▼ omen
シャワーを浴びて飯を食って、歯を磨いて部屋に入る。以前は母さんと祈と一緒の部屋だったが、今回こそは俺一人。だからといって特にやることもないけれど、やっぱり一人の時間はすごく落ち着く。
薄着のジャージ姿で大きすぎるベッドに寝っ転がって、ぼんやり天井を見た。それからおもむろにバッグに手を突っ込んで、腕時計を取り出した。ボタンを押して、宙に浮かび上がる画面を指でタッチする。画面がパッと黒くなり、真ん中には大きく「calling」の文字が出る。もちろん相手はリヒトだ。
『……アヤト、こんばんは!』
「おうリヒト、夜中に悪いな」
数回目の呼び出し音のあと、リヒトが画面に映った。後ろは暗く、手前の赤くオレンジ色の光が揺れているのを見るとあの森の中にいるのか。家に帰らないということは、つまりそういうことだろう。もう聞くのも何十回目か、やっぱり今日も『元気だから大丈夫だよ』というお決まりの返事をされる。まあ、本当にヤバイときは死にそうな顔をしているし今日は素直にリヒトの言葉を飲もうと思う。
『アヤト、二つ目のバッジゲットおめでとう!やっぱりアヤトはすごいよ』
「サンキュー。でも俺じゃなくて祈が頑張ってくれたから勝てたんだ」
『……ふーん』
「お?ヤキモチか?」
『ち、違うよ!……でもおれだって、アヤトのポケモンになればジム戦も、……』
「へえー?」
『なっなに、ニヤニヤしてるのさ!もう切るよ!?』
「悪ぃ悪ぃ!俺が悪かったから切るなよ!」
頬を膨らませて顔を背けるリヒトに、寝返りを打ちながら謝ると目線がゆっくり戻ってきてから顔も元の位置に戻る。胸元に枕を押し詰めて画面をみた。
それからふと報告し忘れていたことを思い出して、言おうか言わないか悩んだ末に。
……エネとの件をリヒトに話した。もちろんエネの性別を脳内で女に変換してからに決まってる。
やはりリヒトはこの手の話題は苦手なようで、顔をフードで隠しがちにしながら静かに相槌を打っていた。いやしかし大丈夫だ。口元が薄っすらとニヤついてるあたりリヒトも健全な中学生男子に違いない。俺は当たり前のようにだらしないぐらいニヤついている。自分でだって分かるぐらいだ、ものすごい顔をしているだろう。
「いち早く大人になった俺がいいこと教えてやろう」
『……別にいいんだけど』
「いーから聞けって!……俺さ、そのめっちゃくちゃカワイイお姉さんとキスだけはできなかったんだ。なんでだと思う?」
『しっ知らないよっ!?』
「キスは愛してる人にしかしないんだとさ。俺気になって後からネットで調べてみたんだけどさ、えっちした相手は忘れられるのに対してキスした相手は忘れられないってあって、」
『こっ、この話、終わりーっ!』
無理やり話をぶち切るリヒトが面白くて大声に大声で返して話を続けると怒られた。が、俺はと言えば思う存分リヒトをからかえて満足である。ついでに自慢もできたし大満足すぎる。
ひとしきり笑ったところで、ようやく本題に入る。
「なあリヒト、この前の話なんだけど」
話を切り出すと、途端にリヒトの顔が強ばる。暗い話はしたくないが、こればかりは今日話さなければいけなかった。リヒトの下がった目線がしばらく泳いだあと、ゆっくり顔をあげて俺を見る。
『おれの予想だとあと一週間であいつは死ぬ。いいや殺してみせる』
「本当、なんだな……」
静かに頷くリヒトにもう迷いは全く無いように見え、すでに腹は括っている様子に心の底からリヒトはすごいと思った。
……この話を聞いたのは数日前のことだ。リヒトから電話が来た時もこのぐらいの時間帯だったか。何があったか詳しくは分からないが、あの日のリヒトは今までに見たことのない表情をしていた。恐怖なのか怒りなのか、はたまたそれら全てが混ざった顔だったのか。
そうしてリヒトはこう言った。
「もう、迷わない。おれはあいつを殺してやる。絶対に、殺さないといけない」
ものすごい迫力に情けなくも俺は何も言葉を返すことができなかった。
きっとリヒトに強く殺意を抱かせるような出来事が起こったのだろう。比較的穏やかな性格のリヒトにそこまで言わせるようなことだ、俺が軽々と聞けるわけがない。
それは今日も同じことで、やっぱりそれ以上何も聞くことはできなかった。
『誰かの命を奪うことの重みは分かってる。それでもおれは、やらないといけないんだ』
「……」
『……アヤト、おれのこと、』
「ばか。お前が何をしようがどうなろうが俺は一生リヒトの友達だ。……やめろっつっても、やめねーから」
垂れ下がっていた耳が上に向くのを見てから、急に気恥ずかしくなって目線を逸らした。
人を殺すことは悪いこと。けれどもそこに、殺してもいいような理由があったのならば罪は軽くなるのだろうか。一般的な答えは、たぶんノーだ。でも俺にとっちゃあそんなのはどうでもいい。良いも悪いもクソもない。一人消えることでリヒトが自由に生きれるようになれるのならば共犯者にもなってやる。
