4

「え、なに、どうしたのお……?」
「うっ、ぐすっ、こんなのありかよぉ……っぐ、」

扉に寄りかかって膝を抱えながら泣く俺の前、少年が困ったように細い眉を綺麗なハの字にしながら俺を覗き込むように見ていた。両手もちゃっかり俺の膝に添えていて距離は相変わらず近い。……これが男じゃなければ今俺は最高に幸せな時を過ごしていただろうに。なのに。

「おっ、おれはぁ!巨乳のお姉さんがよかったのぉ!!」
「そんなこと言われてもお、ぼくは指名されたからアヤトくんの相手を、」
「なんで男なんだよばかあっ」
「まあまあ。とりあえずほら、シャワー浴びてさ、」

するりと手が俺の学ランを掴む。咄嗟に叩き落として手から逃げるように、背は壁に付けたまま少年からよじり離れた。もはや俺の脳内は妄想をどうにかして現実にしようと暴れまわっていて、駄々っ子になる他ない。これじゃどっちが年上なんだか。

「やだああっ!俺はお姉さんとえっちなことがしたいぃっチェンジだチェンジぃっ!!」
「残念でしたあ。ぼくはこの店で一番人気だからチェンジはできないよ」
「やああだあああ!!」

捕まれた腕を勢いに任せてぶんぶん振ると、ばちん、と音がして間髪入れずにドンと低い音が鳴る。俺が振った腕が少年の頬に当たってそのまま倒れて壁にぶつかったらしい。膝を内側に倒して片手で頬を押さえる少年のピンク色の髪がさらりと流れて目元を隠す。

「……、」
「……」

少しの沈黙の後、少年がゆっくり身体をもとに戻して俺を見る。にこり。首を少し傾けて笑顔を浮かべる。

「とりあえず、シャワー浴びてきなよ。そしたら何かお話をしよう。ぼく、お話も上手いんだよお」
「…………」
「じゃあ、向こうで待ってるよ。ゆっくりでいいからね」

そういうと、何事もなかったかのように笑顔で歩いていく少年。俺はというと、悪いことをしたという大雑把な気持ちだけ頭にあって、ただそれを具体的に説明できるようになるまで戻ってはいなかった。ぐずぐずになった鼻を啜りながら立ち上がり、重たい頭でシャワールームに入って行った。

変な形の椅子とかマットとかローションとかなんか怪しげなアイテムばかり揃っていた浴室だった。その隅っこで無のままシャワーを浴びていつも通りTシャツとゆるいズボンに履き替えてタオルを頭に乗せたまま扉を開ける。もうパンツもどうでもいいのを履いている。
そしてやっとこ冷静になった今、一人大きくため息をついた。

「あ、アヤトくんって髪ぺしゃんこだとなんかもっと幼く見えるねえ。かわいいー」
「……ぜんっぜん嬉しくない」
「えーそうなのお?ぼくは可愛いって言われるとすっごく嬉しいんだけどなあ」
「お前と一緒にすんなよ」

大きなベッドの端に座ったままぶらぶらと足を揺らしている少年を見る。……ていうか部屋もガチだ。やべえ。紫だかピンクだか分からない色のライトの下に大きなベッドがひとつ。申し訳程度に置いてある小さなテーブルとソファ。ライトがまともならいつもポケモンセンターで借りている部屋のひとつにも思えるが、違うと堂々と主張しているのはテーブルの上に設置してある道具たち。いやもうお姉さんとなら喜んで手に取ってみる気にもなると思うが、今の俺にはいらないものばかりでもう視界にすら入れたくない。
……いや、いつかのためにゴムだけは拝借しておこうか。いつかのために。

「さっ、座って座ってえ」
「……当たり前のようにベッドに連れていくんだ……」
「ぼくの舞台はいつもここだからねっ」

手をひかれ、そのままベッドに押し込められる。……いやまだ俺寝ねえし髪も濡れたまんまだし。すぐさま起き上がろうとしたものの、すぐに手がそっと乗せられ頭をゆっくり撫でられる。

「アヤトくんはお姉さんがよかったのに、きっとなんかの手違いでぼくになっちゃったんだね。ごめんねえ」
「……べ、べつに。お前が謝ることじゃねえし」

手付きが、優しすぎる。声のトーンも高いし目を瞑ればまんま女のような触り方だ。正直かなり驚いている。こ、これがプロというものか……。
万が一にも気が変わらないように、少年の姿を、現実をしっかり見ておこうと視線を戻してはっとした。

「……その、さっきはごめん」
「えっ?……あ、大丈夫だよお。気にしないで」
「ほ、ほんとすまん……」

流石に目をずっと合わせているのはつらくなって逸らすと、また「大丈夫だよお」なんて笑い声が含まれた声が聞こえた。
可愛いお姉さんに執着しすぎて現実が受け入れきれなかったのだ。今もまだ受け入れてないけれど、やっと冷静になってきた。
そして考えると、やっぱりこれはロロのクソ野郎の仕業に違いないと確信した。そうでなければわざわざ俺を誘ってこんな場所に連れてきてくれるわけがない。美味しそうな餌を目の前にぶら下げられて走り回っていた俺は、見ていてさぞかし面白かっただろう。……あーほんと胸糞悪い。もう絶対アイツのことは信じないぞこんちくしょー。

「アヤトくん、こわい顔お」
「ああ、今な、俺を嵌めたクソ猫のことを思い出してた」
「あ、もしかしてロロさんっていうひとのこと?聞いたことあるよ。今度可愛い子連れてくるって言ってたの、アヤトくんのことだったんだあ」
「かわいい!?あのクソ野郎!!っていうかなっ、なんで知ってんだ!?まさかロロのやつ、お前を指名したことがあるのか!?」

