12

翌朝、一番に向かったのはもちろんサンギ牧場だ。日が昇る少し前、薄暗い道を歩く。街はまだ寝静まっている。朝靄の中、後ろには眠たげに欠伸をしているロロ。イオナと祈はボールの中だ。イオナはどうか分からないけど祈はまだ寝ているだろう。

「今日は丸一日牧場?」
「おう。あと俺、今日は牧場で寝泊まりするからロロに二人のボール預けとくわ」
「あ、イオナくんのボールだけ間違えて捨てちゃうかもしれないけど別にいいよね」
「別にいいけど、そのあとのことは俺知らねーから」
「…………」

頭の後ろで腕組をしながら後ろに少し視線を向けると、ロロが不満げに口をつぐんでいた。それから一つため息を吐いて、二つのボールをベルトに付ける姿を見る。未だにイオナと距離を置こうと悪あがきしているロロは、見ていて心底面白い。

──……遠く、メリープの鳴く声が聞こえた。それにロロを急かして走り出す。
一人立往生をしていた牧場の入り口を走り抜けて、リオルを探して歩き回っていた草むらを通り過ぎ。ようやく自身の目でメリープたちとハーくんハーさんを捉えたと同時に、突如目の前に青が飛び出してきた。思わず歩みを止めてしまった俺に容赦なく飛びついてくる、。

「っリヒト!?」
「アヤト!久しぶりーっ!!元気だった!?わあ、嬉しいなあ」
「あーもう、元気だからいい加減離れてくれ」

千切れんばかりに尻尾を振って抱き着いてくるリヒトを引きはがす。犬か!とツッコみたくなるところを飲み込んで、嬉しそうにしているリヒトから少し視線を逸らす。それから俺たちの声に気付いたのか、ハーさんとハーくん先輩もこちらに向かってきていた。リヒトはあとからやってきたロロのところにも走って行って嬉しそうに話している。

「……平和だなあ」

忙しない日々を過ごしていたぶん、サンギ牧場ののんびりとした雰囲気がすごく心地よく感じる。手を振りながらとうとう走り出すハーくん先輩を見て笑い、手を振り返した。
そよ風に小さく揺れる花々は陽を今か今かと待っているかのようだ。またメリープの鳴き声が聞こえて、はるか遠い向こう、太陽が頭を見せ始めた。
今日がはじまる。いつも以上に騒がしくなりそうな一日が。





「こっちがイオナ」
「宜しくお願いいたします」
「こっちが祈」
「……よろしく、」
「こちらこそ宜しくね、可愛らしいお嬢さん」

祈の言葉を遮って、キラキラオーラMAXで祈の手を握りしめるハーくん先輩には、もはや呆れることしかできない。この人どこまで守備範囲が広いんだ。対してリヒトはというと、若干ロロの後ろに隠れながら二人を見ている。以前のように逃げ出すまで至っていないことはすごい成長なんだろう。

「なにはともあれ、アヤトが元気でやっているようで安心した」
「ふふん、バッジもゲットしましたし!」
「ああそうだったな。オーナー、今晩は盛大に」
「分かってるさ。アヤトくん、ゆっくりしていってね」
「はい、ありがとうございます!」

ハーさんにバッジを見せたまま、通り過ぎるオーナーさんに頭を下げた。
このあとは中断させてしまった牧場の仕事のお手伝いをする予定だったが、ハーさんにストップをかけられてしまった。目線の先には祈がいる。いまだにハーくん先輩に手を握られたまま色々話しかけられているが、視線はすでに牧場の色んなところを行ったり来たりしていた。話なんか一つも聞いちゃいない。傍からみても丸わかりだというのに、気にせずに話しかけ続けている先輩は、鋼の心をお持ちなのだろう。

「見たところ、彼女は牧場に来るのが初めてのようだ。是非案内してあげなさい」
「ハーくん先輩はどうしますか」
「もちろん私が連れていく。安心したまえ」

その言葉通り、ハーさんがハーくんの襟首を掴んでそのまま引きずって行くのを見送った。それから入れ替わるようにやってきた祈に、未だロロの後ろにいるリヒトが一歩後ろに下がる。
突然ロロが方向を変え歩き出すと、リヒトが慌ててフードをさらに深く被った。ロロのやつ、絶対にわざとだ。顔が完全に面白がっているもん。性悪め。

