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バトルフィールドに立つ。相手はトレーナーのいない金色のチルットこと詩である。白い羽を羽ばたかせ、すでに宙で待機しているのを見ると詩は遠距離攻撃を中心としてくるだろう。対して祈は接近戦でこそ輝く。どうにかして詩を地面に落としたいが、その方法が全くといっていいほど思い浮かばない。だって考えてみてほしい、飛んでいる鳥をどうやって落とす?銃か何かで撃つしかなくない?

『先は譲ってあげる』
「祈、スピードスター!」
『うん!』

祈が一気に加速する。スピードスターは確実に当たるが、相手との距離が近ければ近いほど若干威力は増す。祈もそれを分かったうえでなるべく詩に近づこうとしていたのだ。高速移動さながらの動きで距離を詰め、飛び上がると同時に宙で一回転する。尻尾から沢山の星が生まれ、詩目がけて一直線に飛んでいく。

「へっ、これで多少は削れ……はあっ!?」

俺が見たときには、すでに詩の姿はそこに無く。慌てて上を見ればいつの間に飛んでいたのか、金色がもはや見えないぐらい真っ白い羽毛に覆われているチルットがいた。真下、星がいくつか互いにぶつかり砕け散り、残った星が詩の後を追う。
が、しかし。
突如、強烈な追い風が吹いた。一瞬息が吸えなくなるぐらいそりゃもうとんでもない一陣。腕を手前に出して体制を低く構えて、祈を見る。もはや星がどうこうなったどころじゃない、祈がこの風で吹き飛ばされないようにしなければ。なんせ祈は図鑑で見てもイーブイの中でも小さいほうで、今も必死にコンクリートに引っ付いている。

「っ祈ぃー!アイアンテールだ!地面に突き刺して態勢を整えろ!」

祈の尻尾が鋼色になるのを見てから、俺もやっとのことで腕をどけて前を向き詩を見た。
……やばい、こいつ、めちゃくちゃ強い。動きがとんでもなく速い上に、技のレベルが桁違いすぎでは。
そうこう思っている間にも詩は止まらず、羽を広げて態勢を斜め下に向ける。そらをとぶ、か!?一歩踏みしめ、風に耐えている祈に向かって叫ぶ。

「尻尾を思いっきり上げろ!!」

声に合わせて祈が身体を半回転させた。地面に突き立てていた尻尾が持ち上がるのと同時に砕けたコンクリートも重力に逆らって持ち上がる。手前、やっと詩の態勢が若干崩れた。見逃さない。祈が顔を詩に向ける。

「噛みつけっ!!」

羽に噛みつく祈。小さくとも牙は牙。チィ!甲高い声が耳をつんざく。祈が一瞬止まったものの、噛むのはやめない。そのまま頭を振って激しくバタつく羽を片手で踏んで押さえつける。……流石にやりすぎか。だけど俺はポケモンの言葉が分かる。詩が「負けた」というまで祈を止める気はない。
真っ白い翼が茶色に薄汚れているのが見えた。……まだか、まだなのか。下唇を噛んで拳を握る。どこまで強情な女なのか。祈の「い」の文字を口で形だけ作ったとき。

ぼふん。
祈の口元で突如白い煙があがった。まさかこの状況で人型に戻ったのか!?、目を凝らして見る前、祈が口に銜えたまま俺の方を振り返る。

『……んんー!?んっ!?』

目をまん丸にしながら何かを言っているが言葉が言葉になっていない。……が、言いたいことは十分わかった。祈が銜えている抹茶みたいな色したあれは、!!

「みがわり人形っ!?チッ、詩はどこいった!」

俺の焦りが祈にも伝わってしまった。祈が人形を慌てて口から離し落とす。茶色の足元に転がる人形がこれほどまでに憎たらしいなんて。歯ぎしりをしながらフィールドを見回すが、姿がどこにもない。まさか透明になったわけじゃあるまい。
、ふとぽつり。鼻に雨粒が落ちる。それを皮切りに、フィールド内に雨が降ってきた。……雨乞いだって?チルットって雨乞いも覚えられたのか。というかなんのためにこんなことを。大粒の雨に俺もすでにびしょ濡れだ。上を見上げて、頭上にある黒い雲を睨む。手前、白い霧も出てきている。視界が悪い。視界が、……っまさか"しろいきり"!?詩がやっているのか?急いで転がっていた身代わり人形を目で探す。ない、ないっ!!