がばっ!と飛び起きてから少年の肩を両腕で掴むと、まん丸の目をさらに丸くしてから斜めに視線を下げてから軽く握った片手を自身の口元に添えて頬を赤らめる。目を伏せて、上目遣いで口を開き。

「ぼく……強引にされるのもすきだよお?」

何を言うのかと思えばこれだ。咄嗟に腕を引っ込めて後ろに飛び退き、ぞわっ!と一瞬で鳥肌がたった腕を擦る。

「ひどおい。そんなに拒まれちゃ、いくらぼくでも傷つくよお……」
「ごめん、でも俺、ほんと無理……。っていうかほんとなんでロロのこと知ってんだよ」
「それはね、この店の常連さんだからだよお。美人で胸の大きな子ばっかり選ぶことで有名でね」
「ずっりー!そうだよ今日だってめっちゃ美人なお姉さんだったぜ!?うわっアイツばっかりずるい!」

あーっ!ほんとムカつく野郎だ!!自分ばっか綺麗でボインなお姉さまと楽しみやがってチクショー!いつも母さん好き好き言ってるくせにばっちりこういうところで楽しんでやがる!男としてもクソだ!クソ野郎め!!
怒りに任せてベッドに拳を連打している俺の横、少年が話を続ける。

「ぼく実際に見たことが無いから知らないんだけどお、ロロさんってすっごく顔が整っているんだってね?それになかなかのテクニシャンだって、先にイかされちゃう!ってお姉さんたち骨抜きにされててさあ、」
「ぐっ、ぐうう……!」

なんとかぐうの音を絞り出せたはいいものの。「いいなあ、ぼくもお相手してもらいたいなあ」とかなんかうっとり喋ってる少年を歯ぎしりしながら睨む。
分かったぞ。レパルダスの特性だ、そうだきっと特性テクニシャンだ絶対そうに違いない。ロロだけそういう特性なんだっていうことにしよう。でないと俺は腹立たしすぎて血が出るまで胸を掻きむしってしまう。

「てなわけで、こちらとしても彼はすっごくいいお客さんであってねえ、実は人気ナンバーワンのお客さんだったりなんだり」
「はんっ!いくらここで人気だって言っても、色んな女の人食い漁ってる時点でろくでもねえことに変わりねえし!やっぱだらしねえクソ野郎じゃん!一回性病にでもなって痛い目にあえばいいんだちくしょー」
「……そう、だよねえ、」

首をこてんと倒してから小さく笑う少年にうんうんと頷く。ベッドの上で胡坐をかいて、腕を組みながらひたすらに頷いていた。そうして自分に言い聞かせていたのだ。

ふと、少年が四つん這いで俺に近づく。それに思わず構えるが、気付いたときには一気に距離が縮まっていて顔がもうすぐ目の前にあった。
鼻先と鼻先が触れそうで触れない距離。紫色の瞳は相変わらずまん丸で、俺の驚きに満ちた目が映っている。

「でもね、ロロさんが人気の理由。もう一つあるんだ」
「もう、ひとつ……?」
「──絶対に、キスはしないんだって」

少年の人差し指が俺の唇に触れ、軽く押された。それから顎を伝って下に降ろしていくと胸元で止まる。左胸。心臓がある部分で、止まった。
下げられていた視線がまた戻ってきて、つらくなるぐらいに目を合わせる。どうしても視線を外せないのはなぜなのか。

「ロロさんは、ぼくたちと一緒なんだよ」
「い、いっしょって……?」
「身体は売っても心は売らない。絶対に、しないんだ」

俺にはよく、分からないけれど。
この少年にもプライドがある。ということを思い知り、そして何か強い衝撃を受けた気がした。

そのままなんとなく動けずにいると、少年がふっと離れて内股気味に膝を曲げて座っていかにも冗談めいた雰囲気で両手を左右に広げて笑みを浮かべる。

「まあ、あれだねえ。手に入らないものこそ欲しくなるってやつう?うちのお店でも、誰が一番早くに彼の心を奪えるかって密かに競ってるんだよ」

あははー!、少年が大げさに笑う。てっきり俺も笑うと思っていたのだろう。一人で笑いながら俺の様子を見て、だんだんと声を小さくしていった。

もしも。
もしも、この少年の言う通り、ロロが絶対にキスだけはしないのならば。
その背景にあるのは、心にいるのは……、。

「きっと、ロロさんには心から愛している人がいるんだね」
「…………」
「ごめんアヤトくん。ぼく間違ったこと言っちゃった。ロロさんとぼくたちは一緒だけど、決定的に違ったよ」

その声色に思わず視線を上げた。膝を抱えてつま先を上げ下げしている少年の視線は、俺とは逆に下を向いている。まだ真っ白いシーツが、少年の足元で小さな波を打っているように見えた。

「ぼくたちは愛がどういうものなのか分からない。愛すること、愛されることを知らないんだ。だからこそロロさんが眩しく見えるのかもしれない。憧れて、求めてしまうのかもしれない」

ゆっくりとあがる視線と視線が交わる。つま先が止まり、波も消えた。少年はまた、にこりと笑って俺を見る。

「アヤトくん、きみもすっごく眩しいよ。ぼくなんか霞んじゃうぐらいにきらきらしてる」
「……俺だって、愛が何なのかなんて知らねえよ」
「それでもすごく、綺麗なんだよなあ」

紫色の瞳をぎゅうっと細めてしみじみと言う少年に返す言葉が見つからなかった。俺には少年が、エネが何を考えているのか、何を思っているのかさっぱり分からない。
だってこんなにも住んでいる世界が違うんだ。分かるわけが、なかったのだ。




- ナノ -