「俺は日向ぼっこでもしているよ。夕方には戻るから」
「では私もご一緒に、」
「冗談、勘弁してよ。イオナくんも好きにしてればいい」

じゃあね。、言い終わる前に光の速さでレパルダスに戻って姿を消すロロ。イオナも追う動きは見せたものの、一歩すら踏み出す前に留まり牧場を見回した。
ゆっくり視線は動いてゆき、リヒトで一度ぴたりと止まる。瞬間、リヒトは肩を飛び上がらせて祈を大きく遠ざけながら回って俺の後ろに隠れた。確かに、イオナの雰囲気はなかなかに近寄りがたいし表情からは何も読み取れない。リヒトが隠れたくなる気持ちも分からないでもない。

「話には聞いていましたが実際に拝見するのは初めてですね。なるほど、これがハーフですか」
「はーふ……?」
「祈には後で教えて差し上げましょう。本来ならば、存在するはずのない生命体です」
「おいイオナ、リヒトを悪く言うつもりなら俺が怒るぞ」

すかさず睨んでみたものの、やっぱりイオナは眉ひとつ動かさず変わらず俺を通してリヒトを見ている。

「私は事実を言ったまで。ですが気を悪くしたのなら謝罪いたしましょう」
「……大丈夫、です。慣れて、います」

後ろ、小声でリヒトが答えるとようやく視線が外れた。すると今度はレパルダスの姿に戻って長い尻尾を一度ゆらり揺らした。

『久方ぶりに頂いた休暇です。私も自由にさせて頂いてもいいでしょうか』
「おー行け行け。夕方には戻ってこいよ」
『祈のことも頼みます。では失礼』

ワインレッドの毛並みを勿体無げもなく陽に当てながら牧場を突っ切って森の方へ向かうイオナ。ため息交じりの息を吐いてリヒトを見ると、まだ顔が強ばっていた。まさかイオナがあんな言い方をするなんて。事前に教えてしまっていたのは間違いだったのか、いやでもイオナなら教えなくても初見ですぐさまハーフだと分かっただろう。どちらにせよ、とりあえず何ともならなくてよかった。
さて、残ったのは俺とリヒト、そして祈の三人だ。幸か不幸か祈はハーフがどんなものなのか知らないらしい。が、やはり何か別のものを感じるのか興味津々でリヒトを見ている。イオナの次は祈ときた。注目の的は大変だ。

「祈、俺の親友のリヒトだ」
「リヒト、しんゆう……アヤトととってもなかがいいおともだち?」
「ああそうだ。仲良くしてくれよ」
「……よろしく、リヒト」

リヒトの目の前に歩み出た祈が片手を差し出した。フードを深く被ったままのリヒトが驚いたように目を丸くさせて、俺と祈を高速で交互に見ている。以前どこかで見たことのある光景だ。顎で指し示すと、リヒトがおずおず左手を差し出した。人間の手と手が合わさり、握手が交わされる。
ふと、祈の視線が上を向き、それから下を向き。いつも垂れ下がっている耳が若干上に持ち上がる。

「リヒト、わたしといっしょだね……?」
「……え、え?」
「にんげんになるのヘタっぴなの。みみとしっぽ。いっしょ!」
「え、……ええと、……」
「黙って頷いとけ。祈が嬉しそうにしてる」

リヒトの耳元で小さく言えば、「おれには無表情のままに見えるんだけど……」なんて困ったように呟いていたけれど、素直に頷いて見せれば祈の尻尾が左右にゆっくり揺れていた。それもリヒトにこっそり指をさして教えると、やっと表情が和らぐ。祈とは何とかうまくやっていけそうだ。

「よーし、そんじゃ俺たちも牧場回るか。祈、どこ見たい?」
「……!いいの?わたしがみたいところ、いってもいいの?」
「おーいいぞー。リヒトが案内してくれっから」
「えっおれ!?頼まれてたのはアヤトじゃ、」
「リヒト!おねがいします!わたし、あっちがみたい!」
「わ、っ!」

言葉の途中で祈がリヒトの手を掴むと引っ張りはじめた。こうなればもう俺は完全に二人の保護者の気分である。少し先を行く祈とリヒトを見ながらポケットに手を突っ込んであとから歩いていく。
リヒトが後ろを振り返り、必死の形相で俺を見る。祈が前を向いたままなのをいいことに、右手でまだフードを押さえ続けている。なんて無駄な足掻きだろう。

「っアヤトー!どうにかしてよ……っ!?」
「だいじょぶだって、頼むぜリヒト!」
「えっ、ええーっ!?」

もちろん助けはしない。祈は楽しそうだしリヒトにとってもいい機会だ。そして何より、俺の仕事がなくなる!!最高じゃないか!!後ろからのんびりと、ポケットに手を入れて牧場を歩く俺。
……ああ、なんて絵になるんだ……。

初秋の牧場でのんびり一日を過ごす。それはもう、あっという間の時だった。




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