「もしもリヒトが逮捕されちゃったらすぐに助けに行ってやるよ」
『檻を壊しに来てくれるって?』
「ああそうだ。俺の力、なめんなよお?」
『あははっ!それなら刑務所でも安心して過ごせそうだ!』
二人してもしもの世界を身振り手振りで再現してケラケラ笑う。そうしていれば心配ごともその時だけは全部忘れていられた。リヒトがどうかは分からないが、俺はそうだった。
「そうだリヒト、俺さ近々ヒウンシティのジム戦に挑むんだ」
『アヤトなら次もきっと楽勝で勝てちゃうんじゃない?』
「はは、俺強えからそうかも。でさ、勝ったらまた牧場行こうと思ってるんだけど。……その頃になれば全部片付いてる予定だよな?」
こくり。リヒトが頷く。
心配なことはたくさんあるが、きっとどう転んでもリヒトは絶対に自由になれると俺は思う。いいや、仮にも俺は異世界からやってきたイレギュラーな人間だし、きっと俺に関わる人だって何らかの形で報われるってのが物語の定番だ。現に祈がそうだと思うし、リヒトだって多分これからさ。たとえ母さんのおまけだとしても確実に何かしら俺にもあるはずだ。
神じゃなく、俺自身を信じて。
「リヒト、」
『アヤト、おれ、アヤトに見せたいものがあるんだ』
「?、なんだよ?」
俺の言葉を遮って、リヒトが画面の向こうで笑顔を見せる。それから濃紺のマントに片手をいれると、ゆっくり引き抜いて画面の前に持ってきた。見慣れないボールが、リヒトの手に握られている。
まさかリヒトはトレーナーになるのか。もしやそのボールの中身は、以前話していた俺が知らない方の「りひと」なのでは。いやでも「りひと」が人間の可能性もあるし、。とか、一瞬にして色んな考えが頭の中に浮かんでは弾け散る。思わず目を見開いて画面越しにボールを指差しながらリヒトを見ると、くすりと笑う。
『びっくりした?これ、おれのボールなんだ』
「お、おま……トレーナーになるのかよ……?」
『何言ってるの?おれはポケモンだってば。これは、おれが入るボール』
ボールの上蓋には三日月のマークがついていてボールも青と黒の二色という、俗に言うオシャボではないか。確かあれはムーンボールだったか。リヒトには縁がないボールかと思いきや、「おれの種族っぽい色合いでカッコイイでしょ」なんて言われれば確かにそうかもしれない。
『牧場のお手伝いで貯めたお金で、ハーさんとハーくんに頼んで買ってきてもらったんだ。……おれの夢の一つを、叶えるために』
「それって、」
リヒトの夢は三つある。ひとつは、ハーフも堂々と生きれる世界を作ること。ふたつめは、おれを超えること。
『アヤトが旅立ってから、おれはオーナーさんたちに色々なことを教えてもらったよ。ハーフだということを隠すための道具とかも牧場のみんなに手伝ってもらって用意したんだ』
そしてみっつめは。
『アヤト。何もかも終わったら、……おれは、アヤトと一緒に旅がしたい』
ボールを持っているほうの手が、画面越しに前に伸びてきて手前に大きくボールが映る。
寝っ転がっていたところ、画面から一瞬も視線は逸らさないままゆっくりと上半身を起こしてベッドの上で胡坐をかく。膝の上に乗せていた手は自然と拳を緩く握っていた。
『おれを、アヤトのポケモンにしてください』
にこり、笑うリヒトを見てから思い切り頭を下げると、画面の向こうから「えっだめ!?」とすかさず声が降ってきた。
頭を下げたまま、片手で口元を覆い隠す。一度目を思いっきり瞑ってから、勢いよく顔をあげて画面いっぱいに近づいて。
「リヒト、俺の夢も叶いそうだ」
『え?』
「リオル、……いや、リヒトと一緒に旅をすること」
『アヤト……!』
青い耳と尻尾が上にぴんと持ち上がる。俺もはやる心を抑えるのに必死で。よしよし、そろそろいい時間だし、普通を装ったまま通信を切ろう。
「俺がジム戦に勝ってお前迎えに行く前に他のやつに渡したりすんなよ?」
『うん、もちろん!』
「……絶対、迎えにいくから」
『待ってるね、アヤト。ジム戦、がんばって』
「おう!」
それじゃあ、またね!
満面の笑みを浮かべて手を振る画面越しのリヒトに手を振り返して、オフボタンを押した。通信が途切れ、画面が暗くなる。
瞬間、俺はベッドに思いっきり寝転がってから大きな枕に両手両足を絡ませてから抱きしめて、左右にゴロゴロ転がり回った。数回繰り返してから枕を放り投げ、ベッドの上に立ち上がって間髪入れずに飛び跳ねた。ぼこん、ぼこんとベッドが音を鳴らす。それから変な踊りをして、また大の字に寝転がる。上下に動いている自分の胸元を見てから天井を見て。
「──……っいよっしゃーっっ!がんばるぞーっ!!」
拳を握った両腕を天井目がけて突き上げた。
リヒトと一緒に旅ができるなんて。──俺にとっては最高のご褒美だ!
こうなりゃ何が何でも一週間でジム戦挑んで勝ってやる。ぜったいに、ぜったいに勝ってやる!!
……その晩。
俺は興奮しすぎてなかなか寝付けず、翌朝華麗に寝坊した。