「祈、詩が来る!構えろ!」
『……っ!』

ガッ!、鈍い音が聞こえた。音は断続的に聞こえ、そのたびに白い霧が大きく揺れる。まずい、祈の姿が霧に隠されていて全く見えない……!
直後、祈が吹っ飛ばされてきた。そのまま俺の手前、地面に叩きつけられ横たわる。
そこら中傷だらけになっている祈に、思わず伸びた片手をもう片方の手で止める。……これ以上、戦えない。けど、でも、そしたら俺は詩に負けることになってしまう。

『……』
「……っ、」

雨が降り続く中、霧が広がり散って詩の姿を現す。白い羽は、濡れても綺麗に見えるのか。俺を見下ろすチルットを見て、拳を握る。
詩は今、ほくそ笑んでいるだろう。……負けたら何でも言うことを聞かなければいけない。話に乗ったのは俺だ。負けたくない。絶対に、負けたくはない。

けれど。
無理やり身体を起こそうとする祈を見て、俯いた。……唇をきつく噛み締めて、手を伸ばす。初めてヒオウギジムに挑んだ時のことを思い出しながら、地面に膝をついて祈を抱き上げた。腕から抜け出そうとする祈を見下ろして、首を左右に振って見せると俯き脱力する。
それから俺は詩を見上げて。

「負けだ。……俺の負けだよ、詩。バトルは終わりだ」
『アヤト、わたし、……ごめんなさい』
「何謝ってんだよ。ありがとな、祈」

一度きつく抱きしめてから祈をボールに戻した。それから着地する寸前で人型に戻って目の前に立つ詩を見る。俺のつま先はすでに扉に向いていた。

「約束、忘れていないでしょうね」
「すまん詩、話はまた後で」

言ったことは守る。それだけ付け加えて、詩の答えを聞く前にボールを握って走りだす。詩は……、ぱっと見どこも怪我していなかったみたいだし大丈夫だろう。振り返ることもなく、回復装置のある地下までエレベーターで一気に降りていく。

詩に負けた。けれど、いざ終わってみればあまり悔しさはなかった。俺も祈も全力で戦った結果があれだったのだ。今の俺たちが全く歯が立たないほど、詩が強かったという話。圧倒的な差を見せつけられちゃあ、そりゃ多少は悔しいけれど躍起になるまでじゃない。寧ろ、ちょっと見直してしまった。

「……あーあ、俺、何命令されんだろうなあ」

祈を寄越せとか言われたらどうしよう。
ボールを部下に渡したときも、また回復が終わって受け取るときもずっとそのことを考えていた。詩なら言いかねない。

足取り重く、バトルフィールドに戻るとロロとイオナもやってきていた。そういや後で来るって言ってたっけ。足を組みながら優雅に水分補給をしている詩と、浮かない顔の俺を見比べれば結果がどうかなんてすぐわかる。
イオナは早速祈を出せと俺を睨むし、ロロは「やっぱりねえ」と一言。やっぱりってなんだ、やっぱりって。

「イオナ、わたし……まだよわい……ぜんぜんだめ、」
「いいえ、私の指導に落ち度はありません。祈も十分強くなってきています。相手が強すぎた、ただそれだけのことですよ」
「おいおい、イオナにそう言わせるぐらい詩強かったのかよ?」
「そりゃ、だって親が親だもの。規格外に決まってる」

咄嗟に詩を睨みつけてしまったものの、真顔のまま表情を変えないヤツ。食ってかかられるかと思えば拍子抜けだ。仕方なくゆっくり視線をロロに戻すと面白そうに笑みを浮かべている。

「そもそもこの勝負を持ちかけてきたのは詩ちゃんでしょう?勝てない勝負を吹っかけてくるわけないじゃん」
「それなんだよな。負けてから気付いたんだよ。調子に乗りすぎてた」
「おっ、どうしたのアヤくん。やけに素直じゃん」
「俺はいつもこうだしぃ」
「どの口が言うんだか」

