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また船に乗ってヒウンシティへと向かう。飛行タイプのポケモンが居れば、あっという間に行けるのに。そんなことを考えながら船の柵に腕を乗っけて頬杖をついて海面をぼんやり見ていると、ロロが俺の隣にやってきて片腕を柵にかけて身体は俺の方へ向ける。

「ねえ、アヤくん」
「あ?」
「以前ヒウンシティに来た時に、用が済んだら俺が面白いところへ連れてってあげるよって言ったの覚えてる?」
「どーせお前のことだ、ろくでもねえとこに連れていかれるに決まってる。断る」

思い切り顔を歪めて見せてからまた波を見つめる。
……隣からロロの気配が一向に消えない。渋々目だけ横に動かしてみると、やっぱり先ほどと変わらず身体をこちらに向けたままロロがニコニコしていた。こいつが笑っているときは特にろくでもねえことを考えているときだ。大きくため息を吐いてから視線を戻すと、布が擦れる音がした。ロロが動いたのだ。はあ、やっとまた穏やかな時間を過ごせる。
そう思ったのもつかの間。

「綺麗なお姉さんがいっぱいいる、オトナが行くようなところなんだけど。……本当に行かなくて、いいの?」

耳元で、悪魔が囁く。きれいな、おねーさん。オトナが、いくところ。
両腕をゆっくり動かし手すりを掴む。スローモーションのような動きでロロの顔を見上げると、やっぱりニコニコしていた。
い、……いやいや。騙されるな、俺。というかロロの言い方ずるくないかあ?だってさあ、綺麗なお姉さんがいて大人が行くところって、……なあっっ!?どっどうせまたからかわれているだけだ、そそそそうに決まってる。これで結局パチンコ店とかに連れていかれるんだぞきっと!

頭を思い切り振ってからロロに背を向ける。が、しかし。期待が大きすぎてその場から立ち去れないでいた。きれいなおねえさん。魅力的な話すぎる。
そんな俺を仕留めにかかるロロの手が、俺の両肩に乗っかった。そうしてまた、耳元で囁く。

「……童貞卒業、できちゃうかもよ?」

……ぷつん。
何かが切れて、気付いたときにはロロに飛んで抱き着いていた。まるで木に止まるセミのように。そりゃもう力強く抱きしめてコートに向かって叫んだ。

「是非連れて行ってくださいっ!!」

未成年がなんだこの世界じゃ10歳で一人旅に出てるんだぞならば10歳でもう立派な大人と言えるのではないだろうか郷に入っては郷に従えっていうかもうなんでもいいけど俺はとにかく!巨乳の!綺麗な!お姉さんと!えっちなことがしたい!!!!!!ただそれだけだ!!!!

「じゃあ決まり〜。ジム戦に勝ったご褒美として今夜にでも連れて行ってあげるよ。楽しみにしててね、アヤくん」

止まり木がひらひら手を振り去ってゆく。地に降りたセミは、死んだように上を向く。頭の中はすでに桃色に染まりきっていて、ロロの顔なんかこれっぽっちも見ちゃいなかった。悪魔の顔なんか、少しも見えちゃいなかったのだ。

そうして船の汽笛が鳴る。ヒウンシティに到着だ。
ああ、夜が待ち遠しい…………。





ヒウンシティでの拠点は当たり前のようにハゲデブクソジジイが使っていたビルになる。とりあえず荷物を置きに、今日も今日とて人通りの多い街を歩いていると。

「あれっ、アヤくん!」
「かっ、母さ「ひよりちゃんーっ!!」

俺を通り過ぎたロロが一直線に母さんの元まで駆けてゆく。あまりの速さに言葉が途中で切れてしまった。次いで祈、イオナも勝手にボールから出てきた。祈は俺と母さんを交互に忙しく見てから俺の顔をじっと見る。「行っていいぞ」。一声かけるとロロに続いて駆けていった。

「祈はともかく、ロロさんは正直どうかと思うのですが」
「同感。人妻ニアとか何かなのかな」
「さて、それは私にもわかりかねますが。しかしアヤトは面白い言葉をご存じなのですね」
「く、詳しくは知らねえけどな!?誤解すんなよっ!?」

横目で俺を面白そうにみるイオナから慌てて視線を外した。前ネットでちょろっと見かけただけだもぉん!俺人妻とか興味ねえしぃ!
いやいやそれよりも母さんの隣。透き通る水色の綺麗な髪の美人で巨乳なあの方は、……!

「心音さん!」
「こんにちはアヤト。わたしの名前、覚えていてくれたのね。ありがとう、嬉しいわ」
「へっ、へへ、そんな……」

前言撤回。俺人妻もイケます!寧ろすきです!!心音さんサイコー!!
じっと見たいけど丁度目の高さに心音さんの豊満なお胸様がきてしまってどうにも直視できない。右手、母さんに後ろから抱き着いたままのロロの頬を思いっきりひねりつぶしているのは見て見ぬフリをしながら、見たい気持ちを抑えきれずにこっそり何度も視線を上げていた。
そんな俺の足が、直後、悲鳴をあげる。

