際、警察、……」
「そ。俺、一応国際警察なんだよね。まあ今はお金に困ったら仕事を引き受けてるぐらいなんだけど」
「……それで、どうしてぼくにこれを見せるんですか」
「エネくん、君はもう分かっているでしょう?」

"君のお店"は、法に触れている。
視線を上げて、彼を見る。足に力を入れて頭の中で考える。今ここで走りだして、ぼくは目の前の獣から捕まらずに逃げられるか。……答えは、否。逃げるだけ無駄、だろう。力を抜いて、唇を軽く噛む。彼がぼくを見て微笑む。お見通しということなのか。

「風俗店では人間の年齢で換算して14歳からじゃないと働けないことになってるんだけど、エネくん、君はまだ11歳になったばかりだよね」
「もう調べ済、なんですね」
「ぼんやり遊んでたわけじゃない。俺自身あの店とはちょっと因縁があってね。どうしても、潰したいと思ってる」

ギシリ。ベッドが鳴いた。思わず伸ばした手が、彼の腕をしっかり握っている。首を左右にゆっくり振って見せるが、彼はびくともしない。
……お店が潰れる。そしたらぼくには、本当に今度こそ居場所がなくなってしまう。身体を売ることでしか自分の価値を証明できないというのに、それすらもできなくなってしまったら。
想像すればこころがぎゅっと締め付けられて苦しくなった。片手で胸元を押さえながら彼を見て、懇願する。どうか、どうかそれだけはやめてください。お願いします、ぼくに出来ることならなんでもしますから。だからどうか、どうか。

「──……可哀想に」
「……え……、?」
「君のことだよ、エネくん。君は、……昔の俺にそっくりだ」

するりと空いているほうの手がぼくに伸びてきて、頬に触れる。優しい手付きが心地いいと思った。触れられている部分が浄化されていくようだ。腫れているところを親指で何回か撫でるとまた憐れむように目を合わせる。そこでやっとぼくは目線を外した。
変わらず頬に添えられている手が少し下がって唇を撫でる。一瞬ピリッと痛みがあって眉を寄せると彼の手が止まった。

「君はこんなひどい扱いされてまで、あの店を守りたいの?」
「……あの店が、ぼくの世界なんです」
「……世界を変えたいとは思わない?」

頬から手が離れ、目の前に差し出される。手を見て、視線を下げて毛布を握る。
世界を変える。何度も考えたことはあった。けれどもぼくは夜の世界しか知らない。……今更、表舞台に戻るには随分と汚れてしまっている。もう無理だよ、手遅れだ。
彼の手には指一本触れず両手を毛布の下に隠して見せると、彼がスッと立ち上がる。それからぼくの頭を数回撫でると扉に向かって歩いて行った。

「君の世界はもっともっと広げられるはずだよ。まだ若いんだもん、ね」
「…………」
「気が向いたら部屋から出ておいで。アヤくんたちがいるところに案内してあげよう」

それじゃあ。彼が手をひらりと振って見せてから部屋から出ていった。
結局のところ、店はどうなってしまうのか。ぼくはもう、答えを知っている。
法に触れているのは"ぼくだけ"だ。ぼくが店を辞めれば全て解決する話。彼もそれを手中に入れていながら、ぼくに手を差し伸べてきたのだ。

あの店がぼくの生まれ育った家であり、叩かれても無理やり嫌なことをされても無視をされても、ぼくのお母さんはあの人で、ぼくのお父さんもあの人で。

「……ぼく、……ぼくは、」

両手で顔を覆ってうずくまる。
彼の好意をすんなり受け入れるには、難しい。はずなのに。差し伸べられた手を見て、握り返したくなってしまった。救われたいと、思ってしまった。

もしも。ぼくにあの店以外のところに居場所があるとするならば。





「随分と彼を気にしていますね」
「そう?」
「ええ」

扉から出てきた彼に声をかけると短く返事をしてサッと通り過ぎる。流れるように振り返ってみれば、すでにソファに座り終えていた。それを確認してから用意していた電子データを彼の元へ飛ばすと鼻で笑う。

「流石ストーカーくん。どこでこれを?」
「それは企業秘密です」

カンパニーの情報網を侮らないで頂きたい。ましてやこの街でのことなら尚更情報は手に入りやすい。これも全ては、と続けると彼の地雷を踏むため口を噤んだ。
差し出した情報は、少年──エネが働いている店のことだ。若い頃、娼婦をしていた女と再婚した男の二人で経営をしているらしい。従業員はエネ以外秘密裡に仕入れたポケモンたちから成り立っている。つまり、彼だけが法に触れているわけではない。

「本気で潰したいのなら今すぐにでも潰せるはずなのでは?」
「……俺はね。やられたらそのままそっくりやり返してやりたいんだよ」

目を細めて口角をあげる。なんとまあ楽しそうなこと。何も返さず眺めていると、彼はじっと店内図を見ていた。近々何かしらやらかすだろう。そんな予感がする。流石に過去に何があったのかまでは調べられなかったものの経営者との間に何かあったのではないかと踏んでいる。そして彼がエネという少年に気をかけている理由は、たぶん相手に痛手を負わせるために利用しようとしているのではないか。

「──……あの」
「あ、エネくん!アヤくんたちのところだよね?」

遠慮がちに開いた扉を見た瞬間、ぱっと立ち上がって笑顔で少年に歩み寄る。それからそのまま気遣う素振りを見せながら部屋を出て行った。
──……あの表情は演技なのか本心から出ているものなのか。

「私の目では、彼の全てが胡散臭く見えてしまうようですね。……これはいけない」

自分に面白く言い聞かせてから、イヤホンマイクを繋げる。窓側へ歩きながら指示を出し、返答を聞いてから通信を切った。外はまだ明るく、道には忙しなく歩いている人間が見える。
これからどのような楽しいことが起こるのか。窓から街を見下ろしては、一人笑みを浮かべた。




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