両手の平を上に向けて肩をすくめては鼻で笑うロロと、入れ替わるように詩がやってきた。……と思えば、俺を通り過ぎて足先をイオナに動かされている祈の元へと向かっていった。それを見送ってから詩が座っていた椅子の隣に座って、冷えたおいしい水の蓋を開ける。

「……ごめんね、祈。痛かったでしょう」
「だいじょうぶだよ。あのね、わたし、ウタもぜんりょくでたたかってくれてうれしかったの」
「そう、なんだ。……ありがと、」
「わたしも、ありがとう」

……祈と詩がいる場所だけピンク色の花がぽんぽん咲いているように見える。
俺は、今ものすごく驚いているのと同時に二人が本心で言っているのかと疑い始めていた。女っていうのはその場では仲良しこよししているが、実際裏では悪口を言いまくっている恐ろしい生き物だ。学校という空間にいればそりゃ嫌でも分かってしまうことであって。
だからどうしてあのバトルをしたあとで「ありがとう」だなんて言えるのか不思議でたまらない。……俺はせめて、後々聞こえてきてしまうだろう見えてしまうだろう二人の黒い面をいつまでも知らないでいられるように、今のうちに沢山祈っておこうと思った。

「アヤト、早速命令よ」
「……へいへい。なんでもやらせて頂きますよお」

祈と握手を交わしていた詩が、今度こそ俺の前までやってきた。祈る間もないなんて。大げさに頭を下げて見せると、直後頭上にずっりしと重たい何かが乗せられた。当たり前のように頭を上げることができずに正体が何なのか分からない。

「おいなんだよ」
「教科書よ。祈と、あんたの」
「は?なんだって教科書なんて、」
「あんたのことはどーでもいいんだけど。わたしが祈に色々教えたいの。バトルだけじゃなくて、生きる上で必要なことを」

どーせあんたのことだもの、今まで祈にバトルしかやらせてなかったんでしょう。、わざとらしく目を細めて俺を見る詩から、自然を装って視線を逸らした。……こればっかりは反論できない。
頭の上から落ちる前に乗せられた本数冊を手に取り、中身を軽く見てみる。ひらがなカタカナ、簡単な漢字、計算式が乗っている。小学校低学年レベルの問題ってところだ。
そういや祈は野生のポケモンだったから読み書きができないのか……。今までさして文字を読むようなことをやらせてなかったからか、今やっと改めてハッと気づいた。

「命令。わたしが祈に勉強を教える時間を確保しろ。もちろん今日からよ」
「……命令って、それ?」
「うんそうだけど」
「へ、へえ……」
「なに、まさかパシリにされるとでも思ってた?わたし、そこまでガキじゃないから」

ふふんと勝ち誇った顔を見せてからまた祈のもとに向かう詩。俺はその背に向かって一度大きく足を踏み鳴らしてから舌打ちをした。いちいち癪に障る女だ。俺も背を向け、置きっぱなしにしていたおいしい水を腰を曲げて取る。そうして一人、部屋に戻ろうと振り返った瞬間。
……詩が、真後ろにいてビビった。なんでだ。さっき祈のところに行ったはずでは。完全に油断していて、今までになく近距離になったというのに別の意味でドキドキしていた。ああ、もちろん恐怖のほうに決まってる。

「な、なんだよ。まだ何かあんのかよ」
「言い忘れていたの」
「なにを……、」
「あんたのこと、……少しだけ見直したって」

えっ?、サッと上げた視線と同時にぽっかり開いた口。思わず自分の耳を疑ってしまったが、まさか俺の優秀な耳が聞き間違えるわけがない。固まったまま詩を見ていると

「ちゃんと祈のことを見れていたし、それなりに的確な指示が出せていたことに驚いたの。もっとクソダサ男かと思っていたら、案外ちゃんとしてるのね」

じゃあ、それだけ。、目の前、目の端で黄色いスカートがふわりと揺れた。
俺の脳みそがぎこちなく動いて、言葉を反芻する。褒められたのか貶されたのか、なんだか分からない言葉だったが。"少し見直した"って、言っていた。ということは。プラマイ、……プラスだ!

水と教科書を抱きしめて、今度こそ早足で扉に向かう。
早くトルマリンに教えなくっちゃ。詩のいいところ、やっとひとつだけ見つけられたってな!




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