「いぃっってえええぇっ!?!?」

あまりの痛さに足だけでは留まらず声まで出してしまってからようやく足元を見ると、白いブーツのかかとが思いっきり俺のつま先を踏みつぶしているではないか。慌てて足を引っ込めてよろめきながら後ろに下がると、涙目の俺の目の前、ヤツが立ちはだかる。
ウェーブがかった金髪を風に揺らし、組んだ腕の上にガキのくせにでけえ胸を乗せているヤツ。……そう、「詩」と呼ばれていた少女だ。

「なにお母様のこと見てんのよ。ほんっと気持ち悪い」
「べっ、別に見てねえしい!」
「言い訳までしてしまうの?はっ、見苦しい。あんた本当にひよりさんの子どもなの?川から流れてきたんじゃない?」
「っんだと……!?」
「こら詩。口が過ぎるわよ。ごめんね、アヤト」
「……い、いえ……」

詩の肩にそっと手を置いて後ろに引き寄せる心音さんが俺に苦笑いをした。チクショー、心音さんに免じて許してやらぁ。
なぜか母さんが「うちのアヤくんがごめんねえ」とか心音さんに謝っている隙に、詩に向かって中指を立てると舌打ちと一緒に中指を立て返された。心音さんの視線が戻れば、お互いに笑顔を張り付けて仲直りしたよアピールをする。
猫かぶりのクソガキめ。性格さえどうにかなれば心音さんと同じぐらい魅力的だというのに。これほどもったいないことなんて滅多にない。

「ところでひよりちゃんたち、どうしてこんなところにいるの?」
「あら、見て分からない?女子会よ、女子会」
「そうですわ、ロロおじさま。これからわたしたち、ショッピングですの!」
「へえ……」

ガラリと印象を変えた詩に笑顔を振りまかれたロロが、どこか遠いところを見る。あとで聞いたら、以前母さんと心音さんがショッピングをしているところを見たことがあったんだとか。それで俺も納得した。女の買い物はクソ長い。できれば関わりたくはないものだ。

「じょしかい……?」
「そうだよ!女の子だけでご飯食べたり、お買い物したり、お話ししたりするんだよ」
「……そう、なんだ」
「祈ちゃんもおいでよ!私、祈ちゃんに可愛いお洋服いっぱい着せたいんだけどなあ」

ちらっ、ちらっ。母さんがあからさまに俺を見てきた。祈を見れば、一気に瞳を輝かせて尻尾をぶんぶん振っている。普段垂れ下がったままの耳ですら通常のイーブイ同じく上を向いていた。
祈は俺のポケモンだし、気持ち的には母さんに渡したくはないのだが。

「グッドタイミングだ!アヤくん、今夜のためにも祈ちゃんはひよりちゃんに任せたほうがいい」

ロロが俺の耳元で小声で言う。それにすかさず相槌を打って、即座に母さんへ祈のボールを手渡した。次いで、ロロが母さんたちに尋ねる。

「ひよりちゃんたち、今日はヒウンシティにお泊りでしょう?」
「そうそう、内装がすっごく可愛くて、デザートも食べ放題でね!」
「それはいいねえ。きっと素敵なところなんだろうね。そこでひよりちゃん、俺からお願いがあるんだけど」
「もちろん、祈ちゃんも連れて行くよ」
「さっすがひよりちゃん。俺の言いたいこと分かってるう!」

こういうときのロロは尊敬するに値する。
祈のことを思ってのお願いだという、とても仲間思いで素敵な建前を作りつつ、俺たちが今夜より自由に動けるよう少しでも障害になりそうなものをさりげなく排除するという高度な技術。俺にはとてもじゃないができない。今だけ盛大な拍手を送りたい。心からそう思った。

初対面である詩と祈がぎくしゃくとしながら挨拶を交わしているのを見た。詩の性格は問題だらけだ。祈のことが少し心配ではあるが、母さんもいるしなんとかなるだろう。
そしてこれで、本当にあとは夜になるのを待つだけになったのだ。偶然であれ何であれ、今日は母さんにも感謝をしておこう。

「……これで、ロロたちも羽を伸ばせるってものねえ」

ギクッ。
詩たちから少し離れたところ。心音さんが横目でロロを見ながらそういった。正確に言うと、ロロとイオナと……俺、も入っていたんだろうか。

「失敬な。私をロロさんと一緒にしないでください」
「ならイオナさん、ロロがアヤくんを変なところに連れて行かないように見ていてもらってもいいですか」
「「なっ、!」」

ロロと俺の声が被る。被ってしまった。なんでこういうときだけ息合わせてくんだよ馬鹿猫ッ!!
もちろんイオナもそれを聞いていたわけで。憐れむような、しかし面白味を含んだ笑みで俺とロロを見てから母さんに視線を向けて。

「止められる保証はありませんが、まあ努力はしてみましょう」

ふざけた答えを返すと、母さんと心音さんがやれやれと言ったように首を小さく左右に振っていた。
すごい、俺、今すごく複雑な気持ちだ……。ともあれ今は恥ずかしがったら終わりだ。ここは大人たちが何の話をしているのか分からないフリをしておこう。困ったときのまだ子どもだから分からない作戦。

しかしまあ、ロロの巧みな作戦も彼女たちの前ではなんの意味もないということが分かった。女の勘というものなのか、はたまた長年一緒に旅をした間柄だからこそのものなのか。なんでもいいが、女はコワイということを再確認した時だった。




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